携帯窃盗多発!

9月7日のBBCニュースに、ロンドンで盗まれた携帯が1ヶ月後に中国にと言う見出しの記事が載っていた。それによると今年3月までにイングランドとウェールズで盗まれたスマートフォンの数は78000にものぼるらしい。

最近、スマートフォンの盗難がとても多いと聞く。現に過去3ヶ月の間、私の長女、次女の友人二人、友人の息子の携帯が盗まれてしまった。

長女の場合、アイフォンをジャケットのポケットの中にいれて歩きながらイヤフォンで音楽を聴いていたら、急に音楽がストップした。その瞬間あっ携帯がと気が付いたけれども、時はすでに遅し、ポケットの中にあるはずのアイフォンはもうそこになかった。実際盗まれた瞬間は覚えてないらしい。

娘は早速Find My iPhoneで盗まれたアイフォンの場所を突き止めようとし、まだ彼女の携帯が盗まれたエリアに、それもどの道かもわかっていたので、警察に電話をして助けを求めた。

最初警察はすぐにそこに向かうと言ってくれたけれども、後になって深刻なケースが発生したので今すぐそこには向かえないと娘に連絡してきた。

アイフォンがここにあると表示しているエリアには、確かに怪しそうな人がいたらしいけれども、警察なしでその人物に携帯の事を聞くのはさすがに気が引け、しばらく歩いて探し続けた後、娘はなくなくアイフォンを諦める事にした。

Find My iPhoneをみる限り、娘のアイフォンはその後もその辺りをブラブラしていて、2、3時間後にロンドン北部に移動していた。

同じ週の同じ場所で、同じように今度は友人の娘さんのアイフォンが盗まれた。多分泥棒は日中人の出入りが多い、ちょっと裕福なエリアに来て盗む機会をうかがっているんだろう。

未練たらたらの娘は一週間後にもう一度Find My iPhoneでアイフォンの場所を突き止めようとしたら、なんと彼女のアイフォンもBBCニュース同様、中国の深圳にあった。これは組織化された犯罪やね!

次女の友人の場合、公園でピクニックをしていると、誰かが猛スピードで走ってきたかと思うとピクニックシートの上に置いてあった携帯を盗んで行ったらしい。友人の携帯は高価なスマートフォンではなく、彼は携帯よりも失った数々の写真が惜しいと嘆いていたと言う。

BBCの記事によると、警察に盗難を届けたところでほぼ例外なく携帯が戻ってくることはないそう。スマートフォンはとても高価なので中古のスマートフォンを求める人も多く、中古市場で売れる為にスマートフォンの盗難は後が立たない。この問題を解決していくにはスマートフォンの製造会社が盗難にあった携帯が売れなくなるような細工を開発していかなければならないと言う。

最近は中古の携帯を売る店の前を通る度に「これも誰かから盗まれた携帯や」なんて心の中で呟いてしまう。

以前は歩きながらメッセージをチェックしたり、電話したりしていたけれども、私も最近はかなり用心してアイフォンを使っている。

今日、娘がアイフォンを失くした道を歩いていたら、携帯を片手で軽く持ちながら何かを探しているような日本人旅行者を見かけた。見ていたらなんかとても危なっかしい。私は思わず彼女達に近づいて「気をつけてください」と言おうとした。すると急に私は近くにいた男性の鋭い視線を感じた。その瞬間ハット気がついた。日本人の旅行者の携帯をずーっと見続けて、彼女達に近づいて行った私はかなり怪しく見えたはず。泥棒と間違われたかも!?

タクシーが止まり、日本人旅行者は無事にタクシーに乗り込んだ。

大丈夫かな?なんか今でもちょっと彼女達の事が気になっている。

旅行中、携帯をしっかり持っといてや!

 

ご近所さんS

昨日は仲良しのルーマニア人姉妹MとDと、近所の友人S宅に遊びに行ってきた。

雲一つない空の下、そよ風が気持ちよく通り抜けていくSのお庭でいただいお茶は格別に美味しい。

Sは若い頃はモデルをしていただけあって今でもとても綺麗で、10歳以上は若く見える現在82歳のドイツ人女性。

最愛のご主人を亡くし、ドイツにももう親族が残らず、子供もいないSは「家に引きこもる人生は絶対に送りたくない」と言い、毎日いろんな所に出ていき、若者とも交流しいつ見てもイキイキしている。

MとDとは週に二回Sと一緒にジムに通い、Sは行きつけのヘアサロンからは誕生日には大きな花束をもらって祝ってもらい、行きつけのカフェでは毎回割引してもらい、そこのギリシャ人のマネジャーとは友達になり二人は毎週火曜日にロンドンのいろんなエリアを散策に行く。

ある時は彼女と一緒にパブにいると、まだ30代ぐらいの男性がSに寄ってきて、Sの手をとり彼女を口説き始めた事もある。

Sを見ていると、自分も80代になったらSのようになっていたいなと希望を与えてもらえるし、年齢的に亡くなった自分の母を思い出させるのか、彼女の力になりたいなとこちらを思わせる人としての魅力をSは持っている。

Sには彼女の人生を本に書いて出版したいと言う夢がある。

彼女のご主人は生前映画関係の仕事をされていて、Sは多くの著名人と交流する機会があり華やかな世界を見てきた。若い頃はまだ反ドイツ感情の残るパリに住んでいたSはドイツ人としてのアイデンティティーを隠してモデルをしていたり、信じていた人に詐欺にあったりと彼女の人生には話のネタが尽きない。

どうしたらSが出版にこぎつくかとみんなで色々提案しながら、今回はとにかくインスタグラムを始めて、彼女のロンドン散策をストーリーにあげて、フォロワーを集めてみてはどうかと言う事になった。

毎週火曜日にSがロンドンのいろんな場所を散歩に行く時にストリーを公開する。

人生大好きな82歳の女性がロンドンの素敵で面白い所を見せる事だけで、誰かにインスピレーションを与える事になるかもしれない!

おかしいことにすでにインスタグラムのアカウントを持っていたSは、自分がインスタグラムのアカウントを持っている事を知らなかった、友人の誰かがSのアカウントを作成したようだ。

MがSにインスタグラムの投稿の仕方を教え、早速Sは彼女のお庭に咲いている花々をインスタグラムに投稿、こんな小さい事から世界とつながれるとSは喜んでいた。

新しいことに挑戦し、友達がたくさんいるSはまだまだ元気でいてくれる事と思うし、周りの私達もそうであって欲しいと願う。

お茶をいただきながら、いろんな世代の友人がいる事がいかに有難い事かとしみじみと感じた。

母亡き後、この夏また日本に戻れなかった私にとっても、人に恵まれ、近所にもお互いをいたわりあう素晴らしい友人との出会いがあり、ロンドンが本当の意味のホームになってきた。

ちょっと前には反移民の暴動も起きた英国だけれど、その何倍もの反右翼、移民擁護の人達が通りに出てきて本当に心強い事や!

爽やかな夏の午後、私はなんとも心暖かく帰路についた。

Goodbye Summer of 2024!

 

フランスプチ旅行

大好きなフランス人の友人Sがフランスの田舎におうちを買い、この夏ご招待を受けたので、次女と一緒にS宅に遊びに行かせてもらってきた。

Sは子供達の幼稚園で知り合ったママ友。彼女は今オックスフォードに住んでいるのでお互い普段は中々会えず、だから私達は数ヶ月ぶりの、次女とSの次男は9年ぶりの再会を喜んだ。

Sは離婚してからアートセラピーの勉強をして、今はセラピストとして大活躍。油絵の腕前もすごく、なんでも器用に作れるクリエイティブなSは、お料理の腕もすごい!全てにおいて目がとても肥えていて、彼女と過ごす時間は私にいつも刺激を与えてくれる。

Sと彼女のボーイフレンドが買ったこのおうちは広大な敷地の中にあり、Sが住む2階建てのお家の他、お客さん用の別棟、プール、機材などを入れておく小屋がある。古い家だから、これから色々と手をかけていかなければならないけれども、そこは器用でお洒落なSだから、素敵に仕上がていくのが今から想像できる。

いや、今でも十分、映画のシーンに出てきそうな家で、私達親子はそこにいれて感動でいっぱいだった。

ちなみにSの息子Aもとても器用で、彼はタイルの張り替えをしたり、テーブルも作ったりするからすごい!

フランスの地方に行くと、日本の空き家と同じように手はかけないといけないけれども、古いお家がお手頃価格で売られている。EU離脱前はフランス好きなイギリス人が、老後はフランスでゆったりと暮らす為にと、フランスに家を買う人も多かった。実際Sが住んでるボルドーとトゥールーズの間辺りはマーケットなんかでイギリス人をよく見かけたりする。

EU離脱後の今、そんなはかない夢が持てないのが本当に残念!

フランス滞在の1番の楽しみはなんと言ってもマーケットに行って、いろんな食材を見て、地元料理をいただく事。

特に今回は料理上手なSがお料理を作ってくれたので、食事時間は最大の楽しみ!それに他の人が作るお料理からは何かしら新しい学びがあるのが嬉しい。

ある日の夕食は鴨肉とフライドポテト、鴨肉を焼いた油をフライドポテトに回しかけて風味をつける、これがめちゃくちゃ美味しい。

朝はバゲットをオーブンでずっと温めてくれいて、それにバターと手作りのマーマレード、アプリコット、チェリージャムでいただく。

ランチはお肉屋さんにローカル産のソーセージやフォワグラ、パテを買いに行ってサラダとバゲットでいただく、あ~なんともフランス的な食事風景!

同じ時期に滞在していたSの友人Gは、Sのお庭にたわわに実っていたイチジクを黒胡椒とハニーと一緒にローストにしてくれて、それを黒ゴマのアイスクリームと一緒に出してくれた。

この組み合わせは最高だった!

有難いことに毎回新鮮な素材をいただき、レストランで食事をするだけでは得られない喜びを感じさせてもらった。

パリオリンピックの選手村で出された料理は最悪だったなんて記事を読んだ事があるけれども、食の種類が豊富なフランスに来ていてそれは本当に残念で気の毒!

フランスのスーパーマーケットに行くとその食の種類の多さ、特に各土地の名産品が多く売られていて、この国の人々の食へのこだわりを充分に感じる事ができ、フランスはやっぱり食大国と痛感する。

私達の滞在最終日、Sと息子のAもフランス東部にいる彼女のお母さんの別荘宅に向けて出発した。その時Aは知り合いの庭でとれたバケツ一杯のヘーゼルナッツを抱えていて「それどおすんの?」聞くと「おばあちゃんの家でヌテラ(ヘーゼルナッツのペーストをベースにしたチョコレート風味のスプレッド)作るねん」と言う。

あ~いい感じ, S, A Merci beaucoup!

初めてのキャンプ

59歳にして、初めてキャンプに行ってきた。

まあキャンプといっても、長女がテントと2人分の寝袋を担いでくれた上、キャンプ場で料理を作ってもらうキャンプなので、本格的なキャンプではなかったけれども、虫が嫌いとか言って、今までキャンプには興味がなかった私にとっては全て新しくて、ワクワク楽しい経験だった。

今回行ったキャンプはWood fireと言うGastro Campingで、イギリス南部にあるSouth Downs国立公園にあるキャンプ場。美味しい料理を提供してくれる事が有名で、ここにきた事がある友人に紹介してもらった。

ロンドン、ヴィクトリア駅10時発の電車に乗り、約1時間でルイス駅に着く。野花が咲き乱れる緑の丘を歩き続け、途中とても可愛い村を通って、Cream Tea(スコーンと紅茶)の休憩をして17時ごろキャンプ場に着いた。

ちなみにこのルイスと言う街の近くでは、毎年グラインドボーン音楽祭というオペラ音楽祭が開かれる。かなり富裕層の人々が住んでいる街だけあって、ハイストリートにもアンティクを扱うお店やお洒落なレストランやカフェが目に付き、豊さが感じられる。

キャンプ場に着いて、長女がさっそくテントをたててくれた。夕食までの間2人とも読書をしながらゆったり過ごし、19時過ぎに夕食。日中すごく暑かったにもかかわらず、日がくれると急に長袖が必要になるところが山の中にいることを実感する。

このガストロキャンピングでは自炊している人達もいたけれども、料理の評判がいいので、ほとんどの人がそこで作られた物を食べていた。料理を待っている間におつまみとして出されたポップコーン、いつも食べているバター味ではなくて、オリーブ油とローズメリーで味付けされていて、これも私にとっては初体験だった。

この日のメニューはモロッコ料理のラムのミートボールとハリッサ、赤キャベツのコールスローとヨーグルト、ハンドメードのフォカチャブレッドにデザートはチョコレートブラウニーとクリーム。料理に使われる材料は唐辛子以外は全て地元の農家が作ったもので、野外でいただく為か、目の前にある遠くの山を見ながらいただく料理は最高に美味しかった。

日が暮れると焚火をする人がちらほら。でも私達は日中はとても暑かったこの日、焚火をする事は頭に浮かばなかった!

焚火どころか、車でなく歩いてきた私達は重い荷物を持つのが嫌で、水以外の飲み物を持っていく事すら頭に浮かばなかった。

ちなみにここのキャンプ場ではテント、寝袋を貸してくれるサービスもあり、キャンプ用具を持っていなくても気軽に来れるので、キャンプ初心者には最適だ!

疲れていた私達は23時前には寝袋の中に入っていたけれど、夜中に目が覚めてテントの外に出ると、それはそれは美しい満点の星が輝いていた。そんな光景を見る事ができるのが都会を離れて自然の中に入れる醍醐味やね!

翌朝も快晴で、当たりはすがすがしい空気に満ち溢れていた。

朝食には炭火で焼かれたベーコンとフライドエッグをいただき、私達は気力満々でャンプ場を出発。

この日はキャンブ場からシーフォードという海沿いの街まで歩いた。前日もそうだったけれども、山を歩いている間はほとんど人を見かけない、見るのは羊と牛ばかり!

たまに人とすれ違うとお互いに挨拶をしたり、ちょっと質問をしたりする。

これも山歩きの良いところやね!

そして前方はるか彼方に海が見えた時は、大感動、心身ともに気分が高揚した!

この日は夏日和で、合計18キロのウオーキングはきつい時もあったけれど、湿気がなく、日陰があると気持ちよく休める英国の気候なのでウオーキングも気分良くできた。

英国全土にウオーキング用のPublic Pathが設けられてるこの国に住んでいるからこそ、キャンプがより楽しくなりそうだ!

59歳にしてキャンプデビューをした私だけれども、これはやみつきになるかも!

 

 

天皇陛下が来られた!

先日天皇皇后両陛下がイギリスを公式訪問された。

別に特別な皇室フアンでもない私だけれども、天皇皇后両陛下は人生でそう滅多にお目にかかれる方でもないし、自宅からそう遠くないHigh Street Kensington にあるJapan Houseにいらっしゃるというので、次女と2人いざJapan Houseに向かった。

Japan Houseに着いたら、運よく一番沿道に近い場所はまだ1人、2人は並べるスペースがあったので、すぐさまそこに入り込んだ。あたりを見回すとすでに結構な数の人が集まっている。

沿道に立っている私達には、いろんな人が「誰が来るの」と尋ねてくる。「The Emperor of Japanよ」と答えると「Oh that’s cool (すごいやーん!)」とそのまま並んでる列に参加する人もけっこういた。

待ち時間中も面白かった。それぞれが隣に並んだ人達とのおしゃべりを楽しんでいる。「日本人の友達に天皇陛下の写真をとって見せてあげるねん」と言ってたイギリス人の女性は村上春樹の大フアンで、同じく村上春樹のフアンである娘と意気投合、私はJapan Houseに入っている日本食レストランに働く日本人女性とたまわいない会話を楽しませてもらった。

日本人とイギリス人のハーフの娘の友人は、具合がよくないにもかかわらず通りを挟んだ向かい側に立って待っている。その時は気づいていなかったけれども、私の反対側には友人の家で働く家政婦さんが立っていて、彼女は天皇陛下ご夫妻を待っている私の姿を写真に撮って、レバノンにいる私の友人に送っていた。

時には警察の間で緊張感が感じられると思うと、群衆の中にいた若者2人が警察に連れて行かれたり、急にマイクを持った男性が現れるや「天皇陛下や王族、皇族は御伽噺のような話だ、子供たちにはそんな話を信じないように教育していかなあかん」と叫び出した。

そして待つ事1時間半、日本大使館で働くイギリス人の女性が「もうすぐ陛下ご夫妻がおつきになる」と教えてくれたその時、白バイの警察がやってきて視界には黒塗りの車が何台も入ってきた。

その数分前歩行者は警察にJapan Houseの前を通るのを止められた。それでも何も気づかず私の横を通ろうとした女性がいて、その女性は私の前に立ち止まるはめになった。

えーなんで、今あんたが私の視界に入ってくるん?

車が止まると歓声が響きだし、私も含め誰もが写真を取り出した。急に前にやってきた女性の為に余裕で全てを見れる状態のはずだった私は、天皇皇后両陛下を見ることより、とにかく携帯を高くもち、写真を撮り続け、見えないものの雅子さーんと叫びつづけた。気がついたら、雅子さんはいらしゃらないし、天皇陛下はJapan Houseの中に入られる瞬間。え~何やってんの私!

ただ私の写真には陛下がバッチリ写っていた。

ここまできては、陛下がおかえりになる時こそはバッチリとそのお姿を見たいと思い、そのまま陛下が出てこられるのを持つことにした。さっき隣でおしゃべりをしていた女性は最前列で携帯を構えている。同じく最前列にいるはずだった私の前にはどさくさに紛れてインドネシア人の旅行者が立っている。「あかん、あかん、今度こそ絶対この目でちゃんと陛下を近距離で見な!」と写真撮影は娘に任して、私は声援を送ることにした。

20分後、天皇陛下が出て来られた。

うわーすごい、本当に日本の天皇陛下が目の前にいらっしゃる、やっぱり大感動!

陛下はご丁寧に待っている見物人、全ての方向にお手を振ってくださった。

そのお姿に陛下の誠実なお人柄が伝わってくる。

私の後ろにいたイギリス人の若者が「おいなんか言おうぜ、かわいい、ありがとうございます」と声をかけ出した、私もありがとうと声援を送った。

その後興奮が覚めぬまま、私と娘は丸亀うどんにランチに行き「凄い経験やったな、もしかした私らもテレビに写ってたかもな」と先ほど撮った写真やビデオを見ながら感慨に浸っていた。

そして翌朝、日本にいる友人達からLineメッセージがきていた。

「天皇陛下を待ってる姿テレビに写ってたで~!」なんと日テレのニュースに私が写ってる、それもはっきりと!

翌々日もYou Tubeのニュースで私を見たよというメッセージがやってきた。

今まで天皇関連のニュースをあまり見る事はなかったけれども、これで一気に天皇皇后両陛下のフアンになった私、ちょっとした笑いと喜びをもたらせてもらった1日に、両陛下に大感謝!

ありがとうございました!

移民について

ロンドンは多民族、多国籍都市とわかっているつもりでも、時々ロンドンの移民の多さを痛感する事がある。

私も、オーストラリア人の夫も移民。私が住んでいる地域も、お隣さんもいろんな国から来て外国人が共存しているのがロンドン。その上世界各国からの観光客が日々訪れるので、ロンドンの町中は世界中の人々で混ざり合っている。

それでも各コミュニティーが集まるエリアがあって、そこにいくとスリランカ人、インド人、ポルトガル人、フランス人、ルーマニア人、ブラジル人が多いといった光景が見られたりもする。

最近行ったロンドン北西部のWembleyはインド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ人コミュニティーのコミュニティーがあり、しばしミニインドと呼ばれている。

モスクも近くにあった為か民族衣装を身に包んだ人々が通りを行き来していたし、街にはインドやスリランカの結婚式用のドレスを売るお店、結婚式用のジュエリーを売るお店、インドの食料品店、インド甘党やさん、南インドのレストランが溢れている。まるでインドの街角をそのまま移動させてきたようで、そこにいるとインドに来た気分にさせてくれる。

これを見ると本当にロンドンと言う街、イギリスの懐の大きさに感心させられる。

よくもこんなに多くの外国人を受け入れてきたもんや!

イギリス人と会いたかったらロンドンを離れて郊外、田舎に行かないと曽祖父、母の時代からイギリス人の人達とはロンドンではなかなか出会わないと言われる。

ロンドンではイギリス人であってもパートナーが外国籍、または親が外国籍で本人は英国生まれのイギリス人といった人が多く、誰かしらどこかの外国と繋がりのある人が多く、イギリスのパスポートを持っていても自分はイギリス人と認識していない人もいて、何を持ってイギリス人と認識するかは人によって違う。

もちろん移民がやってくるのを反対している人達も多い。特に不法に入国してくる人々が後を絶たない今、移民そのものよりも、政府の移民対策に対して不満を募らせる人が多いのも事実だ。

確かにこんなに多くの移民の人達を見たら、みんなどうやって居住許可を得たんかと不思議に思ってしまう。イギリスで正規に居住可能なビザを所得するのは超難関だからだ。

最近では不法に英国に入国し、難民認定を申請しようとする人達をアフリカのルワンダに強制的に移送する為の法案が英国議会で可決され、この夏頃から本格的に移送が始まるという。

残念ながら今、日本の埼玉県川口市ではクルド人問題というのが存在する。今朝もYou Tubeを見ていると警察官を暴行するクルド人というタイトルの動画を目にした。

イラク、トルコ、シリア、イランに少数民族として住むクルド人は国家を持たない。日本在住のクルド人のほとんどはトルコ国籍で、彼らはトルコ政府から迫害を受けてきたと日本で難民申請をしているらしい。

30年ほど前、トルコのクルド人移住地域をバスで旅をしていると、何度もトルコ軍がバスを止め、クルド人の風貌をした人はみんなバスから下ろされ、身体検査を受けているのを目にしてきた。

1日も早く日本政府は移民政策を改善しないと、外国人居住者、旅行者が増えた日本が移民嫌いの国になり、移民の子供達が日本社会の一員になり辛くなってしまう。

折しも、今日はイラクのクルド料理のレストランに行ってきた。

このクルドレストランでは、ケバブとライスを注文するだけで、サービスで豆とターメリックのスープ、ホムス、サラダ各種、パン、オクラ、豆のシチューが一緒についてきて、食べ応えたっぷり。

クルド料理をいただきながら、国家を持たない、持てない民族の事を思った。

日本でもクルド料理を楽しめる環境がいつかは整うんだろうか?

移民問題は本当に難しい。

だからこそ私は日々外国人としてロンドンで平和に生活できている事をイギリス社会に感謝している。

クルド料理

ブカレストを見て

仲良しのルーマニア人姉妹から招待を受けて、娘達と3人でルーマニアの首都ブカレストに5日ほど行ってきた。

友人に出会う前までは、ルーマニアと言えば、私がロンドンに住みだした1989年に独裁者ニコライ・チャウシェスクが殺され、共産独裁政権が倒れていくルーマニア革命をテレビに釘付けになって見ていた事と、幼い頃に見たオリンピック金メダリスト、体操のナディア・コマネチ選手の事しか知らなかった私。

少し高級住宅で見られる光景

ブカレストは東欧の小パリと呼ばれていた事もあるだけあって、パリをどことなく思い出させる景観もあり、ちょっと街の中心地を離れると緑が多い。

実際ブカレスト中心部には19世紀後半から20世期初頭に、パリを模倣するような優美で素晴らしい建築物が建てられ今でも所々にそれらを見る事ができる。

それに反してチャウシェスクが行った、歴史的建造物を破壊して作った高層住宅も街には多く、ブカレストが通ってきた道のりを思い起こさせる。

ルーマニアがあるこの土地は昔からいろんな民族が通り過ぎていき、ルーマニアは他民族の支配下にあって長い間独自の国家が樹立できなかった。

ローマ時代のギリシャ人、スラブ人、トルコ人がやってきて、パプスブルク帝国の影響下にも置かれ、ロシア人もやってきた。

こんなにいろんな民族がやってきたルーマニアだけあって、ルーマニア料理もトルコ、ハンガリー、オーストリア料理の影響を受けている。

とにかく今回は短い滞在期間だったので、毎日郷土料理を食べることにした。

伝統料理と言えばサルマーレ。私達が友人Dのおうちに着いたらすぐにサレマーレで出迎えてくれた。発酵されたキャベツまたは葡萄の葉に豚肉と牛肉の合い挽き、お米をを詰めたロールキャベツ。トマトピューレで薄めたスープで煮込まれ、食べる時にはサワークリームをかけ、チリをかじりながらいただくサルマーレは本当に美味しい。

次にルーマニアならではと言われるのがママリガ、これはとうもろこし、牛乳とバターを混ぜたポーレンタのような料理で、付け合わせ以外にも卵焼きとチーズをかけていただく立派な一品にもなっている。

ルーマニアの挽肉料理ミティテイ(豚肉と羊肉が多い)は、大型市場オボー(Obor)で、ブカレスト1と言われている屋台のお店に食べに連れて行ってもらっていただいた。平日の午後にもかかわらず長蛇の列ができていて、40分近く待った後、ミティテイ4本がパン、マスタード付きでやってきた。炭火で焼かれたミティテイの香ばしさ、脂ののり具合といい最高、その上お値段が日本円で150円ほどで、満足度は100%だった。

ルーマニアのスープはトルコ語と同様、チョルバと呼ばれ、小麦粒の外皮や胚芽の表面の部分である小麦のふすまを発酵させて作るボルシュと言う調味料を入れて、酸味をつけるのが特徴的!

私が食べたのはチョルバ・デ・ブルタは 牛肉の内臓入りスープで、サワークリームが入ってなんとなく豚骨スープを連想させる味だった。

 

ブカレストを歩いていると、時々歩道の真ん中がまだ舗装されずに土がもられただけだったり、道がデコボコしていたり、まだインフラストラクチャーがしっかりされてないと思わせる場面に出くわす事もある。そうかと思えば、お洒落なカフェにこれまたお洒落な若者がいてヨーロッパのどこにでもある光景が広がる。

ブルガリアと並んで、EU内で一番貧しい国と言われていれ、厳しい時代を乗り越えてきたルーマニア。でも今20代の若者はもう共産主義時代の生活を知らないし、EU圏のイタリアやスペインに移住した若者も多いと聞く。今回空港まで迎えにきてくれた友人の知り合いのドライバーは、日中郵便局のデリバリーをして、小銭稼ぎであいた時間に空港までの送迎ドライバーもやっているという。

まだまだ経済的に余裕のない人が多いのも事実。

ほんのちょっと垣間見たブカレストだけれども、これからの益々の発展にエールを贈りたい気持ちでいっぱいになった。Multumescムルツメスク、ブカレスト!

映画鑑賞

最近立て続けに、日本映画を2本見る機会に恵まれた。

ドイツ人のWim Wenders監督、役所広司主演のPerfect Daysと是枝裕和監督の怪物。

Perfect Daysは役所広司がカンヌ国際映画賞で男優賞を受賞した時から、まだかまだかと待ち続けていた映画で、やっとロンドンで放映されるようになり、すぐに見に行ったきた。

映画が始まってから最初の30分ぐらいは会話もなく、ただ淡々と主人公の日常が描写されていく。さすがに監督が外国人だけあって、例えば、黄色い帽子を被った幼稚園児達が道をいく姿、地下鉄の駅に隣接した飲み屋で野球を観戦している仕事帰りの人々と日本の日常風景を見ていない人の視点から、新鮮に東京の街が捉えられている。

とにかく役所広司の目の演技が最高で、この映画を見に行った各国の友人みんな口を揃えて「役所広司ってめっちゃかっこいい」と言っていた。

怪物は(英語名Monster)カンヌ国際映画賞で坂元裕二氏が脚本賞を受賞しただけあって、ストリーが次々と別方向に展開していき、最後にガーンと心が打たれる映画だ。

怪物の主人公である子供がこれまたすごく上手に演じるので、見る側はとてもハラハラし、心配し、感情的になってくる。

Perfect Daysも怪物もすごくいい映画だった。

今回いい映画を見れた嬉しさと共に、それらを安く見る事ができ、喜びが倍になった。

最近の映画代はバカにできないぐらい高い。ロンドン中心部で週末映画を見ると18ポンド(日本円で約3450円)はする。少し待てばNetflixで見れる映画も多いので、今では映画館に見にいくときは自分が見たい映画か、または半額日だけにしてるし、友人達もみんな同じ事を言っている。

Perfect daysは特別プレヴューだったので、半額の8ポンド(役1500円)で見れたし、怪物は10ポンド(役1900円)だったのでめっちゃ得した気分。

特に映画、怪物を見たのは、フランス学校Lycéeに隣接するInstitut Françaisと言うフランスの文化会館。そこには劇場、図書館、外国人の為のフランス語クラス、そしてカフェも入っている。

映画を見る前にカフェでコーヒータイムをしたけれども、頼んだピスタチオのフランはめちゃくちゃ美味しかったし、ムール貝とフリッツの写真が各テーブルに置いてあったり、ウエイターもフランス語で挨拶してきたり、まるでフランスにいるような気分、一緒に行った娘達も「いつもの日常と変わってなんか特別感があるね」と言って喜んでいた。

Institut Françaisでは25歳以下の若者には全ての映画を5ポンド(約960円)で見れるサービスがあり、次女も早速そのメンバーシップカードを作っていた。お金があまりない若者にはとても有難い制度だ。

私が感じるには、日本文化に興味があるフランス人が多いって事。特に若者の間では日本のアニメから日本の事を多く知った人も多い。私のフランス人の友人Mの息子さんも独学で日本語学んでるし、確かフランスにいる彼女の甥っ子は日本人女性と結婚している。

フランス学校の近くには日本のパフェを食べれるカフェもあり、いつ行ってもフランス人の学生でいっぱいで、見ているとみんな日本食についてもよく知っている。

映画は異なった文化を垣間見れ、異体験をさせてくれる。

今回の私は異国で母国の日常を垣間見る事ができ嬉しかったし、色々と考えさせられた。

有難い事だ!

2月の行事、パンケーキデイ

1月中旬から急性気管支炎にかかってしまい、もう4週間目と言うのに今でもまだ咳と痰が止まらない毎日が続いている。

かかりつけのお医者さんに行くと、彼女の患者さんのうち60%は今の私と同じ問題を抱えていて「抗生物質を飲んだ後は、辛抱強く治るのを待たないと、Be patient!」と言われてしまった。患者を表す英語はPatient,これは忍耐強いと言う意味で「まさに患者がpatientと呼ばれているのは忍耐強く病気が治るのを待たないといけないからよ」と医者は言う。

そんなこんなで私が不調の間も、時は2月に入り、節分、チャイニーズニューイヤー、パンケーキデイ、そして昨日はヴァレンタインデイといろんな行事がやってきた。

昨日のヴァレンタインデイ、街には薔薇の花束を抱えてた男性を多く見かけた。特に若者が赤いバラの花束を抱えて家路を急いでいる姿を見ると、なんか私までウルっとさせられる。

長女は地下鉄の中で、高価な花束をかかえている人、一輪のバラを抱えている人といろんな人を見かけ、それぞれの懐事情もありありで、面白い人間観察になったと言っていた。

うちの旦那は昨日がヴァレンタインデイである事も忘れていたぐらいだから、一輪のバラでもお花をもらえるだけでもありがたい、ありがたい!

とにかく色々ある2月の伝統行事の中でも、私は13日、火曜日のパンケーキデイが大好きだ。

パンケーキデイはキリスト教徒の伝統行事。

キリスト教徒は日曜日を除く復活祭前の40日間をレントと呼び、レントの間はイエス・キリストがかつて荒地で断食をし、苦難を引き受けた事を思い起こして断食をする。今では断食はしなくても、レントの間は少なくても自分の好物をやめたり、肉食をたったりする人が多いようだ。

レントの初日はAsh Wednesday灰の水曜日と呼ばれ、その前日の火曜日がShrove Tuesdayと言われてパンケーキデイにあたる。この日は断食を前に家に残っているバター、卵、ミルクを使い切る為にパンケーキを焼く習慣ができたようだ。

イギリスだけではなく、アイルランド、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドでもShrove Tuesdayにはパンケーキを食べる習慣になっているらしい。

でもイギリスでは、この日各地でパンケーキ入りのフライパンを片手に持って走るパンケーキレースが開かれる。走りながら決められた回数、パンケーキをひっくり返しながら走らなければならない。私はまだパンケーキレースを見に行ったことはないけれども、レースの映像を見てるかぎり、とても面白い伝統行事に思う。

パンケーキレースは元々1445年にオルニーという街で、ある主婦がパンケーキを焼いていたら、ミサを告げる教会の鐘がなりだし、その主婦はミサに遅れない為にエプロン姿のまま、パンケーキ入りのフライパンと共に大慌てで教会にやってきて、これがパンケーキレースの始まりになったらしい。

クリームやチョコレートソースとともにいただくクレープやホットケーキのようなパンケーキと違って、イギリス風はレモン汁と砂糖、またはゴールデンシロップをかけてシンプルにパンケーキをいただく。

これにはまりだしたらもう後戻りできない、レモン汁と砂糖が最高になってくる。

まだまだ寒い日々が続いて、体調を崩している人も多いけれど、こうして各国のいろんな行事を楽しみ、私もみんなも春をまっている今日この頃だ。

パーティーに行く

クリスマスからお正月と続くこの時期にはホームパーティーを開いたり、呼ばれたりする機会が増える。

狭いフラットに住んでる我が家でパーティーを開くことは無理だけれども、有難い事に毎年何人かの友人がパーティーを開いて招待してくれるので、このところ何回かホームパーティーにお呼ばれしてきた。

毎回パーティーに行く度に思う事は、パーティーで楽しく過ごすにはやっぱり社交性がある程度必要って事。

イギリスのホームパーティーの特徴は、誰も他の人を紹介しないので、ホストが近くにいて紹介でもされない限り、自分から見知らぬ人に声をかけていかなくてはいけない。知った顔がいればいいけれども、知らない人が多い場合は、自分で話しやすそうな人を探して会話をしなければならない。勿論友人の友人だから、どの人も一応には感じがよく共通点も多い。でも時にはなかなか会話が続けられない相手もいたりする。

私が見た限り、パーティーではほとんどの人が自分の知っている人と話こんでいる。

だから時には、ホスト以外の知り合いがいなくて、グラスを片手に1人で立っている人を見かける事もある。

この間も家族7人でパーティーにやってきた友人家族がいた。私はその奥さんと知り合いなので彼女と話していたら、その彼女が「見て、うちの家族自分らだけで話してるやん、これやったら家にいてるのとおんなじやんね」と言って笑っていた。

という私達家族も一瞬、次女と夫と3人になった時があった。その瞬間娘とお互い「あかんあかん家族でいたら意味ないわ」と言ってすぐ他の人の会話に参加した。

他の国ではどうかはわからないけれども、オーストラリア人の夫も、スペイン人の友人Sも「自分達の国ではパーティーではホストが他の人を必ず紹介するで」って言っている。

私はパーティーで1人でいる人を見かけたら、気になって必ずその人に話しかけるようにしている。もし自分がそんな立場になって1人で飲んでいた場合、絶対誰かとお話したいと思うやろうしね!

この間も、本当は友人達とおしゃべりし続けたかったけれども、他の人をあまり知ってなさそうな人と目があって気になって話しかけたら、案の定その人だけが、ホストの新しい職場の同僚で、そこに誰も知り合いがいなかった。医療関係者でモレシャス出身のその人との会話からはいろんな事を学び楽しかったし、声をかけてよかったと思った瞬間だった。

ある時パーティーで、1人のベルギー人男性の立ち振る舞い感心した事がある。そのベルギー人はつい1週間前から付き合いだしたイギリス人彼女に連れられて、友人のパーティーにやってきた。

聴くところその日の午後ロンドンに着いたばかりと言う。勿論そのベルギー人は自分の彼女以外誰もそこに知り合いがいてなかった。でもそのベルギー人男性は余裕たっぷり、愛嬌たっぷりでいろんな人の会話に入っていき、気がついたらグループの真ん中にいて誰とでも打ち解けていた。

これができると最高、どこでも行けるね!

私の長女はパーティーであろうと正式なディーナーテーブルであろうと誰とでも話ができるタイプなので、よく一番話にくそうなタイプの隣に座らされる事が多いし、いろんなところ、人からお呼ばれをうけてくる。次女も「初対面の人でも平気、自分は誰とでも会話できる」と公言している。

私自身も夫もそこまで会話上手じゃない、でも一応フレンドリーな性格なので社会性はある方だと思う。それでも私なんかは苦手なタイプもいるし、話がスムーズにできる相手が見つかるまではなんかそわそわしてしまうのも本音だ。

そお言えば昔、ある友人の誕生日パーティーでとても素敵なアイデアに出会った。

ギリシャのアンドロス島に別荘を持っているその友人家族は、パーティー招待客が到着した時に各ギリシャの島の名前が書かれている紙切を渡した。パーティー半ばごろ、ホストが「みんな自分と同じ島の名前が書かれている人を探して、会話してみて!」とアナウンスし、みんな盛り上がって自分の仲間を探して盛り上がったことがある。人と人をつなげる面白い企画だ。

今年は50代最後の年、どんな会話でもそこそこついていけるように、話してて楽しい人でありたいし、まだまだ自分を磨いていかな!

2024年もよろしくお願いします。