チャイニーズニューイヤー

明日の12日はチャイニーズニューイヤー。それを受けて今週は朝の集会でチャイニーズニューイアーについて学び、今日うちのクラスの中国人の子供達は赤色の服やチャイナドレスを着て誇らしげにzoomレッスンにやってきた。

一昔前のイギリスでは中国人といえば香港やマレーシア出身者が多かったけれども、ここ最近15年ぐらいで国の経済発展に伴い中華人民共和国出身者が大多数を占めるようになり、耳にする新年の挨拶も広東語から北京語に変わってきている。

日本人が中国人というと、隣国の中華人民共和国の人を指すけれども、中華系シンガポール人、台湾人ももちろん中国人。でもシンガポールやマレーシアの中国人が大陸の中国人を英語名のPeople’s Republic of Chinaの頭文字をとってPRCと名付けて自分たちと区別しているのを知った時は妙に納得したのを覚えてる。

先祖はみんな中国大陸出身でも、今のシンガポールは文化的には中国よりも台湾人に近いきがするからだ。

そおいえばある日、中国人男性と福建語を母国語とするマレーシア人女性と私の3人で会話している時に、中国人男性が北京語を話せないマレーシア人女性に「君は北京語も話せずに、純粋中国人と言えない」と言い放ったことがある。とっさに彼女は「北京語を話さない中国人は世界に何万もいるし、私は人種的に中国人よ」と言い返したけれども、その男性がいだいている中国人感を垣間見た。

それでも明日のチャイニーズニューイヤーには、中国文化を継承している人以外にも、それにあやかるのが好きな私たちのような国際家族はみんな何かしらチャイニーズニューイヤーを祝うのでは?明日中華料理を食べる予定の人って結構周りにいるいる!お祝い事はとにかく楽しい。

うちのクラスの中国人の子供達も祝いの食事として、明日は茹で餃子、蒸し魚料理、長寿を願うヌードルを食べると言っていた。

私達も近くのチャイニーズレストランで「新年用の大根もちがお持ち帰り出来ますよ」というポスターが貼ってあったので、明日はこれを買いに行く予定。今からすごく楽しみ。

惜しくも、コロナ禍の中今のアメリカでは東洋人に対する差別が増えているというニュースをよく耳にする。先日も中国人のおじいちゃんが歩いていると突然若者が走ってきて、そのおじいちゃんを突き倒すという映像を見た。心が痛む、残酷な事件だ。この件を受けて中国系アメリカ人のセレブ達が懸賞金を出しあい、その若者を必ずを見つけ出すという動きになっている。

明日の新年には新型ウイルス問題が収束し、今まで当たり前だと思っていた日常が1日も早く戻ってくる事を願う人でいっぱいだろう。

西暦の新年でもいったHappy New Year! 今度は旧正月でHappy New Year! どうぞ今年はいい一年でありますように!

人の優しさ

今週2日、新型コロナウイルスの治療にあたる医療従事者への支援を国民に呼びかけ、巨額の寄付金を集めた100歳のトム・ムーア退役大尉が亡くなった。

彼は歩行器を押して自宅の庭を100往復する挑戦をして寄付金を募り、150万人以上の人が寄付をして3300万ポンド(日本円で約47億円)を集めると言う偉業を成し遂げた。懸命なムーアさんの姿に多くの人が感銘を受け応援の輪はたちまち広がり、ムーアさんは一躍時の人に!

それを受けて英国首相ボーリス・ジョンソンがムーアさんの追悼の為に3日木曜日の午後6時に皆で拍手を送ろうと提案し、病院、街頭、スポーツスタジウムなど至るところで多くの人がムーアさんに追悼の拍手を送った。うちの通りも拍手が鳴り響き、私達家族も参加させてもらった。

拍手をしてたら心が温まってきた。国中の人に希望を与えたムーアさんのなんと素晴らしい人生のフィナーレ。きっとムーアさんの魂は喜ばれていると思う。

去年の春も毎週木曜日の午後6時になると、イギリス中で一斉に医療従事者の方々に感謝の意を込めて拍手を送っていた。その当時我が家の階下にはドクターと看護婦さんが住んでいて、彼女達がその拍手を純粋に嬉しいと喜んでいたのを思い出す。

丁度武漢が初めてロックダウンになった時も、夜になると武漢市民が「武漢加油(頑張れ)」と言いながら声を掛け合ってお互いを励ましあってる映像をみた。

イタリアやスペインでもいろんな人が自宅のバルコニーに出て歌を歌ったり、楽器を演奏して音楽で人を元気付けるニュースをよく見かけた。

そお言えばロンドンでも友人Gが人を元気付ける為に、毎週家の前でお母さんと2人の娘さんのトリオがバイオリンとチェロを弾いてる動画を送ってきてくれたことがあった。

このような愛が詰まった行動には本当に心が温められる。

うんざりするようなニュースが多い中、人を労る、連帯感が高まる話を聞くと、人っていいなーと心から思え、そんな場面に出会すと私はよく感極まってしまい、泣けてくる事もたびたびある。

この間もカラオケクラブで歌う歌をYou Tubeで探していたら、オーストラリアの動画と思うけれど心がキュンとする動画に出くわした。朝の通勤電車の中に人が2、3人乗ってきたと思うや、朝の挨拶をしその後「みんなでOver The Rainbowを一緒に歌いましょう」といって乗客に歌詞を配り、一斉に歌を歌い出した。最初は恥ずかしそうにしていた人も徐々に参加し始め、それを見て私もが熱くなってきた。こんな小さな行為がなんとも言えない人とのつながりを感じさせてくれる。(Train Passengers Sing Over the Rainbow, The Liberators International )

You Tubeと言えば、日本人や韓国人の若者がお互いの国に行って、フリーハッグをおこなっているチャンネルがある。反日デモをおこなっているすぐ横で、優しそうな日本人の若者が目隠しをしながらFree Hugs For PeaceのTシャツを着て立っていると1人、1人とその日本人にハグをしにくる人がいた。「国同士の間では緊張が高まっているけれども民間人同士の関係は別だと言うことを証明したかった」とその日本人は言っていた。

これにも泣けてきた。私もその若者にも、彼をハグした韓国人の人々にもハグしにいきたい!

ほんまに愛こそ全て。

S子ちゃんにもらったマーマーレード

先日は友人のS子ちゃんが彼女のお手製のマーマーレードを遠いところわざわざ届けにきてくれた。これでいただくのは2本目!私たちが彼女のマーマーレードのフアンと知ってくれている上、ロックダウンで夫と離れ離れに暮らしている私達親子を励ます為に持ってきてくれたS子ちゃん。彼女の優しさに大感謝。

そして今朝は長女の大学時代の友人が昨夜チョコレートブラウニーを作り、ロンドンとロンドン近郊に住む自分の友達全員に届けるという事で、自転車で1時間以上かけてブラウニーを届けにきてくれた。ブラウニーを焼いて、遠方から持ってきてくれてこちらが有難うなのに、彼はインスタで「今日ブラウニーを受けとってくれたすべての友達に有難う!」ってメッセージをあげていた。

こんな風に人に喜びを与えられ、愛情表現をおしみなくできる人間でありたいとつくづく思った1日だった。

今日の散歩道

リラのかぶスープ

もう30年以上も前の話になるけれども、ある日私がベランダに出て外を眺めていると、ベランダ越しにめちゃくちゃフレンドリーなお隣さんが話しかけてきた。

その隣人はイラクの首都バクダット生まれのアルメニア人リラ。彼女は政治的な理由でイギリスに亡命してきており、丁度その時はお兄さんの所有する、うちの隣のフラットに一時的に住んでいていた。亡命してくるぐらいだからたくさんの困難に直面してきたリラだけれど、経済的に恵まれた幼少期を送ってきたリラには、立ち振る舞いのエレガントさと教養の深さが備わっており、彼女は洗練された素敵な60代の女性だった。

中近東の文化、歴史、食べ物に興味のあった私と、隣人との間に友好関係を求めていたリラとはすぐに意気投合して、それ以来彼女はたびたびランチを作って私を招待してくれた。

リラの作ってくれた食べ物は全て美味しい物ばかりで、私は今まで口にした事がなかった料理をたくさん食べさせてもらった。彼女の作る料理は遠い国の香りが詰まっており、なぜか私をノスタルジックにさせ、それをきっかけに私はどんどん中近東の料理に魅せられていった!

そのリラが亡くなってもう10年以上は経つが、先週末のマーケットでかぶを見た時、急に今は亡きリラを思い出した。

「そうや昔リラがよくかぶのスープを作ってくれたっけ!」

リラのかぶスープ、バクダット風はチキンストックにたっぷりの皮をむいたトマト、一口サイズに切ったかぶ、ニンニク、ドライミントとレモン汁を入れて味つけし、リラはそこに自家製クルトンをいつも入れていた。

多分ドライミントが異国の味を連想させたんかな?あー懐かしのあの味をもう一度食べてみたい。

リラが作ってくれたの数々のお料理の中でも当時の私が一番異国を感じた一品がある。リラのレモンチキンだ。

まず、一つかみのサフランを潰したカルダモンといっしょにテーブルスプーン3杯のローズウオーターにつけておく。

チキンを色がつくまでオリーブ油で焼き、焼けたらチキンは他の器に移しておき、同じフライパンにスプーン1杯の小麦粉と水を加えて混ぜ合わす。そこにとっておいたチキンとさらに一口大に切ったじゃがいも、テーブルスプーン2杯分のレモン汁、ローズウオーターに浸かったサフランを入れる。

リラはここにセヴィージャオレンジも少し入れていた。とにかくローズウオーターとサフランの香りは、アラビアンナイトの世界に入ったような気持ちにさせてくれたっけ。

リラの人生は政治に翻弄され、彼女は多くの財産を失った。ロンドンに来た彼女を助けたのは、昔彼女の実家で働いていた運転手さん家族。ロンドンに来てビジネスで成功したその家族とリラの立場が逆になったのをリラは物悲しそうに語ってくれた。

リラが亡くなった時、私は次女を出産したばかりで少し彼女と疎遠になっていた。ある日私は急にできた用事で家の外にでた。私が表玄関を出た瞬間、リラの家を時々お掃除にきていた女性とたまたま遭遇。

「リラは最近どう、彼女元気にしてる?」

「実はリラは先々週に亡くなって、彼女のお葬式は明日の午後にあるんよ」とその女性が教えてくれた。

その時私はリラが彼女のお葬式のことを私に知らせにきてくれたんやと直感でわかった。

翌日彼女のお葬式に出るためにアルメニア正教会にいった。生まれて初めてアルメニア正教会の中に入る事に。教会がお香で満たされ、神父達がアルメニア語で賛美歌を歌う。

リラは最後の最後まで私に異国感を味あわせてくれた。有難うリラ!

今週末は彼女に教えてもらったかぶのスープを作ってみようと思っている。

食のあれこれ

私は子供の頃から歴史が大好きだった。多分人のやってきた事をのぞき見するのが好きだからかなと思う。

特に一番興味がある分野は食べ物の歴史。

ロンドン大火事の最中に日記をつけていたサミュエル・ピートは、自分の家にもいよいよ火の手が回ってくると判断した時、避難する前に家にあった高価なイタリアチーズ、パルミジャーノを自宅の庭に穴を掘って埋めておいたと読んだ時は「確かに今でも美味しくて、高価なパルミジャーノやからな~」と妙に納得できたし。

コロンブスの新大陸発見によって、中南米からトマト、ポテトなど新しい食材がヨーロッパに持ちこまれた。と知った時は、それ以前のベネチア、フィレンチェ、ジェノバなどのイタリア都市国家には今ではイタリア料理の代表になっているトマトソースはなかったことになるので、「じゃあいったいどんなものを食べてたの?」と知りたくなってきた。

トルコ料理にはManti ( マントウ )と言うワンタン料理があるけれども、それは昔トルコ民族がまだ中央アジアで遊牧生活を送っていた時、国境を接するモンゴルや中国で食べられてたワンタンに起源があると知った時も納得できた。

また1533年、フィレンツェ共和国の大貴族メディチ家のカトリーヌが後にフランス王アンリ2世となるオルレアン公に嫁ぎにきた時、当時の貴族の慣例に従いカトリーヌはフィレンツェから料理人や菓子職人をフランスに連れてきた。それまではフィレンチェやヴェネチアの方が文化的に洗練されていたと言われており、それを機にフランス料理も洗練されていったと言われている。今フランスのビストロで必ずメニューに入ってるオニオンスープも、アーティチョークもこの時フィレンチェからフランスに入った味だと言う。

このような食の逸話を知るのがとても好きだ。

人の行き来が盛んだった地域では、今のロンドンのように新しい味をいち早くとり入れてきた。そして地中海諸国、北欧諸国など気候条件がよく似た地域では、同じような食材でよく似た料理が作られてきている。

ヨーロッパではどの国にもあるビーフシチュー。

先月はブルゴーニュ産の赤ワインをたっぷり使ってBeef Bourguignon(ブフ・ブルギニョン)を作り、2週間前はギネスビールを使ってビーフシチューを作った。

今回はどうしようか。ヴェネチア人によってコンスタンチノープルにもたらされたギリシャのビーフシチューであるStifatho(スティファド)を作ろうか。これは同じく赤ワインを使うけれどもシナモン、クローブ、ナツメグで味をつけるのが特徴。

ロシア風のBeef Storoganoff(ビーフストロブノフ)って方法もある。一説によるとビーフストロガノフの誕生はロシア貴族ストロガノフ家に働いていたフランス人の料理長が、料理のレシピを募集していたフランスの料理雑誌社に自分のビーフシチューレシピを送った時、主人の名にちなんでビーフストロガノフと名付けたのが始まりと言う。

ベルギーの代表料理であるビーフシチューCarbonade flamande(カルボナード・フラマンド)にはベルギービールを使い、タイム、ジュニパーベリー、ビネガーを加えて甘くとろみをつけて仕上げる。

ある日の晩ご飯。
ギネスビールで作ったビーフシチュー

まだまだ寒い日が続く2月はシチューを作る人が多いのでは?

各家庭新しい味がアレンジがされてまた多様な味が生まれてくるんかな?

我が家では、今週もしブルゴーニュ産の赤ワインが手に入ったらまたブフ・ブルギニョンのレシピにお世話になる予定。

学校再開、再々延長

昨日イギリスの首相、ボーリス・ジョンソンが学校再開は早くて3月8日と発表した。

まずは1月18日に、次に2月22日そして今回の3月8日に再々延長。これを受けて私が働く学校も今以上に授業内容と精神面のケアを強化していく動きになっている。

という事はあと5週間のホームスクール。

ホームスクールは勉強も精神面もちゃんとサポートしてくれる大人が近くにいる子供達には、効果のある学習方法だと思うけれども、それが困難な環境にいる子にはダメージが多い。

学校でなら授業中ついついクラスメートとおしゃべりをしてしまったり、やたらと友達の動向が気になって勉強に集中できない子供でも、ホームスクールなら親が近くにいてサポートしてもらえる上、自分の勉強にだけ集中できてホームスクールがプラスになっている子もいる反面、学校ではどんどん難しい問題を解いていける子が、両親共に働いていて忙しい為に、サポートもなく全て自分1人でやりこなせずにやる気を無くしてしまったケースもある。

実際問題、専業主婦の友人達も子供のホームスクールには時間と労力がかかって大変と言っているのに、仕事をしながらそれをするのはあまりに親の負担が多すぎる。3人の子供を持つ同僚が言っていた。「私が授業をしている間、夫が仕事をしながら2人の子のオンライン学習をサポートしてくれてるねん。可哀そうなのは1歳半の息子、家族全員忙しくしている間みんなの足元を行ったり来たりして1人で遊んでるわ。ほったらかし状態になってしまってるねん。」

また孤立した環境にいる子や親の精神面への打撃も考えなければならない。ロンドンに来てまだ1年足らずの上、御主人が単身赴任で外国におり、親しい友人がほとんどいない中1人で子育てをしてロックダウン生活を送っているファミリーも知っている。

先週の日曜日はロンドンに雪が降り、雪がやんだ午後には多くの人が公園に来て雪遊びをしていた。翌朝どの子も「昨日は家族で雪遊びをして楽しかった!」と喜んで報告してくれたけれども、中には一切外出をしない家庭の子もいた。これはこちらも気にかけていなければならないケース。その子供を見てたらせつなくなってくる。

とにかくどの学校も最善を尽くしていると思うが、子供の間での学力の差の広がり、ロックダウン生活で悪影響を受けている子供や親の心のケアと課題が多いのも事実。

とにかく前回学校再開の延長が決まった時、子供が午後を有意義に過ごせるように放課後のクラブをもっと増やすようにと学校から要請がきた。

どんなクラブがいいか、私に何ができるか考えた結果、私はカラオケクラブをすることにした。

ZoomでYou Tubeを使って気分を盛り上げる歌を歌う。

「子供にとっても私にとっても楽しめる時間を作を作りたい!」と張り切っていた私。

でも気がついた。子供にとって適切な歌詞でかつ子供が歌いたい歌を探すのってとても難しい事を。

そして子供と私の年齢差があまりにも開きすぎてる事も実感。「次はMy Oh Myを歌いたい!」「なんやそれ、そんな歌知らんわ!」ちょっとポップミュージックを知ってる子がリクエストしてくる曲は「あかん、あかんその歌、歌詞がセクシーすぎるから無理!」状態。

そんな中でも、時には古き良きミュージカル、時にはKatie PerryのFirework、Tones and IのDance Monkeyと歌い飛ばし、笑いとばしている。

こんな感じでさらに伸びたロックダウン生活が過ぎていく。1日もはやく子供が学校に戻れますように!

水が出なくなった!

2日前、朝の歯磨きをしている時なんか水圧が低いなと思った次の瞬間水が止まった。

通常もし近くで水道工事なんかがあると事前に水道会社から断水の連絡が来るし、その日はまだ時間が早く、外を見渡しても何もおこってそうに見えないし、とにかく水道会社のウエブサイトをチェックして問題が起きている場所の確認をした。うちより少し離れた地区に問題があるようだが詳細はわからない。

「いつまで断水状態が続くんやろ~。」家にあるのは2リットル入りのミネラルウオーターボトルが2本のみ。仕事前に長女に水を買いに行ってもらったものの、ご近所さんみんな同じ経験をしているようで、2リットル入りの水はみんな売り切れ状態。とりあえずは500ミリリットルのボトルをいくつかだけ購入。

その後も水道会社のウエブサイトをチェックし続けたものの 「申し訳ありませんがただ今……の水道管が破裂したので今は…..の地区は断水中です。」とは書いてあるが復旧工事がいつ終わりそうかには言及していない。

そうこうしていると起き出してきた次女が「ママTwitterにいろんな人が水が出えへんって投稿してるよ~。」といろんな人のツウィートを見せてくれた。

そうTwitterから事の全容が見えてきた。

投稿されてる写真からうちからそんなに遠くないノッテングヒルの主要道路が水浸しで、洪水の時によく見かけるゴムボートなんかも見える。いくつかの水道管が破裂したようだ。復旧までしばらく時間はかかるよう。

その前日イギリスにはストームクリストフという嵐が吹き荒れ、その嵐が完全に過ぎ去っていないためか、その日はインターネットの接続にも各地で不備があったようだ。私や娘達のコンピューターの画面が何度もフリーズした。

当たり前のことだけれど日常いつもある状態のものがなくなると、できなくなる事があまりにも多すぎる。停電時用にローソクやマッチは買っていたけど、水の事は頭になかった!

でもここにきてご近所情報サイトのnext doorが一番役にたった。

「水道局が明日までは復旧無理って言ってるよ~。」

「うちは水が出たよ。……町辺りは水が戻ってきたみたい。」

「断水してる各家にせめてペットボトルの水ぐらいは配れって今水道局に文句いうたばかりや、皆さんも水道会社にペットボトルの事をお願いしたらどうですか!」

いろんな人のコメントを見てこちらも事態を推測できてきた。

ロックダウン中でなかったらカフェや公園のトイレも使えるが今はみんなしまっている。近くに住んでいる友達も同じ経験をしてるし、あーこのままでいくと明日の朝のトイレ事情をどう対処したらいいか。事が小の場合はギリシャの島々のように使ったトイレットペーパーは別のゴミ箱に入れたらいいけれども、大の場合は……おまるに変わるような物があるかなーといろいろ考え出す。

もうそろそろ寝ようかなと思って最後に水が出るかどうか確認する為に蛇口をひねったらなんとチョロチョロと水が出てきた。

「おーお水さん、出てきてくれてありがとう、やったー!!!」これほどお水に感謝したのは久々の事。それとともに翌朝のトイレ事情をもうこれ以上心配しなくてホットした。

その夜お水と復旧工事の為に働いてくれていたエンジニアの人たちに心の中でお礼をいいながら寝ついたら、熟睡できた。あー水があるってありがたい!

昨日の散歩道。

アートレッスン

私は去年の9月から2年生のアートの授業を担当することになった。

アートのプロではない私が、ちょっとだけクリエイティブな事をするのが好きという理由でまかされた任務でとにかく責任を感じる。特に授業がzoomになった今は、児童の隣に親が座っている可能性があるのでなおさら緊張。だからこちらもいろいろと勉強、リサーチをして授業内容を考えている。

私が働いでいる学校は私立なので、授業内容も国が定めているナショナルカリキュラムに着実に従う必要はなく、各学年で必ず学んでおくべき事柄を教えた後ならば、各先生のアイデアが反映された授業ができるのが特徴。

どころでアートの授業を考えている時にある事に気がつき、美術史を学んだ次女にも指摘された事がある。

それはイギリスのアートレッスンはその内容がEurocentric(ヨーロッパ中心主義)という事だ。

オーストラリアのアボリジナルアートなども教えるが、でもやっぱりゴッホ、ゴーギャン、モネ、ピカソ、ルノワール、ホックニー、ターナーなど西洋美術家の絵画をモデルにする事が圧倒的に多い。

だからこそ私は西洋以外の国々の作品を紹介していこうと心に決めた!この広い世界にはいろんな国のいろんな形のアートがある事を幼いうちから知ってもらいたいし、それによって新たな自分の好きな世界が広がる可能性もある。

先週は暖色、寒色の勉強の一環でメキシコのウイチョル族の月と太陽の絵を描いた。これは私もすごく楽しめて子供達にも大好評。次は葛飾北斎の富士山のコラージュと中国陶器の青花の絵付けを紙皿でする予定。

同じような事は歴史の授業にも当てはまる。まあどの国も小学生に教える歴史の内容は自国が中心で、ここイギリスの2年生の歴史の授業内容も1660年のロンドン大火、フローレンス・ナイチンゲール、チュウーダー朝のヘンリー8世、エリザベス1世、ヴィクトリア女王、エリザベス2世ってところ。

でも見識があって教養の深い私の同僚かつ担任の先生は、フローレンス・ナイチンゲールについて教える時に、同じ時期にフローレンス同様クリミア戦争で負傷した兵士の看護につくしたスコットランド人とジャマイカ人のハーフ、看護婦のメリー・シーコールについて子供たちに教えることも忘れないし、かつて大英帝国はイギリス人が誇る黄金時代と教えていたイギリスの歴史を、植民地化された人々の生活がどうだったかもちゃんと教える良識も持ち合わせているから、私も隣にいて心から嬉しく思う。

まあ子供は賢いので、ヘンリー8世に6人の妻がいて、そのうちの2人を処刑したなんて聞いたら「この王は良くない、恐ろしい王、なんか気まぐれな人間みたい」とこちらが説明しなくてもちゃんと人間観察はできている。

その上今年のクラスはほとんどがロンドン生まれだけれども外国籍だし、担任の先生はアイルランド人とイギリス人のハーフ、そこに私がいるのでイギリスの歴史を学ぶって言ってもやっぱり他国の歴史を観察するって感じでなんかおかしく思えてくる。「あー気の毒に~」ってな感じ。

とにかくアートの先生が私になってしまったかわいそうな2年生児の為に日々インターネットでアート情報を検索している私。教えている私が実は一番学ばさせてもらっている感じだ。

みんな頑張ってる。

日本ではまた緊急非常宣言が出された。

大阪でレストランバーを経営している私の弟。通常ならお昼と夕方から翌朝5時ごろまで営業している弟のお店も営業時間を大まかに削り、2月7日までは夜は午後16時から20時までの短縮営業をするはめになった。

多くの飲食業界で働いている人と同様、弟も方向転換をして今はお持ち帰りで勝負をしている。

先日人気メニューのフィッシュアンドチップス、チキンバーガーに加えて特製日替わり弁当をインスタにあげていた。

なんとそのお弁当はひとつ600円、物価高のロンドンでは考えられない低価格だ。

この価格で美味しいお弁当が買えるのなら、私は毎日買うやろうし、友達にも自信を持ってすすめることができる。そして外国人のお客さんが多い弟のお店だけにフィッシュアンドチップスは喜んでもらえてると思う。

「弟よ~、そして飲食業界で働いておられる方々、必ずいい時が戻ってくるので今の時期を頑張って乗り越えていって~!!!」 大阪の人もどうぞ応援お願いいたします。(viento_shinsaibashi )

こうして頑張っているのはもちろんどこでも同じ事だと思う。

先日もファーマーズマーケットに行く途中、Notting Hill Arts Clubをみて感激した。

Notting Hill Arts Clubはその名のとうり通常はクラブ。でも営業規制がかかっている今はThe  Hatchという名で店頭でコーヒー、紅茶や甘いものを売っている。セールスポイントはお客さんがコーヒーを注文して出来上がりを待っている間、お客さんの好きな音楽をリクエストでかけてくれて聴けるところ。

The Hatch

いきな考えとフレンドリーなスタッフ。そしてそんな地域のコミュニティーを応援しようといろんな人がコーヒーを買いに来ていて、いつ通ってもその小さなお店の前には行列ができている。

我が家が時々注文するシナモンロールを作って配達してくれるBuns From Homeも素晴らしい。

これもコロナ禍の中で生まれたアイデアだ。去年の春のロックダウンの間、実家のキッチンからシナモンロールを作って出前のみで営業していたBuns From Home。自分で広告を作りまずは近所にチラシを配って営業活動を始めたものの、瞬く間に人気を集めた。そしてクラウドソーシングで資金作りができた今では小さなお店をPortobelloに構えるまでに成長した。

ご近所さんの情報サイトnextdoorにもプロじゃないけれども得意な料理を生かして、家庭のインド料理やケーキを売っている人の情報を時々見かけるし、こちらも頼んでみようという気にもなる。

とここまで書いたら、大阪の弟から電話が入った。

「いろいろと大変な中できることをやっている。去年のクリスマスにたくさんのお客さんがローストチキンの注文をしてくださってせっせと料理をしている時、久々に料理をしている喜びを感じたし、もっともっと人に喜んでもらえるものを作っていきたい、大変な今だからこそチャンスも見える。」とポジテッブなことを言っていた弟、これをきいて嬉しくなった私。

ほんとどんな時にも見方を変えたら、何か光るものが見えてくるもんやね。

土曜日

天気が良かったので散歩がてらファーマーズマーケットに買い出しに行ってきた。

ロックダウン中に野外のマーケットが開いているのはほんとにありがたい。地元産の新鮮な野菜を見ると何が旬かすぐにわかる。

でも今日感激したのは、もう水仙(Daffodil)が出回っていたこと。普通水仙が市場に出回るのは2月下旬から3月、4月と思うので、ある意味では早すぎると思うけれども、イギリスの春の色、楽しみのひとつの水仙やヒヤシンスがマーケットに登場すると、春もそんなに遠くないと希望をもたせくれるからすごい!

今年初の水仙

ロックダウン中の1月をどう過ごそうかと家族で話した。長女の提案はDry Januaryと言ってアルコールを一切たつ事、でもすでにお正月にシャンパーンやプロセッコ、ワインを飲んでしまったのでこれは無理。

次にVeganuary(1月はヴェーガン食だけを取る事。)でも冷蔵庫にまだお肉が残ってるし、菜食ならできるけれども、動物性の食べ物を一切取らないヴィーガン食には魅力を感じないからこれもダメ。

結局ダンスの他にヨガをすることに決めた。

毎年1月にはホリデー中に暴飲暴食をした人や何か新しい事をしようと考えている人に、雑誌や新聞はスポーツを奨励する記事を多く掲載し、今人々の意識が健康や運動に向いている。

そお言えばロックダウン中にはいろんなYou Tuberがエキササイズ用の番組を立ち上げていたが、その中でもJoe WicksのPE with JoeやJust Danceにお世話になった人はかなりいたはず。実際Just Danceは振り付けも覚えれてとても役に立つ。

今朝の人出。もっといっぱい人がいた。

それにしても今朝も人出が多かった。今のロンドン噂では20人に1人の確率で新型ウイルス感染者がいる計算になている。

オーストラリアのキャンベラに住む夫は、今月の2日にブリスベンからキャンベラに戻るためにブリスベン空港にいた。しばらく感染者ゼロが続いていたブリスベン、でもここにきて2日ブリスベン空港で働いていた清掃係の女性が、英国で猛威を奮っている感染力のたかい変異種に感染してることが判明した。

これを受け2日にブリスベン空港にいた人に全員に1週間の自主隔離が義務付けられた。

感染者1人でこの対応。20人に1人が感染者と言われているロンドンでは人での多い散歩も楽しめる。この違いって国民性の違いが現れていて興味深い。

とにかく今日はマーケットでキャベツ、黒キャベツであるカーボネロ、芽キャベツ、かぶ、エシャロット、パースニップなどの旬の野菜を買い込んだ。カーボネロはポルトガル料理の代表スープであるカーボベルデを、エシャロットはギネスビールと一緒にビーフシチューに使う予定。

マーケットで買い物した日は、なぜか料理にやる気が出てくる。こうやってロックダウンを乗り切っていこ~!

またロックダウン

気がついたら1月も、もう7日がすぎていた。その間に再度ロックダウンが始まり、私の仕事も完全にオンラインに切り替わった。

ここ2週間で確かにマスクをつけている人が増えたような気がするけれども、いつものように公園に行くとやっぱり人出は多いし、今更ロックダウンと言われても、実際の生活はほとんど変化していないのが実情。

あっ、でもやっぱり人との距離を取って歩く人が少し増えたかな?咳なんかしてる人がいたら思わず見てしまうのも本音。それをするのはいつもおっちゃん世代が多いのも実情。

でもクリスマスやお正月が終わった今またロックダウンが始まり、仕事や勉強も始まり、寒さも増し、ちょとブルーな気分になりやすいんじゃないかな?

今も職場の同僚が、Netflixで見れるお笑い番組の紹介のメッセージを送ってきた。

そお言えば去年の私はNetfilxで韓国ドラマにはまり、今はお休みしているけれども韓国語の勉強も始めた。韓国人俳優、女優の名前をハングルで読めるようになったときは嬉しかったのを覚えてる!やっぱり何かを始めるべきか?

火曜日の授業では子供たちと今年の抱負について語りあった。もっと読書する、もっとピアノの練習をする、子供の中にはもっと水をたくさん飲むっていうのもあった。私も含めてホリデー中に食べ過ぎた大人達はみんなもっと運動をするって言っている。

とにかくイギリスの小学校のほとんどが自宅でのオンライン授業に切り替わった今、大人は勉強意外に子供達のWellbeingと言って精神状態もモニターしていかなければならない。

去年の3月下旬に始まったロックダウン、皮肉なことにロンドンはその日から輝くような晴天が続いた。うちの学校でもオンライン授業は午前中だけで、午後はクラブと課題が中心、なるべく子供たちが家族で野外での時間を過ごせるような時間割を作った。

今回はこの時期の天気が良くないのと、当初自宅でのオンライン授業は2週間だけと政府が言ったのが理由で、私が勤める学校も通常と同じ時間割で授業を始める計画を立てていた。

でも1日たって、政府がロックダウンを6週間伸ばした今、今後の時間割をどのように変えるか学校側は今再考中。

小さな子供にも、私のような大人にとっても何時間もコンピューターの前に座っているのはとても苦痛な事。でも今はこれがコミニュケーションの一つだから、zoomでパーティーをしたり、運動をしたり、いろんな工夫を凝らしてオンラインでの授業を盛り上げていくしかない。

誰もがいいことを期待している2021年はまだ始まったばかり、とにかく気分良く生活していく事を心がけないと。自分が何をしている時1番幸せな気分になるか?

私はラテン音楽を聴いて毎日踊ることにした。

散歩中に通ったケンジントン宮殿