最近の私は、毎日雨にも負けず、風にも負けず歩いて通勤している。普通の速度で歩いて片道35分の道のりを、往復1時間10分は歩いていることになる。
でも歩いていると言ってもそのほどんどがKensington Gardensの中。
この広大な公園を歩くと言う事は、朝から自然に触れられて確実に心の栄養になっている。朝空は毎日写真を撮りたくなるほど、色彩のオンパレードでいっぱい。日の出や白鳥の大群が池に着地する光景には毎回うっとりさせられ、リスと犬の追いかけっこをいつもハラハラして見ている私がいる。
Kensington Gardensは元々は1536年にヘンリー8世によって狩猟場として造られ、1728年までは隣接するHyde Parkの一部だった。今でもKensington GardensもHyde Parkも同じ公園だと思っている観光客も多いと思う。とにかく市内の中心にこれほどの緑の空間があるのはとても素晴らしい。
ロックダウン中、近隣の住民にとってKensington Gardensの存在は今まで以上に大きかった事と思う。私のように家に庭がない人は、運動のための一日一回の外出をKensington Gardensで過ごしていたはず。
毎日同じ時刻に同じ道を歩くので、私にも顔馴染みが何人かできた。7時25分ごろにすれ違う男性、7時35分ごろにすれ違う老夫婦、7時40分ごろに会う女性….いつの日からか挨拶するをようになり、ロックダウン後はお互い近況報告と労いの言葉を掛け合うようになった。この公園が自分の地元と感じれる瞬間だ。
Kensington Gardensに出没する名物人物もいる。同じようにKensington Gardensを歩いてくる同僚に「The Pigeon Lady って誰のことかわかる?」と聞けば、同僚も「あーあのスカーフを頭に巻いてる人?」ってな感じですぐわかるような有名人。クレオパトラをおもわせる目の化粧をしたその女性はいつも鳩に餌をやりにきて、優しく鳩たちと会話していているけれども、人間にはあたりがきついタイプ。
ある朝は、中国人のおじいさんが携帯のボリュームを最大にして、北京語のニュースかストリーを聞きながら歩いていた。政治的なスローガンのように聞こえたその北京語は、めちゃくちゃうるさかったし、清々しい朝の公園には雑音でしかなかった。でも涼しげな顔をしながらそれを聴いてるおじさんがジョギングをし始めた時、あまりにも我が道をまっとうに行くその姿を見て、私もそばにいた人もなぜか笑顔になってしまった。
朝のジョギングに来る人、散歩に来る人、子供を遊ばせに来る人、犬の散歩に来る人、体操をしに来る人、Kensington Gardensに来るのが日課の人はかなりいるんだろう。なくてはならない憩いの空間だ。
日本で見られるような紅葉までは行かないが、Kensington Gardensもこの2週間で葉が色づきはじめ、美しさがさらに増す時期に入る。
まだしばらくは秋を充分楽しませてもらうつもりだ。