リスボン価格

リスボンからロンドンに戻って何よりも一番先に気がいくのは、なんでこうもロンドンで飲食をするのは高くつくかって事。各国の経済力の差や物価高の違いではあるのは確かだけれどもロンドンにも、もう少し価格低めで美味しいものを提供してくれるお店が増えてくれたらいいのにと強く願う。

ロンドンには個人または家族経営のお店が少ないような気がする。素敵なカフェやレストランは多いけれども、実はカフェAとカフェBの経営者は同じなんて事はよくある事実。

家賃や物価が高いロンドンでは個人経営のお店が成功するのが困難なのか?

昨日も軽くオレンジジュースとコーヒーを飲んで7ポンド88ペンス払った。日本円にして約1200円ぐらい。ついついリスボンのカフェと比較してしまう。うーんリスボンではコーヒーとハムとチーズのホットミックスサンドを食べても1人で5ユーロ(約600円)も払わない。その上どこで食べてもお母さんが作るような温かな味がするし、日本でモーニングサービスを食べているような感じする。ロンドンで同じものを食べたらおそらくその倍以上は払うことになる。

ポルトガルにはほどよく味付けされた煮豚をパンにはさみ、そこにマスタードとチリオイルをかけていただくビッファーナというストリートフードがある。めちゃくちゃ美味しくて2ユーロ50セントぐらい(約330円ぐらい)で食べれる最高のストリートフードだ。どの国にもこのようなストリートフードが存在するけれども、イギリスではストリートフードがあっても値段がすごく高いのが事実。

ビィファーナ

そしてリスボンでは日本にもあるような路地裏でこじんまりとした食堂を見かけることが多い。ポークチョップとフライドポテト、サラダや時にはライスもついて7ユーロ(約920円ぐらい)6ユーロのお店もあった。この値段でこの味はすごいというお客さんを喜ばしてくれるお店が多いんじゃないかな?特にお昼時間にビジネスマンが溢れているお店の光景は大阪のビジネス街本町、船場あたりとすごくよく似ている。

ロンドンにはこの光景があまりない。リスボンで見かけるようなおじいちゃんとおばあちゃんが2人でやっているお店ってロンドンにあるんかな? ロンドンを離れて田舎にでも行かないとそんな風なお店には出会わない気がする。

確かにロンドンでも中心地を離れていくと家賃も低くなっていくからそれとともに値段設定が低めのカバブ店や、庶民エリアに行けば必ずあるフィッシュアンドチップス店を頻繁に目にするが、最近ではほのぼのとした家族経営の個人店ってなかなか目にしない気がする。

まあ値段設定はお店の場所や規模、各お店がターゲットにしている客層といろんな要素を考慮して決められているとわかっているけどね。

そんなこんなと思っていると昨夜イーストロンドンで遊んでた長女が「お腹すいたから深夜に例のベーグルショップに行ってスモークサーモンとクリームチーズのベーグル食べてきてん、4ポンド20やで~、友人のWはヌテラのベーグルで1ポンド20やったわ!」と言っていた。

そう、そうあったあった1件東ロンドンで24時間営業している、イスラエル人の家族経営のお店ブリックレーンベーグルベイク店が、ソルトビーフのベーグルが有名だけれども、ベーグルのみならひとつ30ペンスで買えるお店。なによりもレトロな雰囲気のお店がいい感じ。

ロンドンにもストリートフードは増えてきているが、あーもーちょっと安く提供して欲しい。

これって私が大阪人やから特にそう思うのかな? ここで安くて美味しいものをだすお店やってみようかな~なんて考える事もある。しばらくいろいろと調べてみよう。

このお店ではお肉も魚もお手頃価格

異国生活

今回初めて海外生活を始めた次女を見ていて私は何度も自分が初めてスペインに住みはじめた頃の事を思い出した。

それは南スペインのマラガで、私はマラガ大学の外国人の為のスペイン語1年コースを受講し始めた。スペイン語はもちろん英語ですらあまり上手に話せていなかった当時の私は、2、3各語を上手に操る北ヨーロッパ人のクラスメイト達を目の前にして立ち往生。また1人になることを恐れていた私は必死に留学生の中に入り込もうと日々奮闘していた。

そんな中私は軽率にも「スペイン語よりもまずは英語を学ばなあかん」とマラガに住んで3ヶ月もたたないうちに英語学校に通うためにマラガを後にして英国のスコットランド、エジンバラに引越しをした。

言語の異なる世界に身をおくことがとてもしんどいことを私も身をもって知っている。

次女は2年間イギリスの大学でポルトガル語を学んできたので基本的な会話のやりとりは問題ないが、ポルトガル人の学生と肩を並べて学ぶ文学や美術史の授業では発言、聞き取りと授業についていくのが大変らしい。

イギリスの大学、特に彼女が在籍している大学には世界中から留学生がやってきて大学側の受け入れ体制が整っており、留学生へのサポートが多い。反対に娘が通うリスボンの大学には留学生はあまりいず、特別に留学生へのサポートシステムがない上に、これまたイギリスと違ってポルトガルの大学生のほとんどが地元の大学に親元から通うのが通常なので、高校時代からの友達同士で同じ大学に進学している同級生も多いらしい。

留学生の中にもポルトガル語は話せず、学ばず、英語で行われている授業だけを受講して単位を取り1学期間のみ留学するというほぼ文化体験コースだけを目的に来ている人も多いらしく、娘のように9ヶ月の在籍組は少ないらしい。

現在娘は大学が紹介してくれた学生向き1軒家の1室を借りて住んでいる。部屋数は全部で17もあるらしく台所と居間はみんなで共用、各階にあるトイレとバスルームは同じフロワーの人と共用使い。住み出した頃はドイツ人、フランス人、ベルギー人、スペイン人の男性8人と女性は娘ともう1人スペイン人女性だけで、家全体が男性色でいっぱいで、なかなか居間でゆったりする気にはなれなかったらしい。今週になってポルトガル人の女性が1人入居しだし、片付けをあまりしない男性群にはっきりと文句を言える頼もしい見方ができたと喜んでいた。

まあこんな中彼女なりに日々友達を作ろうと努力して暮らしているけれど、私と長女がいている間はせんがゆるんで何度か涙を流し、弱音をはいていた娘。

こちらは「絶対大丈夫やから!」と元気付けるしかない。

外国に住むって、行く前は夢でいっぱいだけれども1人で行く場合いろんなチャレンジを自分自身で乗り越えていかなければならないし、最初の1、2ヶ月は慣れるまで精神的にきつい事も多い。でもそれを超えた先には大きな物を必ず得られる。

あの街には必ず娘と心を通わせるようになるポルトガル人のお友達がいるはず。

先日もオーストラリアにいる夫が田舎街のパブで日本人と知り合いその後その日本人男性と息子さんを家に食事に招待した。

「あんな小さな村で日本人と、しかも大阪人と出会ってびっくりした」と夫は言ってたが出会いってそんなもん。

美しいリスボンの空を見て心から祈った。「リスボンよどうぞ娘に優しくしてください」と!!

リスボンの街並み

リスボンおいしい

ポルトガルに住みはじめた次女に会いにリスボンにやってきた。EU諸国の中でも決して豊かだとは言えない国ポルトガルだけれども、リスボンは異国人の目にはノスタルジックに映る少しさびれた美しさが至るところにあるきれいな街。

特に白地と青のタイル( Azulejos )で覆われた建物、細長い路地裏にあるカフェやレストラン、そこを通る路面電車、石畳と坂道と見ているとなぜか幼い頃を思い出してしまう懐かしさがある。見ていた世界は別なのにリスボンの生活の匂い、音、色が私の幼少の頃のような気がするくるから不思議。

今の日本、日本人にとってはポルトガルはあまり馴染みのない国だけれども、16世紀の日本にとってポルトガルはとても大切な国で、南蛮人と呼ばれていたポルトガル人達は日本に西洋文化を伝え、少なくとも食文化においては日本に彼らの足跡を残していった。揚げ物をお酢のきいたソースに漬ける南蛮焼きに今や日本食の代表のような天ぷらも、日本のカステラもポルトガルのパオン・デ・ローが原型だと言われている。

ポルトガルは伝統菓子の種類がとても豊富でそれだけを食べ歩きしても面白い旅になるはず。

数々の焼き菓子

特に有名なのがパリパリのパイ生地の中にカスタードが入ったパステイシュ・デ・ナタ。

本場ベレンで食べたパステシュ

今ではロンドンのカフェでも売られているパステイシュだけれども、本家本元であるリスボン西部ベレンにあるジェロニモス修道院生まれの味を引き継ぐパステイシュ・デ・ベレンで作られる物は格別の味。そこに行くといつも行列ができているほどの人気でリスボン観光名所の一つにもなっている。

あさりと豚肉の煮込み

レストランや食堂で食べられるポルトガル料理はいわし、たら、あじ、たい、すずき、サーモンなどの焼魚や豚肉、牛肉、鶏肉のグリルやローストのほかポルトガルの代表料理であるたらのロースト、たら、じゃがいも、卵のミックス焼きとシンプルなものが多いけれども、豊かな素材に恵まれているポルトガルでは魚介、お肉、野菜、ワインと本当に何を食べても美味しいからすごい。時々歩いているとどこかからただよってくるいわしの炭火焼きの匂い、これに出会うともうたまらん!!

代表料理いわしの炭火焼き

通常魚には茹でたじゃがいも、お肉にはポテトフライが付けわせてくるが、それ以外にライスが付いてくる事も多いのでお米好きの日本人にはめちゃくちゃありがたい。

とにかく今回は自炊をしている次女が普段は口にしていないような郷土料理を食べさせたいと思いインターネットで調べてレストランに行ったのでリスボン滞在中に口にした食べた物は全てが美味しかった。

次女が住んでいるエリアParqueはとても治安が良く静かな所。それでも道の角ごとにカフェやレストランがありSushiレストランもいくつか見かけたし、誰が買うのか日本食を扱っている食材店も見かけた。でも日本食全体よりもお寿司だけが先行しているみたいだ。日本食レストランはまだまだ高価なんだろう。

多分もうしばらくしたらここにもラーメン専門店ができてくるんかな?バブルティー店も北欧のデンマーク風カフェもちらほら見かけたからラーメン店ができるのも時間の問題だろう。

でもまだまだホームシックになる日が多い娘が、行こうと思えばこれらの日本料理が食べられる環境にある事が母としてはとてもありがたい。

給食

給食といえば、昭和育ちで大阪市の公立小学校に通っていた私にとっては決して美味しくないシロモノだった。正体不明の揚げ物が副食に出た時それをポケットにしのばせておいて学校帰り近所の犬にあげたらその犬も嫌がって食べなかったという記憶がある。

私の子供が通った、そして今私が働いている小学校の給食はどうかと言えば、私の子供時代の給食よりかは断然美味しい。100点満点中75点ぐらいのレベルかな?1人暮らしの同僚のほとんどは給食が1日のメインの食事という事もあって、栄養的にバランスが取れているし、グルテンフリーやベジタリアン用のメニューもちゃんと考えられている。

とにかく美味しい物が食べられる日もあれば、そうじゃない日もあるって事。毎週木曜日はローストポークやローストハムまたはチキングリルがメインで、付け合わせにローストポテトやポテトのグラタン、茹でたにんじんなんかが食べられてこれらのメニューは大人にも子供にも大人気。

子供達が一番喜ぶのは決まって金曜日に出てくるフィッシュフィンガー、ポテトフライ、グリーンピースのランチ。子供達の顔が引きつってくる、あまり美味しくないランチは以前にも書いたフィッシュパイ、またはチキンやビーフパイ。

他の日はミートボールのトマトソースにペンネ、クスクスと羊のタジン、チリコンカルネなんかが多い気がするけれども、はずれの日は照り焼きソースに野菜と言った本家本元の照り焼きソースとは程遠い料理や、アクが浮いている豚肉のクリームシチューとかが出てきて、そおなってくると子供達も私もがっかり、そんな日はジャケットポテトとチーズで我慢する。

先日は自分達の子供が毎日何を食べているか知りたいという事でPTAが私達のランチに参加した。

でもそんな時に限ってランチは美味しい。その日はペンネにチキンのトマトソース、ベジタリアン用にはズッキーニとナスのトマトソースで、これを食べた親は多分「給食は美味しい」と結論付けたはず。

子供達の中にはパスタやソースにいっさい手につけず、食べれるのはきゅうりやにんじんのスティック、チーズそして食パン一切れのみって子供もいるし、野菜はいっさい食べれない子供もいる。給食でつらい思いをした私は絶対に子供には食べ物を押しつけない。それにどの親も自分の子供が何が嫌いかわかっているので先生が子供に食事を強制するのは間違っていると思う。

昔アメリカ人のママ友が言っていた「学校給食ってものは美味しくないのが普通、だからもし美味しい物が出てきたら得したと思わないと」本当こう思っていると何が出てきてもありがたくいただける。

イギリスの給食は有名シェフ、ジェイミー・オリバーが公立学校の給食改善運動に取り組んで、脱ジャンクフード、ヘルシーで経済的なレシピーを考案したり、食育活動に力を入れて政府にも給食改善のための予算を増やすように働きかけたりしてかなり改善されたと言われている。長女も「ジェイミー・オリバーの給食改善キャンペーン以後の給食は良くなっていった記憶がある」と言っている。それまでは本当に冷凍食品や安いピザ、ソーセージ、フライドポテト、缶入りの茹でた豆なんかが主流だった給食も多かったんだろう。

そしてイギリスでは学校給食が1日の食事の中で唯一食べられる暖かい料理になる子供達が多くいる事も事実。それを思うとランチがまずいのどうのこうのと言ってる場合じゃない。

私が食べれなかった給食を大人になった今もう一度食べてみたい。好き嫌いが多い子供達に日々「私の子供時代の給食に比べたらあんたらが食べてるこの料理はご馳走よ、だからちょっと食べてみたら?」なんて言ってる自分がいるけども、私が食べた給食は本当にまずかったのか、もしかしたら私の偏食が問題だったんだろうか?今になってはもう知る術がない。

娘の旅立ち

先週の日曜日私の次女が9カ月の留学の為にポルトガルのリスボンに旅立って行った。

予想通りやっぱり私は時より寂しさに包まれる。次女はリスボンに立つ前の最後の週、私の仕事場近くまで毎日迎えにきてくれていたので、その時間帯になると彼女がもうロンドンにいないんやーと少し心がほろりとしてきてしまう。

あー今月大学に子供を送り出した親はみんなたどる道やろうね。今さっきも今日ウェールズまで娘を大学に送り出した友人から「嬉しいけどちょっと悲しいわ」というメッセージがやってきた。

さてリスボンに住んで約1週間が経とうとしているけれども次女はいまだに日々外食をしている。でも外食ばかりでは偏食になりがちな上、自炊をしないと不経済だ。ありがたいことに日本食の食材を扱っているお店が家の前にあるらしいので「いずれは和食を作るように」と母は願う!

娘のランチ、ポルトガルの代表料理 あさりと豚肉のシチュー

という私も長女と一緒に住んでいるものの、お一人様の食事回数が増えてきているので、作るものを変えていかないといけない。こうなると和食を作るよりもサッとお肉か魚を焼いて、サラダを作って後野菜料理をつけたすような料理が一番手間が省ける上、栄養価もあっていい。

二日前も簡単なお一人様料理を作った。ルッコラの上に軽くサッと焼いたマグロのステーキをのせ、その上にオリーブ油とアボカド、コリアンダー、チリ、トマト、ライムで作るガッカモーレをのせ、付け合わせにはキヌヤとズッキーニのグリルを作っていただいた。これは20分で作れた上、見た目がすごく綺麗で栄養価も高い。

サラダと言えども、レタス、ルッコラ、いろんなリーフ野菜と共にグリルまたは茹でたズッキーニ、アスパラガス、インゲン、炒めた玉ねぎを入れて、そこにクルミやチーズ、半熟卵といろいろを付け加えたら豪華に出来上がるし見栄えもいい感じ。

フランス人の友人が一番美味しいと感じるサラダはリンゴ、チコリ、クルミのサラダという。

ニース風サラダなんかは茹でたじゃがいも、卵、インゲン、トマト、アンチョビー、オリーブといろいろ入って立派な一品だ。レバノン料理のタブレーサラダなんかは大量のイタリアンパセリが食べれてみるからにヘルシー。

「イギリスの大学生が一番よく作るのはジェノベーゼパスタと思う」と長女は言う。瓶詰めのジェノベーゼソースは格安で茹でたパスタを混ぜるだけだから超簡単。でもこればかりだったら栄養価が低いし何か物足りない。幸いにもポルトガルは物価が安いし、美味しい食材が揃っているので工夫次第で美味しいものが作れるはず。

まあでもこんな風に自炊生活を経験して誰もが料理のうでを上げていくんやろうね。

「娘よ頑張っていろんなポルトガル料理を作れるようになって帰ってきてや!」

私もベジタリアン志向の長女との食生活、新しい料理を学んでいこーっと!!!

昨日の娘のランチ

9月新学期の始まり

先週イギリスの多くの学校の新学期が始まった。今学年の私は一年生担当でこの1週間は新しい環境での仕事で緊張の連続だった。でも初めて学校に来る子供達や転校してきた子供達、その親の気持ちを考えたら私の緊張なんて問題にならないかな?

想像通り今年は香港からイギリスに移住してきた家族が多く、私が働く学校にも数人の香港人の子供達や今まで香港に住んでいたイギリス人の子供達が転校してきた。

なじんだ環境を出て、新しい世界に入っていく時には期待と不安が入り混じるのが当然。その子達が新しい学校生活に慣れるように私もできるだけ声をかけるように心がけている。

私のクラスにもつい最近ロンドンにやってきた中国人の子供が転入してきた。学校生活が初めてなうえ、英語がまだ話せないその子は初日、二日目はよかったけれども三日目の朝はとうとう泣き出してしまった。その泣き方がとても物悲しく「お母ーさん」と呼びながらしくしく泣き続けるので、そばで慰めている私や担任の先生もとてもつらい気持ちになってくる。

このクラスの他の子供達はみんな去年から友達、英語が話せないその転校生はなかなか他の子供達の間に混じって遊べていない。この子が新しい生活に慣れるまでどれぐらいかかるんだろう?

これを見ていて次女が一年生の時、クラスに英語が全く話せないスペイン人の子供が転入してきた事を思い出した。その子は初めの3カ月間は全く英語が話せなかったけれども、その後急に英語を話すようになり出した。でも言葉のコミニュケーションはできなかった時もその子は他の子供とは一緒に遊べていたのを思い出す。

でもこの時期を乗り越えた時に得れるものが大きいのは確か。1日も早くその中国人の子供が学校生活に慣れて、英語を学んでいく事を切に願う。

私の次女も来週の日曜日にポルトガルのリスボンにむけて旅立つ、9カ月間の留学だ。今残り1週間をきり娘の感情は期待と不安の間を行き来して、私の気持ちもまた喜びと淋しさの間を行ったりきたりしている。

あー新しい生活を迎える時は誰もが通る道か~

私も、この9月に大学生活で家元を離れる子を持つ親も空の巣症候群に陥らないように、変化を気持ちよくポジティブに受け入れるように生きていかないと。

新たな始まりの月、9月みんな頑張って!

電車でのひと時

8月最後の連休にロンドンから1時間半かけて英国南部の海岸の街、イーストボーンに今年もまた歩きに行ってきた。

一日中歩き続けて疲れていたので、帰りの電車の中ではボーッとしようと思っていた矢先、賑やかそうなカナダ人とメキシコ人の3人組が私たちの後の席に座った。

これはうるさくなるなーと思うやいなやその3人はいきなりペラペラと大声で話し出した。

めちゃくちゃうるさい、でも聞いていると3人は自分たちのお気に入りのロンドンのレストランの話をしている。聞くつもりはなかったけれども大声で話す彼らの会話は同じ車両の乗客は全員聞こえているはず。

3人はレストランの事をよく知っていた。話の内容から3人がグルメ志向なのもよくわかるし、私の知っているいい店の事も話している。

本を読んでいた長女も「めっちゃうるさいけれどよく知ってるみたいやからさっき言ってたお店の名前メモしとくわ」と3人組のおすすめのレストランの名前をメモしていた。

いろんな人と乗り合わせるのが電車の旅。

その日の朝もかなり混んでいた車両の、6人がけの座席を1人のおばさんが陣取っていた。そこに若者が2人やってきて空いてるそれらの席に座ろうとしたらおばさんが「ごめ~ん、次の駅で友達が乗ってくるからこの席は空いてないのよ」と答えている。若者はおとなしく立ち上がり、周りの乗客はみんな呆気にとられたまま。

そして次の駅についた。でもこの車両にやってくるはずのおばさんの友達は一向に乗ってこない。そこでおばさんは友達に電話をかける。「今どこにいるん?席をとってるから早くこっちの車両に来て~!この席に座りたいと思ってる人がいっぱいいるから、えっ?もうそこでいいの?うんわかった」 結局おばさんの友達は別の車両で席を見つけ、おばさんは少し離れたところにいてた先ほどの若者に「友達は別の車両で座ってるからここにすわってもいいよ~」とまるで座席を自分の所有物のように話している。このやりとりには私たちを含め周りの乗客はけっこう笑わせてもらった。

みんな前方を見て座るバスと違って人と人が向きあって座る電車では近くに座っている人と話す出す事だってある。

スコットランド、グラスゴーからの帰りの電話でもちっとしたドラマがあって笑わせてもらった。

まずはキセルをしてそうなおじさんが近くにいた。車掌さんがやってくるたびにその男性はどこかに消え失せる。でも消えるたびに持っていたスーパーのレジ袋を毎回違う席に置いていく。通路を経て隣の席にそのレジ袋を置いていった時は私も結構その袋の事が気になり出した。

ちょうど車内アナウンスで「怪しいものを見つけたらすぐに報告してください」と言ってるし、次車掌さんが来たら報告しよ~っと思っていると次の駅に近づいてきた。その瞬間急にそのおじさんが戻ってきて、レジ袋をとったと思うや走ってその駅で降りて行った。

キセルの成功やな!

これでロンドンまでゆっくり帰れるな~と思ったのも束の間、今度はランカスターという駅で明らかにサッカー試合後のサポーターがそれも全員男性が乗ってくる、乗ってくる。電車内で大声で自分たちのサポートチームの歌を歌うわ、ビールを飲みまくるわのどんちゃん騒ぎ。「あーやめてくれ~」と願っている所、今度はワインを片手に持った酔っぱらいの若いサポーターが本を読んでいた次女の隣に座り出し「この本なんていうの、この本ええか~、どこ行ってきたん?」と話かけてくる。

それに対し次女もちゃんと答え、なんやかんやで長女も私もこの会話に入り出したと思うや、その酔っぱらいの友達も近くに座り出して、結局1時間半の旅の友となった。

話をしながらお互い住む世界が全然違うことを実感。「どこのサッカーチームをサポートしてんの?」と聞かれた時は答えに困ったけれど「夫がオーストラリア人やからサッカーよりのラグビーを見るんでサッカーのプレミアリーグのことはようわからんわ」と答えたら意外にも「オージーはいいなーアメリカンの話すジョークはうさんくさいけど、オージーは好きや」って会話に繋がりおさまりホッとした。

この交流自分1人やったら私も娘達も怖かったと思うけれど、過ぎた今となればなんか心暖まるひと時と感じる。この広い世界で自分の人生のほんの一瞬の時空を共有する、電車で乗り合わせる人間、そんな人たちから笑いをもらい、ありがたい、ありがたい。

イーストボーン、対岸はフランス

グラスゴー

今回のスコットランド旅行はまずはグラスゴーから始まった。

グラスゴーには今まで行った事がなかった上に、ロンドンーエジンバラ往復の電車賃よりもロンドンーグラスゴー往復の電車賃の方が断然に安いし、エジンバラとグラスゴー間は電車やバスでも1時間の距離で、それもバス代は1人あたり約3ポンド(500円)という激安価格なのでグラスゴー行きを即決した。

ロンドンのユーストン駅午前6時3分発の電車に乗り、グラスゴー着は午後11時15分。長旅だったけれども湖水地方やイングランドとの国境あたりの綺麗な車窓や、途中で乗ってくるイギリス北部のいろんな人達の英語の訛りを聞きながら電車の旅を楽しんでた。

グラスゴーは英国国内ではロンドンやエジンバラに次いで観光客が多い都市という。かつて産業革命の時代に工業都市として栄えていたグラスゴーは、1990年にEUからヨーロッパ文化都市に選ばれたり、今や音楽や建造物、ポップアートの街というイメージが定着してきている。そお言えば楽器を扱っているお店をよく見かけたような!?

それと週末だったから、陽気に飲んでいる人をたくさん見かけた気がする。これは先入観からきているのかな?

たまたま私達が泊まったホテルはお洒落なカフェやレストランが多いフィニエストンというエリア。このフィニエストンとさらに北に行ったところにあるウエストエンドというエリアはグラスゴーでもヒップスターと言って、お洒落好きの若者やアーティストが多く住んでいるエリアのようだ。見るカフェ、パブ、バーなんかみんな個性的なインテリアで、どこもいい感じで入りたくなる。

グラスゴー大学

そしてウエストエンドにはグラスゴー大学がある。中国人や韓国人の留学生も多いんだろう、留学生の為にか本格的な四川料理を出すレストランや韓国の焼肉をメインにしているレストランもある。私達もそれにあやかり初日に美味しい韓国料理を食べて心も胃も大満足。

ロンドンの若者の間では、エジンバラ大学、セント・アンドリュー大学、グラスゴー大学と言ったスコットランドの名門大学への進学がすごく人気だ。ロンドンだけじゃなくヨーロッパからも多くの学生がスコットランドに留学しにくる。

1451年に設立されたグラスゴー大学の建物は壮麗で、とても歴史を感じさせられ,まるでハリーポッターのホグワーツのようだ。博物館も大学の敷地内にありここは観光名所にもなっている。

ちなみにスコットランドの大学はスコットランド人とEUからの学生には学費が無料なので、ヨーロッパからの学生が多いのにはうなずける。でもそれ以上の留学生が中国からきているんだろう。グラスゴー大学の近くにはロンドンにもない中国や台湾の甘党のお店もあって、かき氷が売られていたりする。

ここにきてコソボ出身の同僚の事を思い出した。同僚の娘さんがグラスゴー大学に在籍しているが、同僚は遠いところで勉強することを決めた娘さんの選択を2年たった今も受け入れられずにいる。今度同僚に会ったら、グラスゴー大学がすごく素敵なところだと言う事を報告しないと。

それと大学を決める前にやっぱりいろんな大学を見にくるものやなーとつくづく思う!ロンドンからは遠いけれど、グラスゴーやエジンバラで学生生活を送るっていい感じ。

グラスゴーといえばグラスウィジャンと言ってスコットランド人の話す英語の中でもグラスゴーの訛り、アクセントはとてもきついとされているが、おかしなことにグラスゴーの人達は私の話す日本人訛りの英語は理解できたけれども、私の娘達の話すRP英語がわからない事が2、3度あった。娘達はネイティブスピカーだけにそのやりとりを聞いていて結構笑わせてもらった。多分娘達の英語はポッシュすぎるから、娘達もアクセントを緩めて話していたはずなのにね~!

過去にBBCニュースで日本人はグラスゴーアクセントの英語を好むと言う記事があった。あるイギリスの大学が6つの英語のアクセントを日本人に聞かせてどのアクセントが一番聞きやすいかと言う試みで、グラスウィジャンが話す英語が一番好まれたらしい。なんか笑える結果だ。

とにかく一日平均28キロは歩き、新しいものを見ながらグラスゴーでの滞在は快適に過ぎていった。

エジンバラ、フリンジフェスティバル 

今年の夏は娘達と三人でスコットランドに電車で行ってきた。計画当初は北のハイランド行きを計画していたものの、スコットランド行きを決めたのが急だったので、行きたかったフォートウイリアムズやオベインでは手頃な価格の宿が全然見つけられずじまい。宿はあっても私達とは値段的に縁のないホテルやAir BandBかまたは「えーっこんなレベルでこの価格?」と思わせるような物件ばかり。

英国ではコロナ禍のこの夏、海外旅行から国内旅行に切り替える人が多く人気のスコットランドやイギリス南西部のコーンウォール、ドーセットでは、ホテル探しは難しいとは聞いていたものの宿探しを始めてこれを実感。

それじゃあグラスゴー、エジンバラ、スターリンをベースにしていろいろ回る事に決めたもののこれが予想以上に良かった。

私は英国に来た当時、スコットランドのエジンバラに約2ヶ月間住んでいた事があるけれども、それは冬で、その後エジンバラを訪ねた時はやっぱりいつも秋か冬。今回夏の、それもお天気に恵まれたエジンバラが見れてその美しさにとても感動した。

フリンジフェスティバルのプログラム

8月のエジンバラはフリンジフェスティバルの真っ最中。フリンジフェスティバルはプロ、アマチュア、有名無名関係なく自分で登録料と参加費を払って会場を見つけたら誰でも公演できる芸術祭で、演劇、ミュージカル、コメディー、ダンス、音楽といろんなジャンルのパフォーマンスを見る事ができる。

屋外にも舞台やカフェ、屋台があったり、劇関係者、時には俳優、女優が直接聴衆を呼び込もうとチラシを配ったりとなんか雰囲気がとてもいい。今年は例年よりも規模縮小で上演されているらしいけれども面白そうな作品はチケットがすぐに売り切れ状態。長女の大学時代の演劇仲間も公演中だったけれども、つてを使ってもチケットは取れなかった。プログラムを見ていると日本人女性のコメディアンも出ている。外国語でお笑いをとるのってすごい!見たかったものの日にちが合わない。まだ見ぬ彼女のショーが成功しますように!

結局娘がピアノの弾き語りで、シンガーJeremy SassoonのMusic of Jewish Origin名付けてMOJOのチケットを取ってくれて私は人生初のエジンバラ、フリンジフェスティバルを楽しむ事ができた。

エジンバラ城が綺麗

フリンジフェスティバルの良さはチケットがお手頃なのと、気に行った作品があれば売り切れじゃないかぎり1日にいくつもショーを気軽に見れる事。

中世の街並みが素敵なエジンバラには15分も歩くと見晴らしのいい丘に登って、向かいにある有名な丘アーサーズシートや遠くの海を眺める事ができるし、市内から30分歩くと川と大木に挟まれた村にも行く事ができる。

青空の下を歩きながら、まだ英語が上手に話せず時々バスを乗り間違えて真冬の寒い夜をさまよった、34年前にエジンバラにいた自分自身に「よう頑張ったね」と声をかけ「やっぱりこの美しい街が好きやわ」と一人納得した。

アーサーズシート

EUを離脱した英国を実感する

最近少しずつ英国がEUを離脱した現実を実感している。

大学で比較文学とポルトガル語を専攻している私の次女は、本年度は9ヶ月間リスボン新大学に在籍するので9月からリスボン生活を始める。その為に次女は先日学生ビザの申請をしにいった。

次女も私も学生ビザ申請についてはあまり難しく考えていなかったけれども、でもそれは間違いだった。英国がEUを離脱した今、英国人留学生のビザ申請はEU圏外からくる留学生と同じ扱いになるので揃えなければならない書類がとても多くなり、何よりもリスボンに住所がなければ学生ビザは申請できない。

そしてこの住居探しが難しい。コロナ禍の中いつもは使える大学の留学生寮は閉まったままなので、大学が紹介してくれる学生向きの不動産サイトを見ての住居探し。お部屋の写真一つを見て判断しなければならないので後は自分の直感で決断するのみ。

ほとんどの留学生はシェアハウスに住む事になるのでお部屋探しは自分の希望のエリアとお部屋の雰囲気が決めてになる。でもどんなに感じのいいお部屋でも部屋数20のところにトイレが3つとなると住みごこちが悪いのはわかっているので没。また入居期間が限定されている物件が多く、例えば8月中のみ引っ越し可能とかいろいろと条件があってなかなか部屋を決める事ができない。

次女はホームステイには興味がないけれども、もしホームステイをする場合はホストファミリーに後見人的な手紙を一筆書いてもらわないといけないので、まだ会った事もない人にそれをお願いするのは結構気がひける気がする。

もし英国がまだEUに残留していたら学生ビザをとる必要はなかったので、まずは現地入りして直接お部屋を見てから自分の住居を決める事ができたはず。EU離脱後の現実やね。

そお言えばここ最近いつも買っていたフランス産のバターPrésidentをスーパーの陳列台に見かけないし、私が使っていたスペイン産のリンスが買えない状態が続いている。

友人の娘がオンラインでZaraのスカートを買った時も何も考えずに購入ボタンを押してしまったが為、そのスカートはスペインから届き商品よりも高い関税を払うことになった。今までは気にせずにいた事だからこの問題に直面した人は多いとよく聞く。

知り合いのミュージシャンは「今までは時々ヨーロッパに演奏しに行っていたけれども、今ではワークビザがいるのでヨーロッパ側から演奏の依頼が来てもすぐにいけなくなった」と嘆いていた。

私が働く学校でもEU離脱が決まってからイタリア人やフランス人の生徒が少なくなってきた。

それまでは各クラスに必ず両親共フランス人とイタリア人の子供がいたし、ある年はクラスにイタリア人が五人もいた事があったけれど最近ではそれがぴったりとなくなった。英国EU離脱に伴いロンドンにやってくる若い家族が減った為だ。

とにかく娘は無事ハウスシェアでのお部屋も見つかり、無犯罪証明書も取れてポルトガルの学生ビザの申請手続きを終えた。幸いにもEU各国内に留学する学生がもらえるエラスムス奨学金はEU政府が今年が最後で英国からの留学生にも出してくれる。

それだけでも本当にありがたいけど、でもやっぱり英国はEUから離脱して欲しくはなかったな〜と感じる今日この頃だ。