伝統行事

昨日は突然近所に住む日中ご夫妻から「チャイニーズ ニューイヤーイブのお祝いで水餃子を作るからこない?」とお誘いの電話が入った。

同時にご両親がオーストラリアに住んでいる長女の中国人の友人からも「仕事が予定よりも早く終わったし、それに今夜は旧正月の大晦日だから一緒に中華食ベに行くの付き合って」とメッセージがきた。

気のいいご近所さんは娘の友人をも誘ってくれて、私達は急遽チャイニーズ ニューイヤーイブを美味しい餃子とローストダックでお祝いする事になった。

多国籍都市ロンドンに住んでいると、自分の国の伝統行事だけでなくいろんな国の伝統行事もお祝いする機会に恵まれ、楽しい時間を過ごせることになる。

旧正月の今日、私が働く学校の給食は一応中華風だったし、児童もスタッフも赤色の服を着て、中国人の子供たちはみな素敵なチャイナドレスを着てきた。食後にはみんなでフォーチュンクッキーを食べたけれども、いつもおしゃべりでやんちゃな子のフォーチュンには「人の話をいくと人生が良くなる!」と書かれていてみんなで大笑い。

先週の25日は、亡きスコットランドの詩人ロバートバーンズの誕生日を祝って給食はスコットランド料理のビーフパイ、ローストポテト,ローストパースニップが賄われ、朝の朝礼ではバーンズ作詞の、日本ではホタルの光と呼ばれるAuld Lang Syneを皆で手を繋いでみんなで歌った。

次なるお祝いは3月のアイルランドの聖人、セントパトリックデイ?

そうやその前に明後日の節分がある。

節分と言えば去年、恵方巻もどきを作って南南東かどうかもう覚えてないけれども、その方角をむいて黙々と一気に恵方巻を食べ、終わった瞬間みんなで爆笑した事があったけ、やっぱりいろんな行事を楽しむべきだと実感した瞬間だった。

私を含め外国に住んでる日本人なら、海外で迎えるお正月に一抹の寂しさを感じたことがあるはず。私も毎年家族に「お正月ってこんなもん違うで」とブツブツ愚痴をこぼしてしまい「それやったら何でもっと努せえへんの?」と返されてきた。

何でも揃っているロンドンでもおせちの材料は手に入りにくいので、お節を作る気力は湧いてこない。今年も頑張ってお雑煮、紅白なます、茶碗蒸しは作ったけれど、あとは手巻きで、お正月らしさ度は低かった。

そんな事もあって、今年は日本の伝統行事をおこなって日々の生活に色を添える決心した。

と言いながら2日後に恵方巻を作るには、もう日本の食材店に買い物に行く時間の余裕がないかも、せめて豆まきだけでもしてみよう。子供の時自分の年と同じ数の豆を食べたのをよく覚えている、楽しかった思い出だ。

そしてお雛さん。必ず実行する為に3月3日には巻き寿司を作る約束を学校にした。これでうちのクラスの子供達も異文化の伝統行事を経験することになるし、そこでまたたくさんの笑いがあると思う。

伝統行事、大切にしていこう。

具揃いなのは私が作った餃子

ナイジェリア小説

一月もそろそろ終盤を迎え、早朝も真冬独特の暗さから少しずつ脱却し明るさが増してきて、時には午後の気温が二桁代になる事もあり、春もそんなに遠くないと感じられ、そんな時私は不思議と幼少時の春を思い出してしまう。

それはお雛さんの頃だったり、子供の日に食べた大好きな柏餅だったり、なぜかわからないけれども春の気配が郷愁を誘い、そのまま思いは子供の頃に舞い戻る。

今月は読書に没頭した。

夢中になって読み終えた本は、邦題「半月登った黄色い太陽」というナイジェリア人作家、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの作品で、著者はこれで英国女性小説ベイリーズ賞を受賞している。

この小説の舞台は1960年代のナイジェリアと1967年から3年間だけアフリカに存在して、ナイジェリアに滅ぼされたビアフラ共和国で、ストリーはそこに生きる3人の人物を中心に繰り広げられる。

アフリカ人は国への帰属意識よりも各部族への帰属意識が強いらしい。考えてみるとあるヨーロッパの国々に植民地にされる以前には、現在引かれた不自然にも直線的な国境線は存在していなかったわけだし、国境線後にアフリカ各国様々な部族が共存しながらも、時には衝突があっても仕方のない状況があった。

日本人にとってナイジェリアはヨーロッパ諸国同様文化的に遠く離れた世界なのに、この小説が描くナイジェリアにはまたもや私が幼少の頃にかいだ匂い、特に夏の午後の気怠い匂いを連想させる場面が何度かあり、時にノスタルジックな思いに浸りながらの読書タイムだった。

それはまだ古さが残る昭和時代に似通った空気感があるからかな?

そんな事でナイジェリアに興味を持ちだした私は、一番興味のある食文化についていろいろ検索してみた。ナイジェリアの北部はイスラム教徒の遊牧民ハウサ族、西部はイスラム教徒の農耕民ヨルバ族、そして私が読んだ小説の舞台である南部にはキリスト教徒イボ族が住んでいて、それぞれ異なった食文化を持つ。

ストリーの中にもペッパースープ、パームワイン、ヤムやキャッサバが何度か出てきたし、シチュー料理がとても多い。You tubeでナイジェリア料理を見ているとトマトソースをベースにしたシチューの場合、オレガノ、カレー粉、ガーリックパウダー、オニオンパウダーなどを大量に入れてどれも味付けがかなり大胆なのが特徴。

私が働く学校のヘッドシェフもナイジェリア人で、彼女のナイジェリアの実家は中華レストランを経営している。確かに彼女が作る野菜炒めは、名前は野菜の照り焼き炒めで、味は中華風というかオイスターソースに甘味を足したこれも大胆な味付けだ。

数あるナイジェリア料理の中でも全国的に食べられているJollif Riceはトマトと赤ピーマンのソースで作られるピラフで、どこにいても簡単に作られる料理。

まずはトマト、赤ピーマン、玉ねぎをミキサーにかけてペースト状にしておく。

次にフライパンにベジタブル油でみじん切りにした赤玉ねぎを炒め、トマトピューレを加えて20分ぐらい煮詰める。

そこにチキンストックキューブ、ドライタイム、カレー粉、ガーリックパウダー、ベイリーフ、塩、水を加えてよく混ぜ、お米を加えてアルミホイルでカバーし、さらに蓋をしてライスが炊けるまで中火で煮込む。

このとき使うのは日本米ではなくバスマティなどのインディカ米。これはお肉にもお魚に付け合わせにぴったり!

小説の中で出会う料理にはこちらの想像力がフルに働き、読者の頭の中には実物とはかけ離れた料理が出来上がってしまうが、Jollif Riceは陽気なナイジェリア人を連想させる魅力があるように思う。

休み明け少し気が重くなりそうだった1月は、ナイジェリア小説に楽しませてもらった。

今はロンドン生まれのナイジェリア人作家の本を読んでいる。しばらくはこの文化から刺激を受けそうだ。

ペルシャンテーとスイーツ

オックスフォード、ケンブリッジ大学の受験

寒い冬が訪れ、今年もまた受験シーズンがやってきた。

今週はオックスフォードとケンブリッジ大学、合わせてオックスブリッジの面接の結果が出た週。知り合いの娘さんと小学生の時から知っているうちの学校の高校部門の生徒も2人無事にオックスフォード大学からオファーが来て、私までホット嬉しい気持ちになってきた。

イギリスの大学受験のプロセスは日本のそれとは違っている。そんな中でもオックスフォードとケンブリッジ大学の場合は合格まで三つの難関を突破しなければならないし、まずはオックスフォードかケンブリッジのどちらかひとつをえらばなければならず、両方は志願できない制度になっている。

まずは9月に入ると、自分がいかにその学問を極めたいかを学術的にアピールするpersonal statementを書いて希望のカレッジに送る。これがまたきれいに上部だけを飾るような書き方ではなくて、自分の学びたい分野がどんなに興味深いかと言う事を述べていくんだれれども、今まで読ませてもらったpersonal statementのレベルの高さにはびっくり!

海外ではオックスフォード大学、ケンブリッジ大学と知られているけれども、各大学ともいろんなカレッジから成り立っているので、あらかじめよく調べてから、自分にあったカレッジを選択をしなければならない。各カレッジともいろんな特徴があって、例えば公立高校出身の方が有利で、思想が左寄りと言われているカレッジ、私立校出身者が比較的多いと言われているカレッジ、経済的に余裕があって奨学金が整っているカレッジ、いろんなイベントが多いカレッジとその選択も簡単ではない。

とにかく自分の希望している研究への情熱を知的にアピールした文書と、学校からのレポートをもとに大学が志願者を面接するかどうかを決めて、うまく面接までこぎつけたら12月の頭に面接が行われる。

この時点で志願者の半分が振り落とされると言われている。面接の内容は自分が研究したい専門分野について重点を置かれると言われているが、何をどの方向から聞かれるか全くわからないので、いろんな関連書籍や、研究者の論文を読んでいるのを前提に準備していかないといけない。

うまく面接でオファーを受けてもこれが最後ではなく、春に全国一斉におこなわれるA levelという試験があり、自分の選択した3科目を受験する。8月の中旬に結果がでるが、その試験の結果がA star(85%)A(80%)A以上なら入学可能です、とうような流れになる。

面接でオファーを受けても、8月の試験結果で点数が足らずに入学不可になるケースもある。うちのご近所さんの息子も最終試験の結果がでわずか一点差で、ケンブリッジ行きを見逃してしまった。

そして時には、オックフフォードとケンブリッジはもっと公立高校出身者を受け入れるべきだと政治的圧力がかかって、学力があっても私立校出身者が不利になる場合もあったりする。実際にずーっと私立の学校に行っていたのに最後の2年だけ公立高校に転校して受験をした人達も知っている。とにかく一筋縄ではいかないのがオックスブリッジ。

それでも学力がある生徒にとっては憧れの大学であることは間違いなく、教授と一対一のデスカッションや、マントを被って、ラテン語でお祈りを捧げるフォーマルな夕食会、カレッジ内での生活など、両大学ならでの学生生活が魅力で、内外かかわらず毎年かなりの数の学生が志願してくる。

有難い事に、私は娘と彼女の友人を通してケンブリッジ大学生活を垣間見させてもらった。

「あーもし次生まれ変わったら、今度こそんはちゃんと勉強して私もケンブリッジ大学で学びたい」と思わせるような輝いた学生生活だった。

今年オファーをもらった学生には本当に最終試験で頑張ってもらいたいとつくづく願う。

クリスマスリース、2021

クリスマスも、26日のボクシングデイもあっという間に過ぎていった。我が家では3年連続で夫不在のクリスマス。それでも25日は朝早くからオーストラリアにいる夫、義父、義妹達とフェイスタイムでクイズをしたりしながら我が家のクリスマスを楽しんだ。

と言いつつ夫不在が3年目にもなると、さすがにかつて家族4人揃ってクリスマスをお祝いしていたのが遠い昔のように感じてしまう。

お肉を食べない夫の為、我が家の伝統的なクリスマスランチはいつも生牡蠣、マグロのカルパッチョ、舌びらめ、クラムチャウダーなどの魚介のオンパレードで、娘と私は時々「あ~うちもロースト料理を食べた~い」なんて思ったりしたけれども、イギリス風のロースト料理に切り替えた今になっては、かつての私たちのクリスマス定番料理が恋しくなったり、毎年いつも夫が生牡蠣のからを開てくれていた姿が妙に懐かしくなってきた。

有難いことに長女がメインシェフを務めてくれて、ターキーじゃないけれども大型チキンのロースト、クリスマス料理には欠かせないベーコンで包んだソーセージ、ミンチの詰め物、赤キャベツ、芽キャベツとベーコン、ローストした野菜などの全ての付け合わせ、そして仕上げにはオーストラリアのクリスマスケーキ、パブロバを焼いてくれて、みんなでワイワイ美味しくいただきその後はゲームを楽しんだ。

でも時は変わったと実感する。

コロナのせいで家族全員でクリスマスを過ごす事ができなかった人が今年も実に多い。

自宅でおこなうラテラルフロー検査ではいつも陰性結果が出ていたのに、フライト前のPCR検査で陽性結果が出た為、急遽自国に戻れなかった友達が2人もいた。

特にご主人と娘さんが先にポルトガル入りしていた友人Iと息子のCは、予想もしていなっかったPCR検査結果に大ショック。私の親友Aも2年ぶりの家族でのクリスマスを楽しみにしていたのに、2週間前にコロナにかかっていた彼女の長女のPCRが、まだ陽性と出てしまった為に出発当日に南アフリカ行がキャンセルになった。

娘の友達の中にはお父さんと長女が陽性になり、お母さんと次女はおじいちゃん宅に隔離してクリスマスを別にしていたし、ギリギリ24日まで自宅隔離をしていて25日に家族に合流した友達もいる。その他家族の誰かがコロナにかかり、祖父母や親戚とのクリスマスができなかった人たちも知っている。

今のロンドンでは20人に1人がコロナに感染していると言われているけれども、私の界隈では4人に1人は陽性者のような印象を受けるし、医者の友人は今ではもう陽性者の全てをオミクロン株として扱っていると言っていた。

政府はお正月前にイングランドにはコロナ規制を導入しないと言っているが、1月に入るとまたロックダウンになると思っている人は多いはず。

リスボンからクリスマス休暇で戻ってきている次女は、PCR検査で陽性となるのを恐れるあまりこれから帰国日までは誰とも逢わないつもりでいる。でもそれって一緒に住む私と長女はどうしたらいいの?大晦日には予定も入っているのに!

あーまた2022年もコロナに振り回される日々が来るんかい? それが嫌で昨夜は家族で2022年のホリデープランを立ててみた。

ご近所さん パート4

先週末、うちのフラットの地下のご近所さんがクリスマスパーティーを開いた。

最初は「あーまたパーティーやってんなー、真横と真上に住んでるご近所さんはめちゃくちゃ迷惑やろうなー」などと気楽に構えていたけれども、午後11時になっても鳴り止まな音楽に、いつもと違ってマリファナなんかでハイになっている人だけが好みそうな、儀式的と言うか呪術的なドラムの音と、うちの暖炉のスペースを通って上がってくるきついマリファナのにおいに3階に住む私達家族も心落ち着かず。

午前3時にうるさい音楽の音で目が覚め、午前5時にまた目が覚めた時もまだ異様な音楽が鳴り響き、人が叫ぶ声も聞こえてきた。

そして午前8時を回って、オーストラリアに住む夫からファイスタイムがかかってきた。

第一声が「大丈夫、ちゃんと寝れた?すごい騒音やったらしいね」 

騒音とマリファナの匂いにたまりかねた1階の住民が、香港にいる彼らの大家さんにメッセージと証拠ビデオを送り、時差の関係で夫と1階の所有者はこのフラットの住民より先に深夜から早朝にかけて何が起こっていたか知ることになった。

どうやらパーティー参加者はみんなマリファナよりもきついスカンクをすっていて、夜通しいろんな人が出入りしていたらしい。うちのフラットの地下には2世帯入っていて、外からは入る時はその2世帯は同じドアをとって中に入る。

地下に住む別の世帯は女性の一人住まい。その女性は「怖くて怖くてずーっと泣いていました、ずーっと警察に電話をしようかどうか迷っていて朝を迎えました。この問題をどう解決したらいいかわかりません、皆さん力を貸してください」と私達住民全員にメールを送ってきた。酔っ払ったパーティー客が間違って彼女のドアを叩き続け「早く開けろー」と叫んでいたらしい。

彼女は怖かったに違いない、本当に気の毒だ!

その後住民同士でのメールのやりとりがあり、パーティーを起こしたフラットの所有者が「この度はご迷惑をかけて申し訳ありません。借家人には十分に注意をしました。深く反省しているようです。私からは彼に皆さんのお宅に謝りに行くようにアドバイスしましたから、もし彼が謝りにきたら報告してください」と言うメッセージを送ってきた。

これにはみんなブチギレ。ここに住んでいないその所有者は単なるパーティーだから謝って済まそうとしている。でも9月から続くマリファナの匂いの事や、度重なるパーティーのことはわかっていない。

2歳の子供さんがいる1階の住人はカンカン!

そこに4階に住むご近所さんがパーティーを起こしたフラットの所有者に対し、とても厳しい口調で「こんな反社会的行動はもう許されない、今回が初めてではないのでただちにあなたの借家人との契約をうちきってもらいたい」と最後通告を出した。

普段はニューヨークに住む2階の所有者がクリスマス休暇でロンドンに戻ってきた日がパーティーの行われた日。彼らはほとんど寝る事ができなかったらしい。このご近所さんは行動力があり、今その彼が早速地域の自治体とやりとりし、法的な処置を見てくれている。

有難いことにパーティーを開いた住民は今姿を消してロンドンにはいないよう。マリファナの匂いもあれから漂ってこない。

折しも今週のロンドンはコロナ感染者の数がうなぎ上りに増え、今コロナにかかってしまって自宅隔離をしている友人、知人がいっぱい。そして今宵はクリスマスイブ、聖なる日を目にしてみんな穏やかに時を過ごしたい。

でも普段あまり交流のないご近所さんだけれども、今回の件でなんか助け合いの精神、団結力を感じさせてもらえた。明日のクリスマス、上に住む一人暮らしのご近所さんにケーキのお裾分けでもしてみよう!

お葬式

先月、長女の中、高校時代の同級生のお母さんが、まだ60歳と言う若さながらもがんで亡くなられ、今日は娘と私でその彼女のお葬式に行ってきた。

彼女のお葬式は、敬虔なカトリック教徒であった彼女が一番望んでいたであろう形でおこなわれた。ロンドンの中でもかなり規模が大きくて内装も美しいブロンプトン、オラトリー教会で、カソリックの儀式にのっとって神父さんが祈りを捧げ、賛美歌が歌われ、厳かな空間の中多くの参列者を迎えての葬儀だった。

実際シューベルトのアベマリアを聴いていると、頭上に金色に輝いた亡くなった友人がみんなに「今日は来てくれてありがとう」と言っているような気がしてきた。

教会でのミサが終わると、参列者は全員教会に隣接したホールに移りそこで食事とドリンクが振る舞われ、家族や友人と故人をしのびながらのお別れ会となった。

彼女のお葬式の場合、亡くなられてから1ヶ月以上経ち、感情的に彼女の死を受け入れられる事ができた為か、悲しさが残る中にも、みな故人の生きてきた人生をたたえ「本当にお疲れ様でした」という心温まるお別れだったような気がする。

そしてお葬式に参列すると誰もが人生について考えるはず。

最後の哀悼の辞で娘さんが「母は本当にいい人生を生きました。ただなんとなく存在していたような人生ではなく、いろんな経験をし、ボランティアに熱心で常に困った人を助け、情熱を持って充分に生きた人生でした」と言っていたが、まさにこれは誰もが望むところだろう。

こんな機会を与えられなかったら人は1日1日をフルに生きることの大切さを忘れがちになる。

誰もがいつかはこの世を去る、ならばほんとに気持ちよくフルに生きたい、そして彼女がそれを教えてくれているような気がする。

フィリピン出身で、兄弟姉妹が9人もいる彼女。コロナ禍で容易にロンドンに来れなかったフィリピン、アメリカ、オーストラリアにいる親族80人は今日はLive Streamでお葬式に参加された。

折しも今経営コンサルタント会社で働いている長女のプロジェクトが、とある会社のお葬式サービスなので、私たち家族のお葬式にかかる費用についての知識も豊富になってきてた。

一番安い火葬の場合だとかかる費用は800ポンド(約12万円)でもその価格では火葬の時刻も家族に知らされないとか、一番安い棺はカードボード製で450ポンド(約6万7千円)とか、お葬式も立派なビジネスだとつくづく実感している。

でもその観点から今日のお葬式を見ると、いい棺に立派なお花、お食事にはフィリピン料理も出されてすごく参列者思いで、最後にご家族が心を込めてお葬式の準備をされた事が手に取るように伝わってきた。

きっと彼女はとても喜んでいたに違いない。

ありがとうジーナ、お疲れ様でした。

自宅隔離

気がついたら12月もすでに5日が過ぎている。自分の誕生日月とクリスマス休暇がある12月が大好きな私にとって、この時期をひたすら自宅で隔離しているには、外はあまりにも美しく眩しすぎる。

コロナに感染したと言っても、有難い事にごく普通の風邪をひいた時と同じ症状がでているだけで、むしろ第一回目のワクチン接種後の副反応の方がきつかったぐらい。とてもマイルドな感染にワクチン接種と免疫力に大感謝。

ここまでマイルドだと心配してメッセージを送ってきてくれる友人に「大丈夫よー」と切り返してもなんか信じてもらえてないような!!それと家族や友人には「本当に大丈夫」と言ってみんな「よかったねー」と返してくれるけれど、こと同僚に報告する場合はなんかちっと気兼ねをしてしまう。

以前日本にいる友達が「職場でのコロナ感染第一号者には絶対なりたくない」と言っていたが確かにいろんな意味で職場には気を使ってしまうのが本音。

もちろんコロナに感染したからには自宅隔離は当たり前の事だけれども、ここまで症状がマイルドだと、今人手不足で忙しい思いをしている現場の事を理解しているだけに、なんか自分が家でゆったりと時を過ごしているのが申し訳ないと言う思いが湧いてくるから仕方ない。

気のいい同僚はみんな「心配せんとここはゆっくり休養して、仕事の事は一切考えといてね、健康第一やからね」と優しい言葉をかけてくれるが、そう言ってくれるだけにこちらとしては余計に「ごめーん、私はほんまに元気すぎて、この姿は見せられない」なんて思うし、ちょっと大げさに「うーんまだちょっとしんどいからすーっと寝てるねん」なんて言った方が気配りができていいかなと思ったりもする。

同時に感染した同僚はまだ熱が少しあると言っているし、ここは何も言わずに静かに療養してるのが一番やね。

PCR検査結果が陽性となった時にNHS(国民医療サービス)にオンラインで報告をしなければならない。私の場合はPCR検査セットが1日半遅れでやってきて、検査結果が出た頃の私はすこぶる元気だった。だから「あなたには現在これらの症状がありますか?」という質問項目の中でただ一つ、味覚がないという項目だけにはいと記述をし、味覚がなくなった日を記した。

あーそれがそもそもの間違い!本来ならばコロナの症状が出た最初の日を書くべきだった。

いつまで自宅隔離するべきかを計算するCovid Timerは、私が味覚を失った日を症状が出た最初の日と捉え「はいあなたの自宅隔離は12月11日が最終日です」と言ってきた。

違う!初めに熱が出たのが11月28日やから私の自宅隔離は12月8日までで、私は9日から職場に戻れるはず。NHSに電話をしてもTest and Traceと言う感染者がちゃんと家で隔離しているかを確認してくるチームの人しか、私の自宅隔離の期日を変える権利がないと言う。

でもそこからは一向に電話がかかってこない。

仮に今でも咳き込んでいたりしたら、迷う事なく大事をとって11日までの自宅隔離を受け入れるだろうけれど、こんなに元気ならなんかずる休みをしているようで、気が引ける。

でも冬休みに外国に帰省する同僚達は、症状がなくてもコロナ感染したばかりの人との接触はできれば避けたいと思うんかな?

なんか本来の病気とは違うところで、あーやこーやと気を揉んでしまう私。でもほんとに今回のコロナ感染が軽い症状だけでほんとに有難い。あー早く事が落ち着いて、本来の12月を純粋に楽しみたいと心から願う。

まさかの陽性

まさかの検査結果。

土曜日には二度もラテラルフローのコロナ検査をして二回とも陰性だった。その夜はちょっと疲れを感じ早めに就寝、翌朝あれっと思いまたラテラルフローの検査をしたら、なんと陽性結果が!陽性を示す線がくっきりと浮かび上がってきている、と同時に体が熱くなってきてしんどさが増してきた。

心あたりはあった。先週同僚の一人に陽性者が出て、その同僚と同じ空間で仕事をしたばかりだった私。それ以来ほとんどのスタッフが日々コロナ検査をやってきたものの、週末になるとその同僚のクラスで働いていた他三人のスタッフにもコロナ検査後陽性結果がでた。

そして月曜日の早朝、さらにスタッフと児童の中に陽性者が出たので、月、火は学校は閉まって授業はオンラインに切り替わり、学校側は児童、スタッフ全員とにPCR検査を要請。

水曜日である今日学校は再開したもののスタッフが6人も休みで、学校にいる同僚には本当に仕事のしわ寄せが来て申し訳ない気持ちでいっぱい。

PCR検査セットが1日遅れてやってきたので私は今の時点でまだ正式な検査結果を待っている状態。でも咳もあり、さっきピーナッツバタートーストを食べたら味がしなかった今自分は陽性だと確信している。

でももし陰性結果が出て、この咳と鼻詰まりの私が職場に戻ったところで大好きな同僚達に申し訳ないし、はっきり言って行ったら迷惑状態になる。陽性とちゃんと判明した方が気が楽なものの、それを望むのもなんとなく気がひけてくる。複雑な心境!

でも今のところは普通の軽い風邪と同じ症状だから、ここはワクチン接種と自分の免疫力に感謝するしかない。

折しも今は世界中で変異種であるOmicronが恐れられているから日本やオーストラリアにいる家族はびっくりして心配してくれている。私の場合は同じコロナといえども世間が言っているOmicronとは全くの別の病気のようだ。

ちょうど土曜日の日中は仲良しの南アフリカ人の友人A宅で一緒にペレトンをして大汗をかいた後二人で超密世界であるサウナに入ってベラベラおしゃべりを楽しんでいた。彼女は至る元気で、私たちはあんなに近くにいたけれども彼女の検査結果は陰性。

この友人はまだワクチン接種がすすんでいない時にコロナにかかってしまったけれども、その時もほぼ無症状だった。免疫力がかなり高いんやろーね。2年ぶりに南アフリカにクリスマスに帰れると喜んでいた彼女、残念な事に今年もその願いは断念する事に!

ほんまにこの冬はどうなっていくんだろう。これからクリスマスに向けてパーティーシーズンが始まろうとしているのに。多分イギリスの首相はパーティーOKでその後12月の末に問題が山積みされて1月にロックダウンと言うシナリオを用意している気がする。

今自分のコロナ感染よりも、次女がクリスマス前にちゃんとロンドンに戻ってこられて、またちゃんとリスボンに戻っていけるか、家族全員再会を目指す2月に夫がうまくロンドンに戻ってこられるかの方が心配。「あーもういつになったら脱コロナの世界が待っているんやろー」

と思いながら、急にできたこの時間、幸い症状が軽いのでゆっくり休んで読書でも楽しも。

韓国文化に惹かれて

時間がある時はついついNetflixで韓国ドラマを見てしまう韓国ドラマフアンの私。最近ではいろんな友人との間で韓国ドラマ、映画、Kポップの話題が上がり、世の韓国ドラマ人気をますます実感している。

韓国は国揚げて映画産業に力を入れてきたが、その努力が実りアジア圏での韓流ブームに始まり今や中近東、中南米、ヨーロッパでも韓国映画、ドラマ、音楽を知る人が多く、ここロンドンでも韓国文化は着実に存在感を高めている。

ついこの間もイラン人とベネズエラ人のママ友とお茶をしていた時、ベネズエラ人のRが「あーもう家に帰らないと、今夜はサッと夕食を作ってからゆっくり韓国ドラマを見る予定」と言い出すかと思えば、イラン人の友人Sは「娘が勧めるのでこれからSquid Gameを見る予定やよ~」

と言う。好きな韓国俳優のインスタを見ていると、likeをおしている友人の名前をよく目にしたりとこの現象がとても面白く感じる。

最近のロンドンでは日本人よりも韓国人の若者を目にするし、今年行ったグラスゴーやリスボン、週末行ったオックフォードでも韓国の食材屋さんや韓国バーベキューレストランを何軒か見つけた。ここ数年間は韓国人の留学生の方が日本人の留学生よりも断然多いはず!

私は学校でジャストダンスクラブを担当しているけれども最近では子供達からBlack pinkの曲をリクエストされたり、子供達がおやつに持ってくるのりは、日本の味付けのりと言うよりも塩控えめな韓国のり。

そお言えばキムチを食べる人、知っている人も増えてきている。最近行ったカフェでもサツマイモで作られたラップの中にひよこまめで作られたフラッフル、サラダにキムチが入っていていろんな人が食べていた。私はこの組み合わせでキムチとご対面してびっくり。

私がヨーロッパにきた80年代の終わり頃には東洋人と言えば日本人か、香港または台湾人しかいなかった。どこに行ってもみんなから「日本人?中国人?」ときかれ「あなたは韓国人ですか?」とは言われた事などなかった。でも最近では日本人かと聞かれる以前に「韓国人か中国人ですか?」と聞かれる方が多い。

とにかく最近私が見て感動した韓国ドラマはHometown Cha Cha Cha。ほのぼのとした恋愛ドラマといえるけれど、ドラマの中で交わされる会話に心動かされたり、メイン男優の人間像が好きで、大泣きするはとてもはまってしまった。

思えば私は14歳の時両親の別居に伴い韓国の人が多く住んでいるエリアに引越しし、10代後半まで韓国文化にどっぷり触れ合ってきた。私が接した韓国社会はとても暖かく、人々はとても情に厚く、そこでは隣近所が助け合い、友人の家に遊びにいくといつもご飯を食べさせてもらっりしていた。友人との間でも人情の厚い人がかっこいいとされていて、自分もそんな人間になりたいといつも思っていた。

Hometown Cha Cha Chaでは落ち込んだ主人公が「人は社会の中で生きていくもんだから外に出ていかないと生きていけない、だから出ていきなさい」とアドバイスを受けるシーンがあるが、私にとって韓国は人と人との距離が近い社会で、困っている人がいると近くで見守ると言うよりも、グングン近寄って助けるタイプの社会だったのを覚えている。

ソウルに一人旅をした長女も「すごく食べたい料理があったけれども、1人で食べるんじゃなくてお鍋のように他の人と分け合って食べる物だったので1人では注文できなかった」と言っていたが、まさにこれが韓国スタイル、ともに分け合う文化じゃないだろうか?

まああれやこれやいろいろ考察しながら、今宵も好きな韓国ドラマのワンシーンをちょっと見て寝るつもり。

手抜き料理 2

11月に入ってあっという間に13日もたってしまった。その上冬時間に入ったイギリスでは日暮れの時間も早まり、私が仕事を終える頃は日に日に暗くなっていく。

自宅から職場までは歩いて片道30分、その中の15分近くは公園の中を歩いている。公園のゲートは日暮れとともに閉まるので、冬の間のある一定期間は公園に着くともうすでにゲートが閉まっていて、そんな時は遠回りをせざろうえないし、家につくのも通常より15分から20分は後になる。

帰宅してからは夕食の支度をする前にコーヒーを入れてメールをチェックしたり、韓国ドラマをちょっと見るのが日常で、ついついだらだらとこの時間を楽しんでしまう。帰宅時間が遅くなると料理にかける時間もやる気も少なくなりがち!だからそんな時のためにすぐに作れて美味しい料理をいつも探している。

と言うより長く子育てをしてきて、家族のために日々料理をしてきた世代には「料理は好きだけれどもだんだん面倒くさくなってきた、最近は手抜き料理ばかり」と言う人が多く今の私がまさにこの状態!

それだからか最近料理上手、料理好きな友達と話すときはお互い手抜きレシピを交換することが多い。先週もなんでも作れる友人Rにこれは美味しいよとお墨付きなレシピを教えてもらった。

耐熱皿にフェタチーズ、チェリートマト、ペストを入れてオーブンで20分ぐらい焼き、その間にパスタを茹でておく。パスタの茹で汁を少しとっておき、茹で上がったパスタとオーブンに入れておいたフェタチーズと、茹で汁を混ぜ合わせるだけども、これがすごく美味しいらしい。なんとなく想像のつく味だけれども、美味しいものを知ってるRがここまで言うのなら今度作ってみようかなと思う。

他にも友人の娘さんのレシピで千切りにしたキャベツ、赤キャベツとエキストラバージンオリーブ油、小口に切った酢漬けの唐辛子、はちみつを加えてあえるサラダを教えてもらったけれども、これはとても美味しくやみつきになってきた。でも時間がない時はキャベツを千切りにするのもめんどくさいかな?

今年のイギリスの冬はかなり寒くなると言われているので栄養価が高いものをしっかり食べて免疫力を高めておきたい。こうなったらやっぱり野菜がたっぷり入ったスープを作りおきしておくのが一番。イラン人の友人Sも「最近料理するのがめちゃくちゃ面倒くさくなってきたけれどもお腹を空かせて帰ってくる家族のために豆のスープはいつも作ってある」と言っていた。

そう思っているとイラン人の友人Sが豆スープのレシピを送ってきてくれた。

玉ねぎとニンニクを軽く炒めてから小さく切ったニンジンとセロリを加えてさらに炒める。そこに茶色のレンズ豆、水、チキンストックキューブ、ベイリーフを加えて沸騰させその後1時間ぐらい煮込んでその後ピューレ状にする。彼女のレシピはギリシャ人のご主人好みでギリシャ風、ここにカリカリに焼いたベーコンを加える事もあるらしい。味つけにクンミンを入れたらアラブ風になるし、イラン風ならば玉ねぎのスライスを軽く揚げターメリックで味をつけてからスープに加える。チリペッパーを入れていただくとさらに美味しくいただける。

暗くて寒くなっていく冬の日々をいろんなスープ、パン、ワインでおうち時間を楽しむのもいいもんやね、キャンドルも毎日つけてみよーか!

私の小さな日本、家の前のガーデンにあるもみじさん