この間、買い物の帰りあまりに寒かったこともあって、思わずフィッシュアンドチップスのお店に入ってチップスを買い、家に帰るまで待つ事なく、そのまま揚げたてのチップスをいただいた。
イギリスの国民食、揚げたてで塩とビネガーがきいたチップス(フライドポテト)の、なんて美味しい事、道ゆく人もなんとなく羨ましそうに、私のチップスを見ていく。
ジャガイモには、チップスの他、ローストポテト、マッシュドポテト、ジャガイモをまるごとローストするジャケットポテト、ハッシュドポテト、ポテトサラダ、茹でポテト、蒸しポテト、オムレツ、コロッケ、フランス料理のグラタン・デ・ドフィノワ、シチュー、ポタージュ、ほか炒めたり、和食ではおでんに入れたりと様々な調理法が存在する。
ジャガイモは南アメリカのアンデス山脈から北はメキシコに至る高原地帯が原産地。
ペルー人の友人が言うには、ペルーには2000種の異なるジャガイモが存在するらしい。
ヨーロッパには、新大陸からのお土産として、船乗りや兵士たちが1570年にジャガイモをスペインに持ち帰った。初めの頃ジャガイモは食用としてはなかなか浸透せず、観葉植物としての栽培が主だったらしいが、食料として生産性の高いジャガイモを、食糧飢饉に悩むプロイセンの国王がその栽培を奨励したのがきっかけで、ジャガイモはしだいにヨーロッパに普及していった。
1621年にはアイルランド人の移民によって、ジャガイモは北アメリカにも渡った。
農林水産省のサイトによると、諸説がある中も、ジャガイモは1598年にオランダ人によって初めて日本に持ち込まれたと言う。
インドネシアのジャワ島のジャガタラ(今のジャカルタ)を経由して長崎に伝来した為、ジャガタライモと呼ばれ、それが短縮されてジャガイモと呼ばれるようになったそうだ。
ジャガイモにまつわる話と言えば、悲しいアイルランドのポテト飢饉も思い起こされる。
イギリスの植民地支配の下のアイルランド、人々は麦は地代として地主に収穫される為、地代にとられることがなく、生産性の高いジャガイモを自分の庭で栽培しだし、それからジャガイモは貧しい人の唯一の食料となっていった。
1845年から1849年の4年間、ヨーロッパではポテトの疫病が大発生した。この時ジャガイモを主食としていた貧しいアイルランドからは、ジャガイモ飢饉で100万人以上の餓死者が出たと言う。
ちなみにこの後に、私の夫のご先祖様は、貧しいアイルランドを後にして11歳と言う若さで1人オーストラリアに旅立った。
江戸時代の天保の大飢饉では、ジャガイモのおかげでたくさんの餓死を免れたと言われてる。
世界中で愛されるポテト料理、つい最近もトルコ人の友人Gにとても美味しいポテト料理を作ってもらった。小さめのポテトを下茹でしてからフォークで押しつぶす。オーブン皿にベーキングシートを敷いてポテトを並べ、塩、クンミンパウダー、チリペッパー、ローズメリー、オリーブオイルをかけてオーブンで30分焼く。チキンや魚の付け合わせとして最高の味だった。
同じ要領で友人のS子ちゃんの娘、Hちゃんが、コチジャンで味つけしたローストポテトを作ってくれた事もある。これもまたとても美味しかった!
ポテトはいろんな料理の付け合わせとしても、メイン料理としても最高の素材、これからの寒い日々には食卓に上がる事が増えるはず。
そお言う我が家の今夜の夕食も野菜のコロッケ、ポテトさん、存在してくれてありがとう。