フィッシュパイ

火曜日のランチ(給食)はフィッシュパイだった。サーモン、たら、グリーンピースとホワイトソースで作られたフィッシュパイ。

ランチの前にはすでにフィッシュパイらしきにおいが辺りを漂い、子供達と共に私も嫌な予感が!

ホールに入って目にしたものはやっぱりフィッシュパイだった。それを見た瞬間子供達も何人かのスタッフも、シェフには申し訳ないけれども「あーあ」と落胆。とにかにフィッシュパイは人気がない。

一緒に給食を食べるスタッフの中に一人だけ”給食は残すべからず”と言う考えの先生がいる。そしてその先生は大のフィッシュパイ好きで、フィッシュパイが出てくると必ず毎回「やったーフィッシュパイや!大好き!うれし~!」と大はしゃぎ。「今日はフィッシュパイ。なんてラッキーなの!」と言いながら子供達が食べているかどうか、いろんな席をのぞきにくる。

その人が近くに来るとみんな内心は「ここにこやんといてー!」と思いつつも「よかったですねー!」と引きつった笑いを浮かべ、なんとなく食べたふりをしてしまう。フィッシュパイが出るといつも起こる事。

フィッシュパイの付け合わせはブロコッリーと皮付きの小さなローストポテト。でも野菜嫌いな子供のほとんどがフィッシュパイも嫌いなので、子供達が食べるのは小さなローストポテトふたつほど。だからせめてデザートには果物を食べてもらうが、フィッシュパイが出てくる日はいつも子供達がお腹が空いてないかとても気にかかる。

フィッシュパイといっても全部が全部嫌いなわけじゃない。

昔オランダ人の友達のおうちでフィッシュパイをご馳走になったことがあるけれども、その時いただいたフィッシュパイには定番のサーモンやたら以外に海老、帆立、ムール貝他野菜も入っていてとても美味しく、その後すぐに自分でもまねてフィッシュパイを作った記憶がある。

でもみずから進んでフィッシュパイを作ったのはその後の人生で数えるほどかな?

ところがその私が、最近You TubeでLaxlada(ラックスラーダ)という北欧で作られるパイ生地なしのフィッシュパイのような料理を見て、めちゃくちゃ作りたく、食べたくなった。

その動画はふたりパパというチャンネルで、ふたりパパのひとり、日本人パパがサーモンとじゃがいも、卵、クリーム、牛乳、チーズそしてハーブのDillと一緒にオーブンで焼く料理Laxladaを紹介している。極め付けはVästerbottensost(ヴァステルボッテンスウスト)というスウェーデン産のチーズを使うのがみそらしい。Laxladaという料理じたいはフィンランドの料理らしいが、ふたりパパはノルウェイ在住。とにかく彼らがLaxladaを食べながら茶碗蒸しのようで美味しいといってるのが印象的で、是非作って見たいと思った。

魚はお刺身でいただくのが一番好きな私が、魚のクリーム料理を作りたくなるのは珍しい。でも娘達には、「Laxladaを作る前にまずは茶碗蒸しを作って」とリクエストされたので、まあやっぱりLaxladaを作るのはお預けかな?

やっぱりいつか北欧に行って、Laxladaを食べてみたい。北欧でならきっと美味しいフィッシュパイと出会えるはず。

懐かしのレシピ

もう24年ぐらい前になるけれども、その頃の私は地中海料理のレシピ本を出版するのが夢だった。地中海の様々な国の料理を学び、料理本の企画書を作って文化出版局に送り、企画の第一段階までは順調に進んだ。

でもその後「これは企画としてはすごくいいけれども、料理の素人のあなたの本を出版するのはリスク高なので、あなたと同じ志を持つカメラマンを探していい写真を作るよう」に言われた。その後世界情勢が変わって日本の料理本市場は和食指向になり「いい時期がくるまでこの企画は保留」と言われ、私のライフスタイルも出産とともに変化し、担当の編集者さんも定年退職というのも手伝ってこの企画は消えてしまった。

今から思えば、もったいない話。諦めた自分が悪かった!

当時はモロッコ人の女性から家庭料理を教えてもらっていた。代表料理のクスクスやタジン以外にも数々の野菜料理を学び、夢中になって教えてもらった料理を作っていた日々があったことも思い出した。

太陽の陽光を存分に受けて育った地中海産の野菜は本当に甘い。ロンドンで買ったオランダ産のトマトで作るratatouilleと南フランスで地元産のトマトで作るratatouilleの味が全然違うように、地中海産の野菜を使うとどれも美味しく仕上がる経験を何度もしてきた。

今朝その時かいたレシピ本を出して見ていたら、あるあるもうその存在すら忘れてしまっていたレシピが!

「あーこれ昔よう作ったなー」「このレシピ完全に忘れてたわ!」こんな繰り返し。どの人も経験する事やろうけれども、ここにきて久しぶりにまた作ってみたいレシピがいっぱい出てきた。

その中でトマトのペーストがあった。カナッペやパーティーでのおつまみとして最適で、めちゃくちゃ簡単に作れるので、甘そうなトマトが手に入れば作れる一品。

モロッコのアラビア語でSalata dial Maticha wa al Basla(直訳でトマトと赤玉ねぎのサラダ)と呼ばれるサラダと言うよりもデップのような料理。

まずは、赤玉ねぎ(2個)はみじん切りにして、青唐辛子(1つ)はタネをとって細い輪切りに、

トマト(5個)は皮をむいて細かく切る。

オリーブ油で赤玉ねぎが飴色になるまで炒める。

そこにトマト、青唐辛子、塩、黒胡椒を入れて汁気がなくなるまで約30分混ぜながら炒める。

これをよく冷やしてからオリーブやピタパンと一緒にいただくととても美味しい。ホームスのように常備食にもなる。同じようにズッキーニやおナスにもこのようなようなレシピが多いので、また教えてもらったレシピを書いていきたい。

とにかくこの週末は雨が多そうだし、真夏の、夢見るような青い地中海を思いながらゆっくり料理でもしてみようかな? 

誕生日

今日は次女の20歳のお誕生日。

今年は今まで以上に誕生日を楽しみにしていて、どんなパーティーにするかいろいろ考えていた次女。でもここに来てロックダウンになってしまったので、その楽しい計画も一時中断。

考えて見たら、日本では20歳といえば、成人、大人の仲間入り。私が20歳になった時は、母に振袖を揃えてもらい、家族写真を撮りに行き、成人式の後は友達と飲み会を楽しんだっけ。

それを思うと自分の娘の20歳の誕生日にちゃんとした用意をしてない事に気ずき、なんか申し訳ない。

イギリスでは18歳のお誕生日を大きくお祝いする。でも最近ではアメリカ式に21歳のお誕生日を盛大にお祝いする人も多い。

私の娘達がまだ小学生の頃、毎年子供の誕生日のパーティープランを考えるのが、一大事だった。その頃はクラスメートが20人前後だったので、みんなクラス全員を招待していた。

家が広ければ、自宅でパーテイーを開けるものの、狭いフラットに住んでいる我家の場合、どこかスペースを貸してくれる所を見つけてパーテイーを開くことに。

近くの教会のホールを借りて、そこで子供のパーティー用のエンターテイナーに来てもらい手品、ゲーム、discoパーティーをしたり、映画とPizzaパーティー、アイススケートパーティーやロッククライミングパーティーをしたりと常に新しいアイデアを探していて、それがまたストレスの元だった。

そお言えば一度Soho Teatreという小さな劇場に連れてって、子供のためのお笑いショーを見て、ベトナム料理を食べて帰るというプランを立てた。パーティーも終盤、さてみんなで帰りましょと外に出た所、ほとんど裸に近い男性ヌーデーストの団体が、何台もの自転車に乗って、ボリューム大の音楽をかけながら目の前の通りを過ぎていくのを目にした。当時10歳の子供達はみんなそれを見て、大喜びではしゃぎまくり。でもこの光景をよしとしない親もいると思った私は、とてもあっせたのを覚えてる。

時には同じ誕生月のお友達とジョイントパーティーをしたこともある。ジョイントとなると役割もコストも半分になったので、気がとても楽だった。週末ごとに子供を誕生日パーティーに連れださなければならない親にとっても、ジョイントパーティーだったら2回あるはずのパーティーが1回になるので、ありがたいって言われた事もあったけ。

イギリスでは子供の誕生日パーティーは、気力、体力、お金がいるというのが通説。

まあこれも私にとってはもう過去の話で、今となったらそのころが懐かしい。

今夜の夕食

とにかく今日のお誕生日は自宅でディナー。

次女の大好物のフレンチオニオンスープ、仔牛をパン粉とパルメサンチーズにつけて揚げるコトレッタミラネーゼ、スイス料理のロスティを作った。オーストラリアにいる夫はFace Timeでケーキの時に参加。

ロックダウン中の20歳の誕生日はある意味一生忘れないやろうなー。

せめて今度日本に行く時は私の振袖を着せて、記念写真はとってあげたい。

再びロックダウン

二日前から第二次ロックダウンに入ったイングランド。

今回は学校閉鎖はないので、私は木曜日の朝もいつも通りに出勤。「今日は人が少ないかな?」と思いながらいつも通る公園ケンジントンガーデンズに入るといつもよりジョギング、犬の散歩をしている人が多い!

ロックダウンの実感全くなし。

仕事の後、またケンジントンガーデンズに行くともうびっくりたまげて、家族に見せるために証拠写真までとった私。完全にいつもより人が多い。旅行者のような人達、数人でボールを蹴っている若者、鳥に餌をやっているグループ、学校帰りに友達と遊んでいる子供達と、ロックダウンじゃなかったその前日の方が絶対に人が少なかった。

今回のロックダウンがゆるいとはわかっていたけれども、ここまでゆるいならロックダウンをしないほうがいいんじゃないかとつくづく思う。できない、行けないとなると、できるだけやりたい、行きたいと思ってしまうのも人間のさが。

実際ロックダウンがはじまる前の火曜日には、最後に美味しい物を食べておこーとレストランに行ったら満席だったし、先週レストランに行った友達もみんなおんなじことを言っていた。買物においてはデパートは閉店時間を繰り下げての営業で、クリスマスショッピングを終えようと人でいっぱい。

昨日は両替所があいているのもみた。こんな時両替を必要としている人がいてんの?

それから昨夜は向かいのフラットで4、五人の若者がお酒を飲みながら騒いでいた。その家の窓が全開だったので、彼らの騒ぎ声は通りに響き渡っていたはず。近くの住民はみんなこれを聞きながら、家で怒りを抑えてたのかな? 同世代の娘達は私以上におこっていた。これもロックダウンの反動やんね。

パブはビールのおもち帰りを売っていいらしいけれども、これってどこで飲んでいいのかな?

いろいろと疑問は残る。

今朝も公園に行くと、天気がいいのも手伝って人で溢れ返していた。レストランやカフェに行けないので、結局都会にいると公園しか行くところが残ってない。そこにみんな集まってくるので、密にはならなくとも混んでいる状態になるのが当然。実際これから私が友達と会う時は、公園で散歩というパターンになる。

あーいつもなら楽しい行事でいっぱいの12月。今年はどうなるんかな? 今年は大好きなガイフォークスの花火も見れなかったし、クリスマス前に多いコンサートもパントもなし。

「これからまたウバイーツとNetflik三昧になるわー」と同僚の一人が言ってたけれども、これは避けたい。寒くて日が短い冬に向かっている今、人は特に楽しみが必要。

なんか新しい事を始めよーかなと思った矢先、友達がキムチ作りをインスタグラムストリーにのせた。うーん刺激を受ける。そうやこんな時だからこそ今まで作ったことのない物を作りたい。

今朝の楽しみシナモンロール

「あー誰かお味噌作りを教えてー!」

みのりあるロックダウンを迎えたいと願う。

英語のアクセント

英語には数え切れないぐらいのアクセント(訛り)が存在する。

英語が公用語のアメリカ合衆国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダはもちろんのこと、それ意外にも英語が公用語の一つであるアイルランド、マルタ、南アフリカ、インド、シンガポール…などの各国のアクセント。

そして本家本元イギリスにおいては東西南北どこに行ってもアクセントが異なるし、同じロンドンであっても南ロンドン、東ロンドンと違ったアクセントが存在する。イギリス北部の有名なアクセントといえば、ニューカッスルあたりで話されているジョーデイ、リバプールのアクセントはスカアウス、イギリス西部はウエストカントリー、スコットランドではエジンバラのアクセント、グラスゴーではグラスウイージンと本当に様々なアクセントがある。

いろんな英語のアクセントをまねるYou Tubeがあるが、You TubeのTruseneye92なんかはとてもよく観察していて面白い。

私の家族が大好きな、Derry Girlsという北アイルランドのデイリーが舞台になっているテレビ番組があるが、それを見る時次女は字幕がいるという。同じ言語を話すはずなのに、あまりにもアクセントがかけ離れているからだ。

ウェールズに旅行に行ってウェールズのアクセントが大好きになった私の家族、私以外はみんなおどけてウェールズの発音をまねて話す時がある。でもこれが幸いしてGCSE(義務教育修了試験)のドラマの実演試験の時、ウェールズ人の役を演じる事になった長女は、得意のウェールズの訛りをうまく使って高得点をとった事もある。

でも相手のアクセントがわからず問題が出てくることもある。この間も私が電話で銀行とやりとりをしている時、相手が話す強いスコットランドの発音がわからず、電話をスピーカーにして次女にも一緒に会話を聞いてもらった。

どうやらその相手はchip and pinと言っているらしかったが、私にはチップアンドピンではなくチョップエンドパンにしか聞こえず、「すいませんが、もう一度言ってもらえますか?」と何回か聞いたものの、何回言われてもこっちはわからずじまい。相手が何を言ってるかやっと理解した次女が私に「チップアンドピンの事やって」と言ったが、電話をスピーカーのままにしていたので相手がこのやりとりを聞いて苛立ち始めた。

その後も会話がスムーズに運ばず、電話ですむはずの問題だったけれども最後には「直接支店に行ってくれ」と言われて電話を切った。その後近くの支店が閉まっていて、一番近くの支店が歩いて40分の距離とわかった時はこっちのイライラもマックスに!これも私が相手の英語を聞き取れなかったから起こった事だと思うと、余計にイライラしてきた。

またイギリス英語の場合、話すアクセントによって、話し手の出身地だけではなく、その人の受けた教育や社会環境がわかってしまう事がある。スコットランド人でも、私立の学校で教育を受けた人は地元のスコットランドの訛りではなくRPと言ってReceived Pronunciation(容認発音)、BBCニュースで普段使われている英語を話す人が多いのがその例だ。

かつて夫の仕事仲間に、有名ミュージシャンのプロモーションビデオも多くてがけた、業界では成功者として知られていたダイレクターがいた。その彼の話す英語のアクセントはイギリス北部ニューカッスルの労働者の間でよく使われるアクセントだった。その彼が「銀行やビジネスの場に行くと時々自分は見下されているなと感じることがある、多分僕の話すアクセントが理由やと思う」って言ってたのを思い出す。

でも私はなんか温かみのあるイギリス北部のイントネーションに大阪弁を話す自分を重ねて見てしまう。いろんなアクセントがあるのは当然だし、自分のアクセントに誇りを持てるのは大事なことに思う。

まあその前に、もっと勉強しなね。

ベジタリアン

私の夫は30年前まではベジタリアン、今では魚を食べるペスカトリアンになった。

彼がベジタリアンだったのは、動物愛護やライススタイルの観点からではなく、体が肉類を受けつけなかったからだ。

今でこそベジタリアンもヴィーガンも珍しくはないけれども、夫が子供の頃、オーストラリアの片田舎では、「お肉が食べれません。」なんていうと「何やそれ、何をふざけてんねん!」ってな感じで見られていたらしい。友達のおうちで食事をご馳走になるのがとても恐くて、お泊まりするときは、行くよりも自分の家に友達を来てもらうようにしていたらしい。

お肉が食べれない夫を心配した彼のお母さんが、彼を医者に連れて行くことに。

「この子は自分の体が必要としているものはちゃんと食べてますよ。卵は週四回あげるようにして、あとは豆などからタンパク質をちゃんと取ってください。」この医者のアドバイスがあってからは彼の家族も夫の肉なし食生活を受け入れた。でもBBQ大国、ステーキサンドウィッチ王国のオーストラリアで夫が普通に外食を楽しめるようになったのは、彼が成人してメルボルンに引越ししてレバノン料理と出会ってから。それまでは家族がローストチキンを楽しんでる時、彼はもっぱらフレンチトーストやサラダを食べて喜んでいる日々を送っていた。

夫が魚を食べるきっかけになったのは、お刺身と握り寿司がきっかけ。彼の家族はイギリスやアイルランドの食文化を受け継いでおり、オーストラリアの内陸部に住んでいて新鮮な魚があまり手に入らなかったことも手伝って、美味しい魚料理を知らずに育った。そんな夫も今では魚をさばけるようになったからすごい。

とにかく魚が食べられるようになって、食のレパートリーと外食先の選択肢もひろがった。

今のロンドンでは、ベジタリアンはレストランの選択にほとんど問題がない。ほとんどのレストランがベジタリアンフレンドリーだし、というかベジタリアンの選択肢がないとレストラン業も経営していけないと思う。長い間お肉料理だけが専門だったイラン料理のお店でも、最近では野菜だけのシチューとかがメニューに上がっているし、お洒落なベジタリアンレストラン、ヴィーガンレストランも増えている。インド料理、レバノン料理、イタリア料理、マレーシア料理なんかは野菜だけの料理も多いので、ベジタリンにはとても人気がある。

私自身はまだ行った事がないが、ロンドンにあるベジタリアンのレストランMIldredsは大人気だ。

大学でSustainability(環境の特続可能性)を専門に学んだ長女や彼女の同世代の友達には、牛の飼育による環境への悪影響を考慮して、なるべく牛肉を買わない、食べないというスタンスをとっている若者が結構いる。牛の飼育にかかる水の使用量が他の畜産物にからべて以上に多いらしい。

私の周りにも、牛肉はあまり買わないという友人が多い。

実際、野菜だけの夕食にする時は、低コストで、なんか体にいい事をしている気分にもなってくる。私が和食のベジタリアン料理を作る時は、野菜の天ぷらまたはかき揚げ丼に、千切り大根の煮物、ピーマンの炒め煮、人参のきんぴら、白菜の炒め煮、揚げなすと家族が大好きな料理が多くて、肉や魚がなくても充分に美味しくいただける。

ある日、日本に出張に行くことになったベジタリアンのインド人の友達に、日本で食べれる物のリストを作った。揚げ出し豆腐、なずの田楽、大根の煮物、焼きおにぎり、山菜そば、野菜天ぷらうどん…

ロンドンに戻ってきた彼は「日本は今までいった国の中でも一二を争うほどベジタリアンフレンドリーな国や!ベジタリアンヘブンや!」と興奮して、日本で何を食べたか逐一説明してくれた。

精進料理もあるし、確かに家庭料理には野菜だけの一品も多いかな?

普段は牛肉に対して特別な思いがない私。でも日本に帰って焼肉、しゃぶしゃぶ、すき焼きを目の前にしたら、その時はもう食べる、食べる。やっぱり美味しいから、食べずにいられない。

まあどの人も自分の好きな物を食べて、健康にも考慮して生きるのが一番やね。

これも長女が作ったセルリアックの
ステーキ
長女が作ってくれたブロッコリー、サバ
入りトマトソースのスパゲティー

今の現状

イギリスのほとんどの学校がこの月曜日からハーフターム(中休み)に入る。

私が働く学校は先週から2週間のハーフタームに入っており、もしやロックダウンという場合を想定して、11月第一週目はオンライン授業に切り替える準備も整えている。

コロナ情勢がここまで長期化するとは去年の2月には想像もつかなかった。いつになったら収束していくのだろうか? ほんまに1日も早く終わってほしい!

ここにきて先週は夫がコロナ検査を受けて自宅待機になった。夫が住むオーストラリアのキャンベラは過去103日の間コロナフリー。でも先週の月曜日にスタッフの一人がシドニーに出張し、その後発熱した為に夫の職場のチーム全員に検査命令が出て自宅待機の要請が下った。

幸い検査結果は陰性だったけれども、その同じ日に今度は先週からインターンシップが始まった長女にも翌日は自宅勤務をするようにと会社から電話が入った。インターンの指導をしているスタッフが、先週コロナの検査結果を受けて陰性だったけれども、コロナの症状が出てきたので至急再検査する事になり、その結果が出るまで彼女と濃厚接触をした人は全員自宅勤務に切り替える事になったからだ。

同僚の甥っ子は、親元を離れ大学の学生寮に入った二日後に同じ階下の学生のコロナの陽性が発覚し、いきなり自分の部屋での二週間の隔離生活に突入。残り一週間になったところで別の学生の検査結果が陽性だったので、その日を数えてさらに2週間の自室隔離生活を送るはめになっている。

大学の学生寮によっては、暖かい学食は出ず、栄養価のほとんどないビスケットやカップ麺を配っているというのもニュースで読んだ。これで家族や友達に会えなかったら、たまらん!

今は別の世帯に住んでる者同士が外食をする場合は、野外じゃないとできない。でも家族でレストランに行くと、どう見ても同じ家に住んでなさそうな人たちが室内で会食している。ビジネスだったら六人までの会食は許可されているというのもの矛盾しているし!

今年はハロウェーンはどうなるんだろうか。子供達が楽しみにしているトリックオアトリートはできないだろう。イギリスの首相は「クリスマスは家族で迎えられうようにしていたい」と言っているけれども、本当にこれだけはそうなっていてほしい。実際イギリス政府のアドバイスは一貫性に欠け、これを真に受け止めている人は周りにもとても少ないが、人は先に楽しみがないとやる気が萎えてくる。

次女は来年の九月からポルトガルの大学に一年留学が決まっているが、彼女曰く「残念やけれども、一応キャンセルになる心の準備はできている。でも最後の最後まで望みは捨てない。」と言っている。

東京オリンピックの動向も、いまいちはっきりしてない。その為に人生をかけて鍛えてきたアスリートの心を思うと、本当にやるせ無く思う。でもここで望みを捨てたらあかん!

今の現状は世界中の人々に大なり小なり何かの影響を及ぼしている。私自身はコロナが流行してから、自分のできる範囲で気をつけていて、あとは恐怖に飲み込まれないように意識は他にむけてきた。

今日はなんかぶつぶつ言ってしまったけれども、でもこんな今だからこそいつも以上に小さな楽しみを見つけて生きていくのが大事だと再認識している。いつか旅行に行きたい所を探したり、いい本を読んだり、お笑い番組でもみながら、笑って生きて行くのが一番大切だと思う。

食べるのは大きな楽しみ。
小さな楽しみの一つ、公園の散歩。

ボルシチ

今日はロシア人のママ友から教わったレシピでボルシチを作った。

ボルシチと言えば、ロシア料理と思いがちだけれども、その発祥の地はウクライナと言われている。ウクライナ、ロシアそしてポーランドが自国の食べ物と主張しているボルシチは東ヨーロッパ、ギリシャでも作られている。

今日は具を大きく切りすぎた…..

赤かぶ、赤玉葱、赤キャベツからでる赤紫色がとてもきれいなボルシチ。それ以外にトマト、人参、セロリアック、じゃがいも、唐辛子、牛肉、豚肉または羊肉やソーセージが加わる。もちろん地域によっても家庭によっても素材が異なるし、その時家にあるもので作られてきたはずだ。

ボルシチを作りながらそれらの国の事を考え出した。

私が初めて話したロシア人は、1990年ロンドンから東京に行きの飛行機で隣り合わせになった人だった。ベルリンの壁が崩壊してからのロシア情勢がどうなっているかとても興味深かったけれども、まだロシアはソビエト連邦共和国として機能していた頃だったので、さすがに政治的な事は聞けなかったのを今でも覚えている。

その後、1993年にトルコの黒海沿岸地域を旅している時にロシア人、ウクライナ人、ベルルーシ、グルジア人など旧ソビエト連邦出身の人々と話せる機会に恵まれた。彼らは自国の物をはじめあらゆる品を持ってきてトルコの青空市場で売りさばき、それで得た利益で今度はトルコでタオル、シーツ、ベットカバーなどのいろんな布製品を買って、自国に戻って売っていた。当時のトルコではこれをルスバザールとよんでいた。

異国情緒たっぷりのルスバザールに魅了されて、日々ルスバザールに顔を出していた私達夫婦。

夫がロシア人、私がウズベキスタン人の商人に間違われ、私達の持ってたNikonのカメラを売ってくれと言われたこともあった。

またある時はロシア人のおばちゃんがひつこく「..コン、..コン」と言って追いかけてきた。何かと思うと彼女はキリストの画像であるイコンを手に持っていた。これを私に売ろうとしているらしい。「コン、コン」と聞こえるその発音とまるで密輸品でも扱っている用に隠しながらその画像を私に見せる姿が滑稽でおかしかったのを今思い出した。

ルスバザールにきていたグルジア人の女性からフォークとナイフのセットを買った時は「私が初めてあった日本人や!」と感激してもらって、おまけまでいっぱい付けてもらい、同じく感激した私はその彼女に持っていた日本製のハンカチを手渡した。その瞬間熱烈なハグをしてもらい、小さな国際交流にお互い熱くなったけ!彼女達は今どんな生活をしているんかな?

そお言えば今から30年も前に知り合ったポーランド人のクラスメイトにも、ポーランドのボルシチのレシピを教えてもらった。確かポーランドのボルシチはウクライナやロシアのボルシチと違って、煮込んだ野菜は取り出して、お肉とスープだけでいただだくらしく、ロシアとは違うという点を強調して説明してくれたのを覚えてる。

30年前はあんなに遠くに感じた隣国ロシアだけども、今ではロンドンでも日本でもロシア人やウクライナ人と出会える機会はあるし、日本からウラジオストックに週末に旅行なんていうのもできる。

でもなんか、世界が広くて遠かった時がちょとだけ懐かしく思えてくるなー!

とにかく今夜はサワークリームと、黒パンでボルシチを楽しもう!

Farmer’s Market

久しぶりにFarmer’s Marketに行ってきた。

Farmer’s Marketに行くのが大好き。産地直送の旬の野菜や果物を見ているだけでも楽しいけど、そこに来ている人を見るのも楽しい。食の安全性を考慮していそうな人、旬の素材にこだわって料理を楽しんでいそうな人、過剰な包装が一切なく自然体で、スーパーよりもマーケットで買い物をする方が好きな人と、みんな買い物自体をすごく楽しんでいるように見える。

私のお目当てはまずはKarawayと言うリトアニア人家族経営のパン屋さん。バルト海沿岸のリトアニア、ラトビア、エストニアやロシア地方のライ麦パンを専門に扱っている。

冷涼な気候のヨーロッパ北部では小麦の栽培が難しかったので、ライ麦を使ってパンを作ってきた。この店のパンは伝統なやり方で、Scaldingと言って生地が発酵する前に一部の生地に熱湯を加えてグルテンを分解させ,自然の甘さを引き出す方法で作られている。だからライ麦パンと言ってもここのパンは柔らかく、酸味もほどほどで甘さもあり、その上日持ちもいいので3、4日は充分楽しめる。

昔ドイツ人と結婚したフランス人の友人が「ドイツのパンが、それも黒パンがヨーロッパのパンの中で一番美味しい!」と言いきった。「それは好みの問題で、私はもっと軽い白いパンの方が好きやー」と私は反論したけれども、いろんなパンを食べる機会を得た今は、彼女の言いたいことがわかってきた。玄米と白米の違いと一緒。穀物の旨味を味わえる黒パン、ライ麦パンには確かに深い味があるような気がする。

酸味があるライ麦パンは乳製品と合わせると味がさらに美味しくなる。明日の朝、バターをたっぷりと塗ったスライスを食べるのが今からすごく楽しみだ。

この季節は色とりどりのカボチャを見かける。イギリス人はあまりかぼちゃを好まないと聞く、むしろハロウィンの飾り付け用にかぼちゃを買って中身をくり抜いてランタンにする。でも大陸ヨーロッパ人はカボチャをよく食べる。スープやリゾット、ロースト。私も今まで作ったことのないかぼちゃプリンに初めて挑戦してみようかな?

パンの他にいつも買うのは卵。農家から直に来た事を知ってるからそう思うのか、Farmer’s Marketで買う卵は味が新鮮で、色がいきいきしてとても美味しい。他にも椎茸に似たマッシュルームを買ったので、明日の朝は目玉焼きとマシュルームのソテーとライ麦パンを食べる予定。

こんなふうに楽しく料理のことを考えるのもやっぱり野外にあるFermer’s Marketにきたからだと思う。スーパーにいるときはなぜかいつも急いで買物してしまっている。

赤かぶを見てたら急にボルシチが食べたくなってきた。さっそく赤かぶ、赤玉ねぎ、赤キャベツを購入。日本で買えるような根が赤いほうれん草もあったし、かぶもある。かぶは頑張っておつけものにしようか、それともかぶら蒸しにしようか、いっそのこと昔近所のアルメリア人から教わったかぶのスープにしようか。

そして何よりも旬の物を食べることは健康にも環境にもいいし、気分を高めてくれる。

来週も頑張って早起きをして、Farmer’s Marketに行こーっと!

散歩 ロンドン北部

最近は雨が続くロンドン。

だから先週の日曜日は久々のお天気だったので、秋の景色を楽しむために近場のwoodland(森林)に歩きに行くことにした。

どこに行こうかロンドン近郊の地図を見ていたら、ロンドンには森林地と呼ばれる地域がかなり存在する事に気がついた。有名なロンドン北東部のEpping Forest、ロンドン東南部のDulsich Wood、ロンドン西部にあるRickmond Park以外にもいろんなところがある。今回は地下鉄で30分で行けるロンドン北部を散策することにした。

私達はまずは、Finsbury Parkから出発。その後すぐに自然保護区に指定されているParkland Walkを歩いた。ここは昔の鉄道線路の跡を改良して作られた自然歩道で山の中のような場所もある。ジョギングをしてる人、サイクリングをしている人と、お天気もいいからか人が多い。

Parkland Walk 田舎にいるよう!
Highgate Wood

その次にほとんどParkland Walkに隣接しているHighgate Woodに行った。

ロンドンには至るところに緑豊かなスペースがあるが、今回足を伸ばしたHighgate Woodではロンドンにいるとは思えないぐらいの自然が広がっていた。ここは天然林と言って、人の手がほとんど加えられず周囲の樹木から運ばれてきた種子が発芽、成長して生長していった森林。それだけに本当の森らしさが味わえる。景色の良い森の小道もいっぱいあって、子供が冒険ごっこをするにはうってつけの場所。こんな所を歩いていたら森の妖精の存在も絶対に信じられる。

ほんとに都会のど真ん中に住んでいると、ちょとした自然に触れられても心がウキウキしてくる。特に全国で一番緑が少ない大阪出身の私には!

Highgate Wood のあとはWaterlow Park を通って最後にHampstead Heathに行った。

Hampstead Heathは敷地面積がロンドン最大の公園で、池、森、芝生に丘、元はお屋敷で今は美術館そして歴史的建造物として機能しているKenwood Houseほか、いろんな見所がいっぱい。

Parliament Hillからの眺め

児童文学作家C.S.LewisはHampstead Heathからインスピレーションを受けてナルニア国物語を書いたと言われている。

そんな中でも、今日はロンドンで一番標高が高いParliament Hillを目指した。ここからはセントポール大聖堂、ロンドン.アイ、シャード、BTタワーなどロンドン市街をパノラマで眺めることができる。そこに着くとかなりの人がいた。凧揚げをしている人もいる。ロンドンにいながら登山をして山頂に達したような爽快な気分になれるなんてすごい。

ちなみにこのHampstead Heathにある池、ここは泳げる池で、男性用、女性用、男女兼用の池がある。元同僚の一人が、よく仕事の後にここに泳ぎに来ていた。この日も二、三人の若者が泳いでいたけれども、隣で鴨達も泳いでいる。「この水大丈夫なん?」と思う反面、楽しそうに泳いでる人を見てこちらまで気分が良くなってきた。まさに自然との戯れやね。

10月の末はイギリスの学校は中休みに入る。コロナ情勢がまた悪化してきてる今、遠方への旅行を控えている人が多い。

しばらくはロンドンにある緑の空間に癒してもらうことになるやろな!