パリ、プチ旅行

新年明けましておめでとうございます。

あっという間に新年がやってきたと思う人は多いはず。今日もさっき起きたと思うと、もう夕方が近く感じ、また明日から仕事。これが人生のリズムなんやろね。

とにかくあっという間にクリスマスも終えて、その後我が家は久しぶりにパリに行った。

ロンドンから電車で2時間16分で行けるパリなのに、行くのは9年ぶり。3ヶ月以上先のチケットなら片道40ポンド(約6300円)のチケットもあるから、事前にちゃんと予定を組めばかなり気軽に行けるはず。

久しぶりのパリは相変わらず美しかった。ディスプレイがお洒落なお店、見せ方が上手だなと思わせるお店がとても多いのもパリ。

また以前よりアジア諸国のレストランが増えている気がした。ラーメン屋さんも何軒かあり、博多豚骨ラーメンなんて書いてあるのを見ると、とても美味しそうに見える。

でもここでも物価の高騰を実感!私達家族がパリに来た時必ず行ってたレストランLa Coupole、以前なら1人あたり25ユーロ(約3500円)払えば、フルコースをいただけたはずだけれども、今はメイン料理だけで30ユーロ前後はしたし、全てはかつての倍の値段のよう。同じレベルのお店なら、ロンドンのレストランやカフェの方が安い気がする。

パリで食事をするにはRestaurant、Bistro、Brasserie、Cafeなど色々あるが、今回はここ最近のパリで再ブームと言われているBuillionに2度足を運んだ。

Bouillonとは19世紀後半あたりにできた、労働者が食事をする為の大衆食堂で、お値段が定価格設定で内装が素敵と言う有難いお店。

Bouillonでは予約は取れないので、食事時はどのBouillonの前にも行列ができ、私達が行ったLe Petit Bouillon Pharamondでも座れるまで45分は外で待つ事になった。

でも待つかいあり、1832年創業、作家のヘミングウェイ、オスカーワイルドも通っていた、当時のままの、古き良き時代ベルエポックの雰囲気が漂う店内で、リーズナブルな価格で伝統フランス料理を食べられるので、待ち時間があっても納得。

後からわかったことはBouillionは2017年あたりからまた人気に火がつき始めたらしい。

私が食べた蟹のスープ、ビーフのタルタルステーキも美味しかったけれども、夫のたのんだブルゴーニュ風エスカルゴー、鯛とかぼちゃのローストと白ワインバターソースは本当に美味しかった。

ここのメニューにはフランス料理の定番のファグラ、牛肉の赤ワイン煮込みから、2ユーロで食べれる前菜、茹で卵のマヨネーズサラダや1879年から続く看板メニューの牛肉の胃腸のシードル煮込みなんてのもあり、フランス料理を楽しむにはぴったりの料理が多い。

歩いていたら、今度は日本人がやっているパン屋さんCarré Pai De Mieを見つけた。北海道産の小麦を使った、もちもちでしっとりとした高級パン9ユーロ(1斤1300円)が売っている。見ていたら次々とフランス人が列をなして買っていく。パリに来て日本の食パンっていうのもおかしいけれども、やっぱり食べたくなりお土産に買って帰った。

食べて、飲んで、綺麗な物を見てのパリプチ旅行。だたこれを続けると健康にはよくないのも確か、また元旦から健康的な食生活に戻ったらいいか、と考えながら新年が明け我が家がすぐに向かったのは日本食レストラン、久しぶりのフランス料理も良かったけれども、私の心も胃も欲しているのも白ご飯とお刺身だった。

2023年も世界中の人が、美味しいものに恵まれて、笑える日々が多いことを願って!

パリで見つけた高級食パン

ポテトは最高

この間、買い物の帰りあまりに寒かったこともあって、思わずフィッシュアンドチップスのお店に入ってチップスを買い、家に帰るまで待つ事なく、そのまま揚げたてのチップスをいただいた。

イギリスの国民食、揚げたてで塩とビネガーがきいたチップス(フライドポテト)の、なんて美味しい事、道ゆく人もなんとなく羨ましそうに、私のチップスを見ていく。

ジャガイモには、チップスの他、ローストポテト、マッシュドポテト、ジャガイモをまるごとローストするジャケットポテト、ハッシュドポテト、ポテトサラダ、茹でポテト、蒸しポテト、オムレツ、コロッケ、フランス料理のグラタン・デ・ドフィノワ、シチュー、ポタージュ、ほか炒めたり、和食ではおでんに入れたりと様々な調理法が存在する。

ジャガイモは南アメリカのアンデス山脈から北はメキシコに至る高原地帯が原産地。

ペルー人の友人が言うには、ペルーには2000種の異なるジャガイモが存在するらしい。

ヨーロッパには、新大陸からのお土産として、船乗りや兵士たちが1570年にジャガイモをスペインに持ち帰った。初めの頃ジャガイモは食用としてはなかなか浸透せず、観葉植物としての栽培が主だったらしいが、食料として生産性の高いジャガイモを、食糧飢饉に悩むプロイセンの国王がその栽培を奨励したのがきっかけで、ジャガイモはしだいにヨーロッパに普及していった。

1621年にはアイルランド人の移民によって、ジャガイモは北アメリカにも渡った。

農林水産省のサイトによると、諸説がある中も、ジャガイモは1598年にオランダ人によって初めて日本に持ち込まれたと言う。

インドネシアのジャワ島のジャガタラ(今のジャカルタ)を経由して長崎に伝来した為、ジャガタライモと呼ばれ、それが短縮されてジャガイモと呼ばれるようになったそうだ。

ジャガイモにまつわる話と言えば、悲しいアイルランドのポテト飢饉も思い起こされる。

イギリスの植民地支配の下のアイルランド、人々は麦は地代として地主に収穫される為、地代にとられることがなく、生産性の高いジャガイモを自分の庭で栽培しだし、それからジャガイモは貧しい人の唯一の食料となっていった。

1845年から1849年の4年間、ヨーロッパではポテトの疫病が大発生した。この時ジャガイモを主食としていた貧しいアイルランドからは、ジャガイモ飢饉で100万人以上の餓死者が出たと言う。

ちなみにこの後に、私の夫のご先祖様は、貧しいアイルランドを後にして11歳と言う若さで1人オーストラリアに旅立った。

江戸時代の天保の大飢饉では、ジャガイモのおかげでたくさんの餓死を免れたと言われてる。

世界中で愛されるポテト料理、つい最近もトルコ人の友人Gにとても美味しいポテト料理を作ってもらった。小さめのポテトを下茹でしてからフォークで押しつぶす。オーブン皿にベーキングシートを敷いてポテトを並べ、塩、クンミンパウダー、チリペッパー、ローズメリー、オリーブオイルをかけてオーブンで30分焼く。チキンや魚の付け合わせとして最高の味だった。

同じ要領で友人のS子ちゃんの娘、Hちゃんが、コチジャンで味つけしたローストポテトを作ってくれた事もある。これもまたとても美味しかった!

ポテトはいろんな料理の付け合わせとしても、メイン料理としても最高の素材、これからの寒い日々には食卓に上がる事が増えるはず。

そお言う我が家の今夜の夕食も野菜のコロッケ、ポテトさん、存在してくれてありがとう。

ワールドカップよありがとう!

先日のサッカーワールドカップ、スペインー日本戦にはとても熱い思いをさせてもらった。

私のように普段サッカーの試合を見ない者でも、ワールドカップの、それも自国の試合となると、自分の国を応援せざろうにはいられない。

今大会の日本人プレーヤーの力は凄かった。また嬉しい事に私の周りにも日本を応援してくれている人が多く、報道もコメンテーターも日本に好意的な報道が多かった印象を受けた。

ワールドカップまでは、長友以外の代表選手の名前さえろくに知らなかった私だけれど、日本がドイツに勝ってからは、いろんな選手の名前を覚えだした。そしてヨーロッパで活躍する選手が多いと知った時も、外国語を上手に話せる選手が多いと知った時もとても感動した。

特に、久保建英が話すスペイン語のインタビューはいくつも見てしまった。さすが10歳の時にスペインに渡っただけあって、とても流暢なスペイン語を話す久保選手。チームメイトともすごく打ち解けているようだし、何よりもスペインー日本戦の後、スペイン人フアンが「スペインが負けてしまったのは悔しいけれども、自分の愛する建が活躍したのはすごく誇りに思う」と言っているのを聞いて私まで嬉しくなってきた。

キャプテンの吉田麻也は、若いプレーヤーに英語を学ぶ事を奨励しているらしい。そうすることで外国リーグでの活躍の場を広げる事ができるから最もだ。

クロアチア戦の後、前田大然選手が号泣している中、同じクラブ、セルティクの同僚であるクロアチア人選手ユラノビッチが前田選手を慰めている場面も、試合後まだ呆然と立ち尽くしていた日本代表の元に真っ先に駆け寄って、健闘を称え、抱擁を交わしたクロアチアのペリシッチ選手の姿も、見ている側にたくさんの感動を与えた。

外国で活躍している選手が多い事という事は、国外でも日本人選手を知ってる人が多い事、いろんな選手が三苫薫を褒めていたし、日本サッカーはこれからますます盛り上がっていく気がする。

サッカーに興味のない夫は「日本のラグビー試合はあまり見ないのになんでサッカーは見るの?」と言ってきた。本音で言えば、昔からなんかサッカー選手はかっこいい男児が多いという印象があったからかな!

それに関西人の堂安律や前田大然には親しみが湧くしね!

でも今回久保選手のスペイン語を聞いているうちに、またちゃんとスペイン語を学び直したい気持ちが高まってきた。私が2年間住んだスペイン、気さくで親切な人が多いスペイン。先日もスペイン人の友人と話している時実感した。私はフレンドリーなスペイン人が大好きやと!

今回のワールドカップは、多くの日本人に喜びを与えた。私も心臓がドキドキするぐらい気を張って試合を見て、感動をもらい、さらにワールドカップのおかげで、またスペイン語を勉強したくなる気持ちも芽生えてきた。

これを書いていると、次女が「ママ、Edgeware Roadはめっちゃ盛り上がって、道で踊ってる人が多いらしいで」と言ってきた。アラブ人が多いそのエリアはモロッコがフランスを破って優勝し、めちゃくちゃ盛り上がっているらしい。モロッコはアフリカ勢初の4強入り。ここでもモロッコは多くのアラブ人、アフリカ人に喜びを与えているんだろう。

残るはアルゼンチンークロアチア、フランスーモロッコ。

私個人はクロアチアに勝ってもらいたい、そしてユラノビッチ選手とペリシッチ選手を応援したい。ありがとうワールドカップ。

料理のレッスン

私が担当している1年生のクラスでは、毎週Food Scienceと言って簡単な料理の授業をおこなう。料理といっても、火をいれるところからは調理場に持っていって、給食係の人に仕上げてもらうので料理の下準備授業と言った方が適切だ。

Food Scienceの授業は子供達には大人気。いつの日か私の日本人の友人が巻き寿司を作りにきてくれた時も、中国人のお母さん方が月餅を作りに来てくれた時なんかも子供達は大喜びで、作るは、味見はするはですごく盛り上がった。

今回、来年早々に児童の両親を招待して、世界の料理というテーマで、Food Science授業のプレゼンテーションにおこなう事になった。

世界と言うからには、ヨーロッパやアジアだけでなく、アフリカ、アメリカ大陸からの料理も作らないといけないし、子供達にも世界には様々な料理があることを知ってもらえるチャンスになるので、こちらも今張り切っていろんなレシピを探している。

早速友人にもヘルプのメッセージを送ったら、先週の金曜日はトルコ人の友人Gが、トルコのパイ料理、たばこサイズボーレックを子供達に教えに来てくれた。

料理上手で、子供好きの友人Gは、この授業の要領をわかってくれていて、パイの中に詰めるフェタチーズとパセリのミックスはすでに作ってきてくれたので、子供達はひたすらパイ生地にチーズを詰めて包んでいく。出来上がると「家で家族に見せてから食べてよ」と子供達に言っていたにもかかわらず、ひとつふたつと食べ出していく。私も味見したけれども、めちゃくちゃ美味しいし、子供の味見が止まらないのも納得。

有難い事に今週は児童のブルガリア人のお母さんに来てもらい、再来週はペルー人の友人がそれぞれの国の料理を作りに来てくれる。

でもできる調理法はオーブン焼きと蒸す事のみなので、巻き寿司やピザのように比較的作りやすい料理を見つけるのは難しいし、子供が喜ぶ料理となると話はまた変わってくる。

先日も、調理場に行かずに簡単にできる事からレバノン、シリアなど東地中海で作られるイタリアンパセリとクスクスのサラダ、タブレーを作った。子供達は野菜を切る作業は喜んだものの、タブレーサラダはいまいち人気がなかった。色が緑すぎたかな?

ここ何日かはアフリカ諸国の料理、それもアラビア語圏ではないアフリカ諸国のレシピを探しているけれども、学校では作りにくいレシピしか見当たらない。多分うちのクラスの子供達も私も、アフリカ圏の料理にあまり馴染みがないので、なるべく子供受けするデザートを作ってみたいと思うけれども、簡単に買えない素材が必要だったり、アルコールが必要だったりと難点が多い。

いろいろ探してようやく学校でも作れるレシピがひとつ見つかった。ケニア、タンザニア、ウガンダ、ルワンダ一帯で食べられるトマトと玉ねぎサラダ、カチュンバリと言うサラダだ。

赤玉葱、トマト、きゅうり、アボカド、唐辛子入りのサラダで、ライムジュースとライムオイルを使って作る。なんかメキシコ料理の味付けに似ている感じで、大人が食べるには、お肉やお魚の付け合わせとして、結構美味しそうな味。

あーでもまたサラダや、子供は喜ぶかな?

しばらくは、アフリカ大陸の味を探す日々が続そうだ。

トルコのたばこサイズボーレック

英国新首相誕生

昨夜は至るところで、花火や爆竹の音が鳴り響いていた。

そうや、ヒンズー教徒の新年を祝うお祭り、Diwali(ディワリ)や。

でも今年はいつもよりも多くの爆竹音が聞こえてくる。

今週はハーフターム中で学校が中休みだから、子供達も遅くまで起きているからか、インド人がたくさん近くに引越ししてきたからかなと考えながらハッと思い立った。

昨日、イギリス保守党の党首に英国初、42歳と言う若さでインド系のRishi Sunakが選ばれ、今日10月25日、彼は正式に英国の首相に就任された。昨夜のディワリは、インド人コミュニティーにとっては二重の喜びがあったんじゃないかな?

Rishiの祖父母はインドのパンジャーブ生まれ、Rishiのお父さんはケニアで生まれたインド人、お母さんもタンザニアで生まれたインド人、祖父母は1960年代にイギリスに移民してきたので、Rishiはイギリスで生まれ育った、ヒンズー教徒だ。

インドがイギリスの植民地であった史実を考えれば、今Rishiがかつての宗主国であるイギリスの首相に就任した事は、特に高齢のインド人移民の方々にとっては感慨深いものがあるに違いない。

確かに移民と言っても、Rishiのお父さんは医師で、お母さんは薬剤師。彼はオックフフォード大学、スタンフォード大学を出て、エリート街道を歩き、インドの大富豪の娘さんと結婚したので、とても恵まれた環境で生きてきた。

それでも、努力して勉強をしてきたら、移民の子供でも首相になれる事実、いろんな信仰、民族的背景を持つ人々が、国家の最高役職につけるという事実は、今いる移民の子供達に希望を与えることになるんじゃないだろうか。

おりしも今日はUCL大学に通う、次女のドラマのショーケースの日。今回のキャスティングはBAMEと言って、Black,Asian,Minority,Ethnicに限定されていた。ロンドンの多人種、多国籍社会で生まれ育った娘には、自分はBAMEという意識はあまりない。でもこうして出演者がBAMEだけと限定されれば、選ばれるチャンスがあるという事になるので有難いのも事実。

昔はイギリスの演劇やミュージカルの世界は、白人が主体の世界だった。東洋人がイギリスで女優になりたければ、東洋人の役しか回ってこなかった。

けれども今ではカラーブラインド、ジェンダーブラインドキャスティングと言って、人種や肌の色、性別を問わずに出演者を選ぶ作品も増えてきて、時代劇など、脚本はイギリス人の白人であっても、アジアやアフリカ系の俳優、女優が出演している作品もある。

こおやって社会はますます多様性を重じ、いろんなところで人種構成の多様化が進んできている。

Rishiがどんな政策を生み出すのか、まだわからないけれども、私は少し彼に期待していたい。

円安と物価高

最近、連日のように、日本に来ている旅行者が爆買いしているニュースを目にする。

ビザなしでの個人旅行が解禁された上、今破格の円安で日本旅行は大人気。

大阪、心斎橋筋にある大型ドラック店、高級ブランド物を扱うお店がニュース番組で扱われて「今日の売り上げは、外国人観光客が爆買いされここまで伸びました」と満面の笑顔で語っていた。

私が先月そこの前を歩いた時は、とても静かだったのが今や嘘のよう。

円安の今、ブランド製のバックなんかは日本円で買った方が、かなりお得になる。

日本旅行がみんなに解禁される事はとても喜ばしい事だけれども、これらの連日のニュースをロンドンで見ていると、この状態はとてももどかしく、一抹の不安すら感じるのも否定できない。

例えば、今から35年以上前は、オーストラリアやシンガポールは、私達日本人にはとても物価の安い国で、特にシンガポールはストップオーバーをもじってショップオーバーと言い、買い物天国だった。

今その立場が逆転して、日本が安い国になってきている。

この間もTBSニュースで、各国の最低賃金の比較を報道していたけれども、日本の全国平均最低賃金が1時間あたり961円であったのに対し、オーストラリアでは2009円、アメリカのカリフォルニア州では2220円、イギリスは1610円だった。驚いたのはアメリカでは来年の1月からファースト法と言って、ファーストフード従業員の給与が大幅引き上げられ、最低賃金の時給が22ドル、日本円で3256円になるらしい。

もちろんそれらの国は生活費も高いだろう。シンガポールの生活費は日本の倍になると言われている。でも日本の961円は時給が低すぎる。「こんなに手が混んでるのに、なんでここまで安いの?」と大阪でお弁当を買ったり、ランチを食べに行く時にいつも感じてしまう。

日本人の給料は上がらなければならない。

そしてこれからは日本人も職種によっては外国に出稼ぎに行く時代になってくるんだろうか?

出稼ぎといえば、ほんの少し前までは、イギリスにワーキングホリデーに来るオーストラリアやニュージーランド人の若者は、イギリスで働いてお金を貯めて、ヨーロッパを旅していた。でも今は自国で充分稼げるので、物価が高くて、給料の安いイギリスに来てわざわざ働かなくてもいい。

ロンドンの小、中学校の体育の先生には必ずやオーストラリアやニュージーランド人の先生がいたけれども、その数が減ってきているのは、私が働く学校でも見られる現象だ。

そのイギリスは今、ポンドの価値が下落して、物価が急高騰しているので「あれ、これこんなにしたっけ?」と思わせる事ばかり!

最近では、アボカドトーストを注文した時、目玉焼きをつけるかどうかの選択があった。目玉焼きをつけたら11ポンドのアボカドトーストが15ポンドに、小さな目玉焼きは4ポンド、日本円で660円増し!そこまで美味しくないのを知っていたから、目玉焼きはなしにした。

またいつも行く日本食レストランで、今までは9ポンド半で買っていたちらし丼が急に15ポンドに値上がりしていてびっくり。15ポンドは今、2500円。日本で2500円あれば、ちらし丼が二つは買える。

とにかく、1日も早くロシアとウクライナの戦争が終わり、円安も止まらなければならない。

イギリスの物価高も嫌だけれども、母国が安い国になっていくのを見ているのも嫌や!

日本人はこの事態をどのように受け止めているんだろうか?

イギリスはまた首相が辞任し、しばらくは物価高が続いていく気がする。

母との別れ

2022年の夏は私にとっては忘れる事ができない夏になってしまった。

夏の大阪行きを断念した私は、下の娘と一緒にイタリアのトスカニーを旅行していた。

中世の都市シエナを訪ね、壮麗なシエナ大聖堂の中を魅入っている時に、私は急に重力を感じた、と言うか何かに押さえつけられたような、次元が変わったような感覚を覚え、思わず娘に「なんか変な気分、これ何?」と聞いていた。

その日はなぜか広場でお茶をしながら、赤ちゃん、子供、若者、老人といろんな人を見て生と死について考えをめぐらしていた。

その夜の明け方、母と会い、2人でハグをしたような感覚を覚えた。

夢だったか、現実だったか、今ではもう記憶が曖昧だ。

でもシエナ大聖堂の中での体感と、母の映像を見たのは紛れもない事実。

母は、私がイタリアに旅行している間に亡くなっていた。悲しいことに孤独死だった。

急いで大阪に戻る事になった私「もしこの夏私たちが大阪に戻っていたらこんな事にはなっていない、母はまだ生きていたはず」と後悔ばかりが心に浮かんでくる。

3年ぶりの大阪は、母がもうここに居ないと言う現実を除いては、いつもと同じで、全く変わっていない。でもそれが時よりとても心を苦しませる。

お葬式が無事終わり、母の身元の片付けを始めると、じつに多くのものを見つけ始めた。

なんでも取っておく習慣があった母は、昔私がおばあちゃんに送った手紙や、私の父親が私に書いた手紙も残しておいてくれ、これらが私の心を癒してくれる。

最後の3年間は、コロナ禍の中とても寂しい思いをさせてしまったけれども、母の残した写真を見ていると、母の人生はいろんな経験に満ちた人生だったと感じ、私の中で母の死を嘆くのではなく、彼女が辿った人生を祝福しようという気持ちが強くなってきた。

母がヨルダンのペトラに行った時や、アルゼンチンのブエノスアイレスのカフェで綴った旅日記、関西外国語大学ラテンアメリカ、リレー講義を受講している時に書いていたノート、若い時に弾いていたマンダリンのコンサート、年末にベートーベンの第9をコンサートホールで歌いに行った時の写真と、好きな事を充実させていた彼女の人生が、ありありと目に浮かんできた。

いろんな経験をしてきた母、そんな中でも母にとって最高の時間だったのは、60代後半にJICAのシニアボランティアとして、シリアのダマスカスに2年滞在した事。ダマスカス職業訓練、服飾専門学校で、洋裁を教え、余暇には学生を自宅に招待して、生花を教えたり、在シリアの日本人の人々といろんな交流をした事だと思う。

もし母が今の時代に生まれていたら、もっと広い世界に早くから飛び出て、いろんな事を成し遂げていたに違いない。昭和12年生まれの、日本人女性に生まれた母にとっては、時には日本的価値観は息苦しかった時もあったと思う。

弟がお葬式の日に「お母さんの意志は3人の孫が受け継いでいきます」と母に送った。

まさにそう、今もう母の孫たちは、母がしたくてできなかった人生をすでに歩んでいる。それを母はあちら側から応援してくれているはず!

戻ってきたロンドンは、エリザベス女王の追悼に満ちていた。

人生は一方方向に進んでいき、誰もがいつかはこの世を去ると言う事がますます実感される。

人生を大切にして生きよーっと、日々の時間を大切にして生きていこう、それが母が教えてくれている事。ありがとうママ、84年の人生、おつかれさまでした。

今度生まれ変わっても、私のママでいて欲しいと言ってたけれども、次は私の娘として生まれ変わってきて欲しい、そして好きな事を存分にやらしてあげ、思っきりかわいがって育ててあげたい。

ロンドンの猛暑日

先週の月曜日と火曜日のイギリスは、観測史上初の暑さに見舞われ、ヒースロー空港では41度まで気温が上昇した。

その前の週から気温上昇の対策や警告予報が出されていたので、どの人もある程度の覚悟をしていたと思うけれども、はい、やっぱり暑かった。

ロンドンはちょっと雪が降っただけで、交通機能が麻痺してしまうけれども、猛暑日も同じ。

暑さで鉄の線路が曲がってしまったり、不要な外出は控えるように政府が要請したと思えば、それを受けて今日は仕事に行きませ~んと言う人が出てきて、電車や地下鉄の駅員が人手不足になり、駅が閉まる、それで人が通勤できなくなる。

夫も最寄りの駅に朝着いたら駅が閉まっていたらしく、仕事場でも多くの人が在宅で、オフィスに出てきたのは二、三人とか。ブティックを経営しているご近所さんは「うちの店にはエアコンがないから月曜日と火曜日は店は閉めるねん」と言ってたし、当日は「月、火は休業します」と言う貼り紙をはっているお店をちらほら見かけた。

私は月曜日の早朝、公園に散歩に行った。この日は外でのジョギングは控えるように政府が要請していたのもあってか、ほとんど走っている人は見かけなかった。

まあ暑かったって、月曜日は風さえ吹いていなかった。私は家の中の一番涼しい場所で、ほぼ裸に近い格好で読書をしていて、日がくれてからはバルコニーで座っていた。

火曜日の午後はエアコンがギンギンかかっているカフェで過ごす予定だったけれども、行きたかったカフェはどこも満席、コンピューターと共に半日は座る覚悟で来ている客でいっぱい。

レストランを通るたびに「エアコンきいてます」のサインを見かける。エアコンがきいてる店でランチをした後、これまたエアコンがきいているスーパーで買い物をして、後は影を求めて家路に!

7月の平均気温は21度前後で、湿気がないロンドンではエアコンの普及率はとても低い。実際熱帯夜を経験するのは年に2日ほど。我が家の場合は風の通りが良くて、夜はいつも気持ちのいい風が吹いてくれるので、エアコンがいると思った事は今までなかった。

でもここ数年、地球温暖化が進み、確実にイギリスの気温は毎年上昇している。

毎年夏になると、暑い中東の産油国からアラブ人が避暑の為にロンドンにやってくるが、彼らのロンドンホームにはエアコンが設置されてるのかな?避暑にくる意味がなくなる。これからはエアコンを買う人は増えてくるんだろうか?

でもエアコンなしで、こんなに暑かったら食欲も落ちるし、料理をやる気も失せてくる。

月曜日は長女がベトナム料理のライスヌードルの上にエビや野菜をのせたブンを作ってくれた。

火曜日は朝いちでさばそぼろを作っておいて、卵とインゲンとで3色丼をいただいた。暑いからお味噌汁はなし、ただ中華風の叩ききゅうりを作ったら、暑さにあうのか食が進んだ。

きゅうりを棒で叩き潰し、そこに砂糖、米酢、ラー油、チリペッパー、豆板醤、お醤油で絡めるだけの即席料理。ビールでもあれば最高のコンビネーションだったはず。

有り難いこと火曜日の夜、少し雨が降り気温が下がり、そのまま水曜日はいつもの過ごしやすい26度ぐらいに戻った。

あー2日間といえど、ロンドンにいる限り35度以上の気温はやめてほしい。

日本が遠い

今年の夏は、3年ぶりに次女と一緒に大阪に帰るつもりでいたけれども、ここにきて航空券があまりに高いので泣く泣く日本行きを断念することにした。

6月の初めから日本行きの航空券を探していたけれども、今思えばあの時点で一番安い航空券を買っておくべきだった。その時点では1人あたり1200ポンド(約20万)ぐらいのチケットはまだあったような気がする。それでも経由便であってもいつもは600ポンドから800ポンドの料金で航空券を買っていた私は、その時点では「まだ絶対もう少し安いチケットが買えるはずや」と楽観していた。

それが日を追うごとに、いや分刻みで航空運賃は上昇していく。成田行きの1500ポンドのチケットを見つけた時は買うつもりでいたけれども、よく見ると経由地が2つ以上で、各待ち時間が12時間とホテルを取らないといけない、また政情不安なスリランカのコロンボで乗り換えに13時間待ちとなると、これらのチケットを買うのをためらってしまった。

それでもこんな条件のチケットでも翌日は売れているからびっくり。

そんなある日、マレーシア航空のクアラランプール経由関空行きのチケットが1人あたり1020ポンドという価格を見つけたので、経由地での待ち時間が17時間と長かったけれども、同じ日に日本に出発できるとあって、これやーと舞い上がる気持ちでチケット購入のボタンをおした。

そしたらその先の画面が出てこない。何回かトライすると「このチケットの料金は現在変更されて、新しい価格は約5000ポンド(約80万)です」とう画面が出てきた。

確かにマレーシ航空のウエブサイトを見たら、マレーシア行きでさえ、2000ポンドはしていたので、日本行き便がこれより安くなるわけはない。あ~唯一の希望が消えていく!

そうこうしてい間にスカイスキャーナーのサイトに戻ると、関空行きの一番安いチケットは2回どこかを経由しても1人あたり最低1600ポンドが相場になっている。ちなみに今日見てみると、関空行きで一番安いエアインドと全日空のコーシェア便が、インドのゴアとムンバイでそれぞれ約10時間待って、1人あたり2611ポンド(約43万)、娘と2人だから86万の航空運賃になる。

今年はウクライナ問題、燃料高騰にくわえ、まだコロナに対しての規制が残っているアジアには乗り入れしていないヨーロッパの航空会社も多い為、航空運賃はかつて例がないほどの価格になってしまっている。その上チケットを買ったあとに、航空会社からキャンセルされた人が多いと言う話もよく聞く。

日本は外国人の入国を認めていると言うものの、旅行ができるのは団体ツアー旅行者のみらしい。どうりで日本に乗り入れしている航空会社が少ないわけや!コロナ感染者が増えてきている今しばらくはこの体制が続くんやろうね!

やっぱりこれもコロナ後の現実なんかな? ロンドンのヒースロー空港はコロナ禍で空港で働く多くの人を解雇してから、まだコロナ以前のレベルの空港勤務者、すなわち労働力を確保していない。だから空港での荷物の振り分けが大幅に遅れている。

この夏はヒースロー空港で働いている人, British Airwaysもストを計画しているし、イギリス政府は各航空会社に9月の半ばまでこれ以上の航空券を売らないように勧告している。

だから私の周りでも夏休みの計画を考え直している人が多い。

暑い日本で、マスクをつけながらの日々はしんどそうやなーなんて思っていたけれども、帰れないとなるとマスクをつけたままでもいい、暑くてもいい、日本に帰りた~い気持ちがさらに高まってくる。

あ~2022年、まだまだ日本が遠く感じる。

私の夫とBoris Johnson

7月7日、英国首相Boris Johnsonが辞任を表明した。

我が夫はBorisの事をナルシストと呼び、Borisが大嫌いだ。まだBorisがロンドン市長だった頃から「Borisは自画自賛ばっかりして、絶対にいつか首相になるつもりや、もしこいつが英国の首相になったら、僕はこの国から出ていく!」と宣言してきた。

Borisが正式にイギリスの首相になったのは2019年7月24日、そして翌月の8月30日に夫は仕事の為にオーストラリア、キャンベラに行く事になりロンドンを去っていった。

この間の3年間、世界はコロナという新しい問題に直面し、世の中がどんどん変わりはじめた。

そして約3年と言う時間が過ぎ、夫の仕事も契約が完了して、7月6日に夫はロンドンに戻ってきた。

翌日家族間でやっているラインのメッセージを見ると、長女が「パパ、マジックパワーを使ったん、パパが帰ってきたからBorisがやめたやん」夫は「そうや自分のマジックパワーでやつをやめさせたんや~」とBoris Johnsonの辞任のニュースを聞いて私の家族は大興奮。そのやりとりはその後42通も続いて、仕事の合間合間に読みながらも私は大笑いさせてもらった。我が夫はかねてから宣言したとおり、Borisが去ったのでロンドンに戻ってきた。

コロナ禍、国民に室内での人との接触を自粛しろと言い続けてきたBoris、でも彼自身は政府機関で何度かパーティーをひらいて参加していた。これが見つかっても辞任は頑なに拒否し続けてきたBorisだけども、さすがに先日重要閣僚が相次ぎ辞任し、党内部からの退陣圧力が高まったことで今回の辞任につながった。

Borisは国民に好かれたい気持ちが異常に強い政治家。おそらく目の前にいて一緒に話をしていたら彼に好感をもってしまうかもしれない。でもBorisの政策をよく知っている長女や夫からしたら彼の政策は受け入れられないらしい。

長女の友人の父親は、保守党の政治家でBoris Johnsonの高校、大学時代からの友人。その人物でさえ6月にBorisに抗議して辞任した。

名門校であるイートン校、オックスフォード大学を卒業したBoris、オックスフォードでは特権階級だけが入れるエリートクラブ、ブリンドンクラブに所属していた。Boris的には常に、まあいいか、今回も大丈夫やろ的な、自分には権利がある気持ちがすごくあったんじゃないだろうか。

彼の先祖を見ていると、イギリスの国王 George2世、オスマントルコの内務大臣だったAli Kemal、YMCAの創設者George Williamsと歴史的に名を馳せた人物がいる。英国の特権階級に属し、恵まれた環境の中で育ったBorisには一般国民の生活を真に理解する事ができなかったんだろうし、理解しようとも思ってなかったんじゃないだろうか。

この先Borisはどんな仕事を選んでいくかしれないが、彼の事だからテレビに出演したりと相変わらず世間を騒がすような存在でいるに違いない。過去には英国の大人気番組でケーキ作りの名人を選ぶThe Great British Bake Offに出演したいと言っていた事もある。

政治家として生きていくよりも、世間に好かれるコメンテイターやセレブリティーとしてい生きる方がナルシストの彼にはあってるかもしれない。

とにかくBorisが去り、我が家に夫がイギリスに戻ってきた。また一つの新しい時代が始まろとしている。