Notting Hill Carnival

毎年8月最後の週末は、月曜日が祝日で3連休になる。そしてこの連休の日曜日と月曜日は、ロンドンのNotting Hillでは大きなカーニバルが開かれる。

第二次大戦後、労働力の足りなかったイギリスにカリブ海沿岸諸国のジャマイカ、セントルシア、グレナダ、トリニダード・ドバコなどから多くの人々が移民してきた。

彼らの多くは、今では映画のロケでも有名になったNotting Hillの北側に住むようになる。

当時のロンドンでは人種差別が激しかったらしく、カリブ海沿岸諸国からやってきた人々は、度々人種差別の標的にされていたと言う。ついに1958年にはこれに対抗して暴動も起きてしまった。

その後人種差別問題解決策の一環として、1966年にカリブ海沿岸諸国の文化の祭典である、カーニバルが毎年開かれる事になった。

カーニバルを運営する英国カリビアンコミュニティーの人々は、ダンス用の衣装、装飾、ダンスを何ヶ月もかけてカーニバルの準備をする。

日曜日はコミュニティーの子供たちが、月曜日は大人がメインで音楽に合わせて、ダンスをしながら通りを進んでいく。各山車にはミュージシャンが歌を歌い、音楽に合わせてたくさんの人がその周りで踊る。衣装はとてもカラフルで、ダンサーも見学者もノリノリで踊り、みんなとても楽しそう。

このカーニバルに参加する為に、多くの人がロンドンにやってくる。

私はNotting Hillに隣接する地区に住んでいるけれども、日曜日の朝カーニバルが始まる前にでかけた時は、ジャマイカの国旗を身にまとう家族連れ、ビキニ姿やもうすでに興奮しまくっている若者が大勢Notting Hill方面に向かって、笛を吹きながら、音楽を聴きながら歩いていた。

大きな声を出して歌って踊る事は楽しい以上に、日頃のちょっとしたストレスをも発散でき、まさにそれがカーニバルの醍醐味。普段は日常品を売っているパキスタン人のお店も、この日だけはベットボトルのお水のほか、ジャマイカの国旗や笛を歩道に出して売りさばいて、音楽もレゲエを流して商いをしている。

でも残念な事にこの間、スリを筆頭にちょっとした事件が発生するのもカーニバル。

今年はそれほどひどくはなかったものの、ナイフでの暴行事件もよく聞く話だ。毎年このような事件が発生する為今では通行規制が設けられ、かなりの数の警察が動員され、それ事態もちょっと緊張感をうんだりする。

カーニバルの山車が家の前を通る友人は、この時期は必ずロンドンにはいないようにしているし、その友人の隣人は、カーニバルの間自分の庭で酔っ払いにおしっこをされると言う迷惑な被害を何度も被っている。外がガラス張りになっているお店は窓にベニア板を貼り付けて防御をしているし、近所の日本食材店で働く女性も、カーニバル当日は酔っ払い客が増えるので、ちょっと怖いと言っていた。

実は私はカーニバルにはいかなかった。日曜日、近くまで行ったけれどもあまりのゴミの量、特にビールの空き瓶、空き缶や人混みを見て行く気が失せてしまったからだ。

それでもやっぱりカーニバルは多くの人に愛されている大事なロンドンイベント、後になって行かなかった事をちょっと後悔!

カーニバルが無事終わったときいてホットしたし、ご両親がセントルシア生まれの同僚が、この日は自分の娘を両親に預けて、同じカリブ諸国のルーツを持つ友人とカーニバルにやってきて、思いっきり踊って楽しんだって聞いた時はとても嬉しくなった。

何よりもカリビアンコミュニティーの人々が自分たちの文化を楽しみ、誇れる場があるって言うのが一番大事な事だと思う。

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