先月、長女の中、高校時代の同級生のお母さんが、まだ60歳と言う若さながらもがんで亡くなられ、今日は娘と私でその彼女のお葬式に行ってきた。
彼女のお葬式は、敬虔なカトリック教徒であった彼女が一番望んでいたであろう形でおこなわれた。ロンドンの中でもかなり規模が大きくて内装も美しいブロンプトン、オラトリー教会で、カソリックの儀式にのっとって神父さんが祈りを捧げ、賛美歌が歌われ、厳かな空間の中多くの参列者を迎えての葬儀だった。
実際シューベルトのアベマリアを聴いていると、頭上に金色に輝いた亡くなった友人がみんなに「今日は来てくれてありがとう」と言っているような気がしてきた。
教会でのミサが終わると、参列者は全員教会に隣接したホールに移りそこで食事とドリンクが振る舞われ、家族や友人と故人をしのびながらのお別れ会となった。
彼女のお葬式の場合、亡くなられてから1ヶ月以上経ち、感情的に彼女の死を受け入れられる事ができた為か、悲しさが残る中にも、みな故人の生きてきた人生をたたえ「本当にお疲れ様でした」という心温まるお別れだったような気がする。
そしてお葬式に参列すると誰もが人生について考えるはず。
最後の哀悼の辞で娘さんが「母は本当にいい人生を生きました。ただなんとなく存在していたような人生ではなく、いろんな経験をし、ボランティアに熱心で常に困った人を助け、情熱を持って充分に生きた人生でした」と言っていたが、まさにこれは誰もが望むところだろう。
こんな機会を与えられなかったら人は1日1日をフルに生きることの大切さを忘れがちになる。
誰もがいつかはこの世を去る、ならばほんとに気持ちよくフルに生きたい、そして彼女がそれを教えてくれているような気がする。
フィリピン出身で、兄弟姉妹が9人もいる彼女。コロナ禍で容易にロンドンに来れなかったフィリピン、アメリカ、オーストラリアにいる親族80人は今日はLive Streamでお葬式に参加された。
折しも今経営コンサルタント会社で働いている長女のプロジェクトが、とある会社のお葬式サービスなので、私たち家族のお葬式にかかる費用についての知識も豊富になってきてた。
一番安い火葬の場合だとかかる費用は800ポンド(約12万円)でもその価格では火葬の時刻も家族に知らされないとか、一番安い棺はカードボード製で450ポンド(約6万7千円)とか、お葬式も立派なビジネスだとつくづく実感している。
でもその観点から今日のお葬式を見ると、いい棺に立派なお花、お食事にはフィリピン料理も出されてすごく参列者思いで、最後にご家族が心を込めてお葬式の準備をされた事が手に取るように伝わってきた。
きっと彼女はとても喜んでいたに違いない。
ありがとうジーナ、お疲れ様でした。