インド人の活躍

最近インド人ってすごいと言うか、インドの力強さを感じる機会が多い。

経済成長を続けているインド、人口の多さも手伝ってこのままいくと2050年には国民総生産が世界第2位になるだろうと予測されている。

英国の支配が約200年も続いたインド。第二次世界大戦後の1950年代から職を求めてインドから多くの人がイギリスに移民してきた。

今その人たちの子孫である2世、3世は英国の各界で活躍している。

現内閣では大蔵大臣に当たるChancellor of the Exchequerはインド系のRishi Sunak、内務大臣に当たるHome SecretaryはPriti Patelもインド系英国人。そして病院や歯医者に行くとインド系のお医者さんがとても多いのも事実。

イギリスにはインド国籍を保持し、インド国外に居住する在外インド人とインド系移民で非インド国籍になった非移住インド人とその子孫のインド系英国人がいる。

私が感じているのは最近在外インド人が増えているって事。

私の次女が通う大学UCLにも在外インド人、インド系英国人が多く、娘にも在外インド人、インド系英国人の友達がいる。それらの友達と写っている写真を私に見せながら「この子は南アフリカ生まれ、この子はドイツ生まれ、この子はドバイ出身、この子はイギリスのレデイング生まれ、このこの子だけがニューデリー生まれのインド人」と言う。みんな人種的にはみんなインド人なのに国籍がまちまちなところが面白い!

そしてまた最近インドの活躍がすごいなーと思わる事に、私が働いている学校にもインド人の転校生が増えてきた事実と、その子たちの親のほとんどが金融関係の仕事でロンドンにやってきて、その子たちの算数能力がすごく高い事。

いろんなワークショップで学校にやってくる人の大多数がインド系英国人であったり、中国人と同様イギリスのアカデミックな世界でインド人の活躍が多いと言う印象がある。

私の同僚もインド系カナダ人で、彼女のご主人はインド系イギリス人。彼女のご両親は80年代にインドのパンジャーブからカナダのトロントに移住した。面白いのはその同僚の娘は人種的には100%インド人だけれども、自分をカナダ人と認識しているのに対し、うちのクラスの両親ともにインド系イギリス人の子供は自分はインド人と認識している事。各家庭でどれだけインドの伝統文化を子供に教えているかで、各自のインド人意識が変わってくるもんなんだろう。

でも確実にどのインド系の人も食事はインドの文化を大切にしている気がする。私が人生で出会ったインド人はみんなインド料理、自分の郷土料理を大切にしている。

イギリスのインド、パキスタン、バングラデシュレストラン、英国中のパブにいくと必ずメニューにあるチキンティカマサ。一説によると英国北部かスコットランドのグラスゴーあたりのインドレストランで、炭焼きタンドリーチキンにグレビーソースをかけるように注文してきた客に、対応に困ったシェフがトマトソースとスパイスをタンドリーチキンにかけたのが始まりと言われているが、このチキンティカマサラはイギリス生まれのインド料理で、今やイギリスの国民的料理の地位にある。

そんな話を娘としながら、久しぶりに日本料理を食べに行きつけのお店Eat Tokyoに行ってきたらびっくり。ウエイター、ウエイトレスの多くがインド人に変わっていた。きっと留学生のアルバイトなんだろうけれども、ちょっと前は中国人の学生がしていたこの仕事もインドの人に変わっているところに今の世界の動きを感じる。

修学旅行の引率

先週は人生初で、小学5年生と6年生の修学旅行の引率に行ってきた。

行き先はイギリス南部に位置するワイト島。ロンドンからバスでサウスハンプトンに行き、そこでフェリーに乗り換えて片道3時間半の道のりだ。

通常修学旅行の引率は、朝から晩まで子供の世話をしなければならないので、なるべく行きたくないのが先生の本音。私も最初引率を頼まれた時は、これは疲れるなと思ったけれども、気を改めてとにかく子供と一緒に楽しもうと決意。そして蓋を開けていざ修学旅行が始まったら、楽しい、楽しい。やっぱり日常を変えて、外の空気に触れる事でみんなの気分が高まるからすごい。

ワイト島は修学旅行=Residential Tripの行き先にふさわしい場所なのか、数々のイベント、アクティビィティーができる場所が揃っている。

地理や歴史などの学習に焦点を当てたコースもある中、今回はテーマパーク、アクアパーク、モンキーパーク、サーフィン、ミニゴルフにディスコと楽しさ盛りだくさんの日程で、去年はコロナ禍で修学旅行に行けなかった今年の6年生にとっては最高の修学旅行だったに違いない。

泊まった宿は、中庭を挟んで家が12棟あり、各家キッチンやリビングルームがついている。

私は5人の子供と家をシェア、私1人のベッドルーム、トイレとシャワーもついていてすごく快適なお部屋だった。

一応夜9時半の消灯が建前になっていたけれども、そんなの無理無理。ゲームにおしゃべりとお友達時間をたっぷり満喫できるように私なりに理解を示し「10時半には寝てよ!」と言っていたものの、テンションが上がっていた子供たちななかな寝れない。やっとみんな寝たかなと思ったところ、誰かが私の名前を呼ぶ、それが11時半、12時、そして12時半と続いた時は私もさすがに疲れてきた。

でもホームシックで眠れない、暗いのが怖い、クモがいて怖いと言われるとほんとにまだまだ幼い子供達だと痛感し、我が子もこうだったんだろうかと思ったりもする。

今回の修学旅行、私も子供達と一緒にウエットスーツを着てアクアパークを満喫、ちょと怖かったけれども子供たちの激励を受けて急勾配の滑り台を滑ったり、水遊びをして子供と一緒にゲラゲラ笑ったり私も童心に戻ったような時間を過ごさせてもらった。

ただ一つの欠点といえば、食事。

はっきりと言ってほんとにまずかった。昔イギリス料理はまずい料理が多いとよく言われていたけれども、まさにあの頃に経験した味!チリコンカルネ、トマトとチキンのパスタ、チキンカレー、ジャケットポテト。ソースが変わっても中で使われているチキンと野菜は冷凍食品で毎日同じ。それと毎日ランチには宿が作るサンドウイッチ、それがまた安物のほぼ味がしないパンとマーガリンにハムとチーズ。

何人かの子供は私に助けて~と言う視線を送ってくる。キッチンにお願いしてその子たちにはソースなしのパスタ、ライスだけを用意してもらう。

サンドウイッチもまずいから、ランチにはポテトチップだけですませる子がいたり。中でも中華や日本料理が好きな子供たちは「こんなライス食べられへーん、早くお寿司が食べたい」と毎日言ってくる始末。

でもみんなこおやって日々家で家族が作ってくれる料理への有り難みを感じるんやろうね!

引率した私がこんなに楽しかったから、子供たちにはすごく楽しい時間だったに違いない。

早速来年も参加しまーすと先手を打っておいた。

ビーチ時間、アイスクリームタイム。

エリザベス女王即位70年祝賀

今週の英国はエリザベス2世即位70年の祝賀、プラチナジュビリーで木曜日と金曜日は祝日になり、週末と合わせての4連休。街中、おそらく国中の至るところでお祝いの飾り付けが施されストリートパーティー、コンサートとお祝いムードで満ちている。

ちょうど今週の初め頃から、うちの近くのホテルにも明らかに英国各地からの旅行者の姿が目立ち始めた。そしてまたこの祝賀に参加しているのは英国人だけではない。街頭インタビューを受けているアメリカ人、カナダ人、インド人はみんなこのプラチナジュビリーの為にロンドンに来ていると言っている。

他の国の事はわからないけれども、英国、英国人はお祝いの仕方がすごく上手な国、国民だといつも感心させられる。特に世界的に知名度の高い英国人アーティストが多いので、コンサートなんかはそお言った有名ミュージシャンが登場してすごく盛り上がるし、イベントがあれば国民が一致団結する。

外国人の私ですらウイリアム王子のスピーチに感動して涙が出たりするから、自国のお祝いなら一層盛り上がるんだろう。

祝賀イベントの中でも一番素敵なのは各地域でご近所さんが集まってストリートパーティーを開く事。自治体に椅子とテーブル代15ポンド(約2500円)を払って、食事と飲み物は各自持参で近所の通りでパーティーをする。まさに老若男女が集まり、コミュニティーの暖かさが感じられるイベントだ。

残念ながら私の通りではパーティーは開かれなかったけれども、ストリートパーティーに参加した友達はみんな口を揃えて楽しかったと言っていた。

今私の夫はオーストラリア、長女はニューヨーク、次女はリスボンにいるので、私は親友の南アフリカ人のA宅でプラチナジュビリーランチに参加させてもらった。

友人Aと彼女の娘さんはいろんな料理を作ってくれていたけれども、今回彼女が作ってくれたコロネーションチキンは今まで食べたコロネーションチキン中で一番の味だった。コロネーションチキンとはエリザベス2世が女王に即位した時に考案されたカレー粉とクリームで味付けされたチキン料理。おそらく日本人好みの味ではないけれども、やっぱり料理上手な人が作るとそれなりに美味しい味になるからなんでも食べてみないとわからないもんだ。

特別に王室には興味はないけれども、さすがにエリザベス2世即位70年っていうのはすごいなーと私は思う。エルザベス女王は当年96歳、今でも凛とされていて、スピーチも上手だし、またユーモアのセンスもある。やっぱり女王としての貫禄と上品さを兼ね備えた女王はすごいし、まして25歳の時に女王に即位されて以来、どんな任務をも一切文句を言う事なくこなされてきたと聞くと、王室支持者じゃなくても彼女の勤めには敬意を払う人が多いのがよくわかる。

今回の祝賀でパディントンベアとお茶をしている場面がテレビで放送されたが、ロンドンオリンピック同様、こんな演技をしている女王はポーカーフェイスを保ちながらもどこか楽しそうだ。

彼女も一女性として、母として様々な経験をされて、最近ではご主人、次男、そして孫の事で心を痛められた事だと思う。

それでも初日にバッキンガム宮殿に家族と共に現れた女王を見ていると、頼もしそうな若い世代の家族に囲まれて、チャースズ皇太子、ウイリアム王子にジョージ王子と後継者も側にいて女王もさぞ心強いだろうと感じた。

エリザベス女王、即位70年ご苦労様です。これからもそうぞお元気でいらしてください。

英国のデザート、トライフル
手間がコロネーションチキン

ポートワイン

先月は家族でポルトガル北部を旅行した。

この旅行のハイライトのひとつがポートのワイナリーに行って、いろんなポートの飲み比べをした事。

ポートと言えば今まではクリスマス時期にいただく、芳醇なレッドポートしか知らなかったけれども、ある日夫がスーパーでキャンペーン中のホワイトポートを買ってきて以来、我が家ではホワイトポートとトニックウオーターをよく飲むようになった。

私的にはジンアンドトニック、アペレルとプロセッコで作るアペレルスプラッツよりもホワイトポートとトニックの方が喉あたりがいい気がする。特に夏の夕方にいただくのが最高!

本家ポルトガルでは一般に赤のポートは食後酒として、白は食前酒として飲まれるのが一般的らしい。

まだ糖分が残っている発酵途中に、アルコール度数77度のブランデーを加えて発酵を止め、その後樽の中で最低3年間熟成されるのがポート。これによって独特の甘みとコクが生まれる。

ポートが造られるのはポルトガル北部、ドウロ川上流のポートの法定区域。そこで栽培された葡萄を原料とした、酒精強化ワインのみにポートワインの商標が認められているらしい。

先週ワインを扱っている会社で働いている人と話をする機会があって、その人にいろいろポートの事を教わった。その人が言うところ、ポートのような酒精強化ワインの多くは複数の年のワインを混ぜる事が多く、そんなポートには収穫年表示がされないが、単一の葡萄で造られるポートはヴィンテージとして収穫年が表示されるそう、そしてヴィンテージポートの美味しさは格別だとか!

面白いことにポートワインの歴史にはイングランドが関係する。ポートのメーカーにはTaylor, Graham, Sandeman, Cockburn, Dow, Offleyなどの英語名がとても多い。実際これらのポートはポルトガルに渡ったイギリス人によって造られた。

Taylorの創立者は1692年にポルトガルに渡ったイングランド人、Grahamの創立者もポルトガルで商取引をしていたイングランド人の兄弟で、1820年にGrahamを創立した。

ポルトガルとイングランドの関係は深く、1386年には当時のポルトガル王国とイングランド王国はウインザー条約という同盟関係を結び、両国は軍事的、政治的、商業的に親密な関係にあり、これ以来2カ国間の交流はずっと続いた。

そしてイギリスとフランスが戦争中、フランス産のワインが手に入らなくなったイングランドのワイン商人はこれに代用するワインとしてポートワインを選ぶ。

ポートの飲み比べ

1703年にはポルトガルとイングランドの商人は新たに特別な権利と優遇された関税を認められ、これによって大量のポートがイギリスに輸出されたらしい。

ポルトの街ではポートワインの試飲ができる店が多く、他の旅行者と同様私たち家族もポートの飲み比べを楽しんだ。アルコールに弱い私だけれども、ポートなら飲めるから不思議。

そお言えば昔、日本でも赤玉ポートワインが流行った時があった。当時赤玉ポートワインには全然興味がなかったけれども、サントリーかどこかの人気商品だった記憶はある。

日本でもホワイトポートは知る人は知る飲み物なんだろうか?必ずいつかは人気商品になる気がする、いや期待してる!

ドウロ川を目の前にしていただくポート

夫が帰国

3月の末に私の夫が2年7ヶ月ぶりにオーストラリアからロンドンに戻ってきて、そのあとすぐに夫と長女と3人でリスボンに住む次女を訪ね、久しぶりに家族時間を楽しむ事ができた。

2年と7ヶ月と言う年月は長かったけれども、ロンドンに着いた翌日から、何も変わってないロンドンの日常にすんなりとけ込んでいった彼は「まるで2年と7ヶ月と言う時間はなかったような錯覚がする」と言っていた。

でもそんな彼がただ一つ違和感を覚えたのが、イギリスのコロナ情勢。レストランに行くにもワクチンパスポートを見せなければならず、まだどこに行くにもマスクを着用しなければならなかったオーストラリアから戻ってきた彼にとっては、地下鉄やバスの中でもマスクをしていない人が多いロンドンの姿にびっくり。

こちらがどんなに「もうマスクしなくても大丈夫やから」と言っても本人は聞く耳持たず。

「こんなに感染者が多いのにマスクしないのはおかしい」とこの話しになるといつも口喧嘩になっていたので、最終的にお互いのやり方に口を挟まない事で同意した。

いつも思うには対コロナについての身構えは人それぞれ、自分が得るコロナ情報源がまちまちだし、そこに個人の性格、価値観も加算されて様々な意見が生まれる。

私が思うに、オーストラリアのコロナ情勢はイギリスのそれよりも8ヶ月から10ヶ月は後にあるように感じる。

そんな我夫も、ポルトガルではまだスーパー、レストラン、カフェ、地下鉄の中ではマスクの着用が義務付けられていたので「ポルトガルはえらい、ちゃんとコロナ対策を考えている」と言いながら安心していた。

確かに国が違うとコロナ事情も変わってくる。ゼロコロナを目指している国もあれば、コロナと共存と言っている国もあるしね!私にとってはこのイギリスのあり方の方が有難い。

夫はファイザー社のワクチンを3回打って、ワクチンパスポートを持っているけれども、EUはオーストラリアのワクチンパスポートを認めていないので、ポルトガル入国の際、夫だけがPCR検査をして陰性証明書を取らなければならなかった。でも結局空港では誰も細かいところまで調べてこなかったけどね!!

ニュースを見れば、日本もやっと6月から外国人旅行者の入国を再開するとある。

マスクの着用はいつ終わるんだろうか? 

この夏は必ず日本に戻りたいと思っているけれども、あの暑さの中でのマスク着用は暑さに弱い私にはとてもきつい気がする。

そんなこんなと思いを巡らしているとリスボンに住む次女から電話が入った。コロナに感染したと言う。いろんな行事が決まっていたので、それがいけなくなって残念がっていたが、幸い軽い風邪の症状だけで熱もでず、一週間後には「読書とNetflixで楽しんだ、もうちょっと家に籠もってたかったわ」と呑気に言うしまつ。

ワクチンが効いているからか、みんなコロナに対する免疫がついてきたからか、コロナで重症化している人は確実に減ってきている。もう前に進んで言っていい時期を通り越したんじゃない気がする。

夫は2日前にまたオーストラリアに戻っていった。仕事の契約が7月までなので、その後はまたロンドンでの生活が再開する予定だけれども、やっぱり日本もオーストラリアも鎖国状態だったので、また国境がしまったらどうしようかと言う一抹の不安があるのは確か、でもコロナよ本当にこれ以上私たちを苦しませないでいてほしい! 

ひとまずは2年7ヶ月ぶりの夫との再会をみんなで喜んだ4月だった。

家族集合

ウクライナ

ロシアのウクライナ侵攻が始まってもう3週間以上たってしまい、毎日胸が締め付けられる思いで戦争関連のニュースを見ている。

在英ロシア大使館の前を通るたびに、大使館前で反戦を訴えている人々、抗議活動をしている人々を見て、それらに連帯を示す為に慣らされる車のクラクションを聞くたびに涙がこみ上げてくる。

ロシア大使館前での抗議

私が働く学校にも、親がウクライナ人、ロシア人、そしてウクライナ人とロシア人のハーフの子供達がいて、どの子もすごく今の情勢を心配している。特に大好きなおばあちゃんがキエフに住んでいる子は、とても悲しそうな表情を見せるから、その子を見てるだけで彼女の心の痛みが伝わってくる。

先日8歳のロシア人の子供が「この戦争でみんなロシア人は悪いと思っていると思うと悲しくなる。ロシア人も戦争を反対しているのに」と私に言ってきた。

どの国も政府と国民の意思、意図は時に異なる事、一般国民はウクライナ人もロシア人犠牲者であることを、私なりにその子に説明した。

うちのクラスの6歳のロシア人の子は「なんでロシアは戦争しているの」と私に聞いてきた。

私はその子にそれを説明できる立場ではない。ポーランド人のある親は「ロシアのウクライナ侵攻について先生からクラスの子供達に説明してほしい」と言ってきたが「政治問題であるが故にそれはできない」と担任の先生は断った。

昨日まではごく普通の生活をおくっていたウクライナの一般市民。ニュースのインタビューを見ていると「まさか本当にロシアが侵攻してくるとは思ってなかった。21世紀のヨーロッパでこんな事が起こるとは夢にも思わなかった」と言っている人があまりに多かった。

毎朝ニュースを読むたびに停戦合意の記事をあることを願っている私。「あと1週間ぐらいで合意にありつく可能性があります」と言う記事を読んだが、なんで1週間もかかるんだろうか。

でも今回隣国であるポーランド、ハンガリー、モルドバの多くの一般市民がウクライナから避難してきた人々に宿を提供したり、炊き出しをしたりと全面的に助けているをしているのを目のあたりにして人の優しさに、人々の連帯感にすごく熱いものを感じている。

昨日もスコットランドやイングランドの小さな村で、村人たちが協力してウクライナからの避難民を受け入れようとしているニュースを見た。時に思う、本当に政治家はいらんと!

本当に1日も早く戦いが終わり、ウクライナの人々が安全に生活でき、街が復旧し、ロシアの人の言論の自由が認められる生活がやってくることを切実に願う。

そんな思いが続く中、今朝デンマーク人の友人から連絡がきた。BBC World Newsでロンドン在住のウクライナ人とロシア人の友人が2人の祖国について語った番組だったらしいが、それを聞いていたデンマーク人の友人が「今度みんなでウクライナ料理を作ろー」と呼びかけのメッセージだった。

どんなに悲しい状況の中にもそこに希望を見出そうとする彼女の、今後ロンドンにやってくるウクライナ人の避難民の人たちに彼らの祖国の料理でもてなそうと言う彼女の心いきを感じた瞬間だった。

1日も早くウクライナとロシアが停戦しますように!

チェコ人の同僚

私の同僚、チェコ人のJはバイタリティーに溢れ、とても親切で多才。 ただあまりに喋るのが好きで、壁に向かってでも話し続けるタイプ。私はJほどよく話す人と出会った事はない、本当に稀にいないタイプの人間で、こちらが忙しい時に話しかけられたりしたら、話を中断するタイミングを見つけるのが難しいから、たまらない。

とにかく何事にも一生懸命対応するJは料理にかけてもすごい力を発揮する。

ちなみにうちの学校のスタッフの間では、自分の誕生日には何か食べ物を持ってきて同僚におすそわけをする習慣がある。普通はポテトチップス、カップケーキだけれど、Jは違う。

先週の金曜日は彼女の誕生日だったので、平日にもかかわらずJはいろんなカナッペやケーキを作って学校に持ってきてくれた。そのレベルがすごく高いのってプロ並みの腕前。

Jは学生の時、焼き菓子大会に彼女のおばあちゃんから教わったレシピでクッキーを出品して優勝し、その後市場にだしてみたらどうかとお誘いを受け、彼女はサイドビジネスとしてクッキービジネスを始め、彼女がプロジュースするクッキーはWhole Foodに売られるまで成長した。

そんなJにチェコですごい人気の家庭料理、Bramborákyブランボラークと言うポテトのパンケーキのレシピを教えてもらった。

小麦粉カップ1と暖かい牛乳1カップ、卵1個、すり下ろしたニンニク4かけ、すり下ろしたじゃがいも中サイズ6−8つ、塩、胡椒少々、小さじ2杯のマジョラムを加えてよく混ぜる。

これをサラダ油を引いたフライパンで丸い形になるように、両面がカリッとするまで焼く。

分量は結構アバウトでもいいらしい。

極めて簡単な料理で、ハムやベーコンを中に入れる人も多いとか。でもマジョラムはチェコ料理には欠かせないらしいので、これは必需品。

チェコには「朝食は一人で食べ、昼食は家族や友人と食べ、夕食は敵に与えろ」と言うことわざがあるらしい。南欧のように1日のメイン料理は昼食で、夜は寝る前にあまり消化の悪いものを食べないように、消化の悪い物は敵にまわせと言う意味で、軽くスープやさっきのブランボラーク、サラダなどですます食習慣があると聞く。

ヨーロッパの中央に位置するチェコ共和国、Jの話によるとチョコ人気質には日本人気質に似通ったところが多く、典型的なチェコ人は謙虚で、控えめ、礼儀正しいらしい。そお言えば私が出会ったチェコの人たちからもこのような印象を受けた事がある。

昔チェコに行った時、ロンドンで知り合いずっと文通を続けていたチェコ人の友人を訪ねた。

その彼女は私達の為に自分は実家に戻って、彼女のマンションを私の夫の為に気持ちよく使わしてくれたのを今思いだした。

チェコ人は暖かいとはよく聞いていたが、本当によくしてもらったのを覚えている。

今日Jと話していたら早速ブランボラークを作りたくなってきた。マジョラムとニンニクをふんだんに入れて、チェコビール、Pilsner Urquellピルスナーウルケルでも飲みながら作ってみようと思う。

Jが誕生日に持ってきてくれたカナッペとケーキ

巻き寿司

私が担当する1年生のクラスでは、今年からFood Scienceと言って簡単な料理の授業を始めだした。今までに作ったものはピザ、サラダ、フルーツサラダ、イートンメスというイギリスのデザート、ギリシャ風野菜とチーズのパイ。

「あーいつかお寿司をしないと」と思い続け、やっと昨日のFood Scienceの授業に日本人の友人二人にも来てもらって、みんなで簡単な巻き寿司を作った、というより巻いてみた。

いろんな子がおやつに味付け海苔を持ってくるぐらいだから、みんな喜ぶだろうと思っていたけれども、こちらの想像を上回るぐらい子供達は大喜び!一人あたり二つぐらい作ったらいいかなと計画していた私が甘かった、みんなまあ巻くわ、巻くわ!五つも作った子もいたぐらい。

巻き寿司用の海苔を半分に切って子供達に渡したものの、みんな作る前からちょこちょこと海苔を味見して、いざ巻くとなった時には長方形のはずの海苔が、ほぼ正方形や変な形になっていたりとお笑いの連続。

あまりに海苔を味見をする子が多く、いざという時の為に買っておいたおにぎり用の味付け海苔を代わりに渡したら、どの子ももっと欲しいとおねだりしてきてそれも一気になくなった。

担任の先生も「これはピザを上回るぐらいの大成功」と言ってくれたぐらい、みんな喜んで巻き寿司を作ってくれたので、私も私の友人達もやり甲斐を感じてすごく楽しかった。

巻き寿司と言っても、学校で作るので生の魚は使えないし、と言ってきゅうりやアボカドだけではそっけないので、スモークサーモン、ハム、イスラム教徒の子にはチキンのハム、そして卵焼き、

キューピーマヨネーズであえたツナを用意した。なんとこのツナが予想以上の人気!やっぱりわがキューピーマヨネーズの味のおかげかな? 

このクラスの父兄の中には偶然にも新婚旅行に日本に行く予定だったけれども、ちょうど東日本大震災が起きていけなくなったご夫婦が二組いたり、大学時代に日本語を外国語として勉強していた人、日本に旅行に行った人、あと来学期転入してくる子のハンガリー人のお母さんは17年間東京に住んでいたとかで日本文化に興味を持つ人が多い。

先日もアートの授業で草間弥生さんのカボチャの絵を紹介して、彼女について少し教えたら、それを知ったファミリーが早速、Tate Modernでやっている草間弥生さんのエキスヒビションに娘さんを連れて行ったりと、すごく教え甲斐があって私まで嬉しくなった。

最近ではいろんな国で日本文化が人気があるのは知っているけれども、本当に世界の多くの国の人たちにとって日本が近い国になったなーと改めて実感する事がある。

親族が日本人と結婚した友人もいるし、息子さんが日本で就職が決まった友人もいる。夫のオーストラリア人のいとこ家族はコロナの前までは毎年北海道にスキーに行ってたりと、イギリス人がごく普通にフランスやスペインに行くように、いろんな人が気軽に日本に行く時代になった。

36年にスコットランドで出会ったチェコ人、日本人が生の魚を食べると知って「えー考えられい、自分は絶対食べたくない」と言っていたけれども、あの彼女は今でもお刺身やお寿司を口にする事はないんだろうか? そんな彼女の方が今では珍しいんでは?

昨日巻き寿司を巻いた子供達を見ていて確信した。「あーこの子達が大きくなったら、パスタを茹でるのと同じように、こうやって巻き寿司を作るんやろうな」って!

なんか嬉しいなー!

ポルトガルのお菓子

先週はイギリスの学校では学期の中間、ハーフタームだったので、私は冬休み中の娘に逢いにまたリスボンに行ってきた。

ちょうどポルトガル政府もイギリス政府もワクチン接種者には渡航前や帰国後のPCR検査義務を取り除いたので、今回の旅はとても気持ちが楽。飛行時間も通常2時間半はかかるところが風向きのおかげで2時間10分ですみ、飛行機が着陸してから20分後にはもう娘に会えていて、改めてヨーロッパ間の飛行機の移動は早くて感激した!

噂によるとリスボンはヨーロッパの街の中でも、晴の日が一番多いらしく、私が行った時も空は真っ青で、白いモザイクの石畳に陽光が反射して街全体が輝いていて、それだけで旅行気分に拍車がかかってくる。

この街に来るといつも食べたくなるものがある。イワシ、スズキ、タラなどのいろんな魚のグリル、スパイスのきいたチキンの炭火焼ピリピリチキン、煮込んだ豚肉のサンドウイッチ。でもそれ以上になんと言って目にするとついつい買って食べてしまう伝統菓子が一番の魅力のような気がする。

リスボンで見かける伝統菓子は、フランスあたりで見かけるような小綺麗なお菓子ではなく、卵をたっぷりと使った、見た目も家庭的で、なんか心がホクホクしてくるような、昔から味も形も変わっていないであろう懐かしさを伴う焼き菓子が多い。

日本人でポルトガル菓子を研究されてきた智子ドゥアルデさんの著書「ポルトガルのお菓子工房」によると、最近のリスボンのお菓子屋では本物の伝統菓子は売られておらず、少し地方に行かないと昔ながらの伝統菓子は食べることができないと書かれていたけれども、何もわかっていない素人の私にはリスボンで見かけるお菓子でも魅力は充分!

でも今回はもう何年も続いている、伝統菓子をいただく機会に恵まれた。

リスボンから電車で1時間ほど北にいくと緑に囲まれ、宮殿や城跡も残りユネスコの世界遺産に登録されているシントラという街につく。そしてこの街は伝統菓子トラヴセイロとケイジャータが生まれた街で、この街にきた旅行者はみんなこれを食べにくると聞く。

私たちは早速Casa Piriquitaというお店でトラヴセイロをいただいた。パイ生地にアーモンド入りの卵黄クリームを巻き込んだお菓子、トラヴセイロはポルトガル語で枕という意味を持ち、このお菓子も枕と同じ形をしている。パイの上にも砂糖がふりかけられていて、かなり甘めの印象を受けるけれども食べてみるとしつこい甘さではない。

次にケイジャータという、外側はパリパリとした薄い皮で、中は甘さ控えめなフレッシュチーズを入れて焼いたお菓子。

今回は1756年から続いているQueijadas Da Sapaというお店でケイジャータをいただいた。味的には控えめな味、シナモンの香りが微かにし、確かに歴史的なものを感じさせてくれる味!

やっぱり老舗のお店でいただく事自体、嬉しい気分になる。味がどうであれ、土地の人々がずーっと食べてきた物を旅行者も経験できる事自体に喜びを感じさせられる。ちょうど伊勢に行って赤福餅をいただくのと同じかな?

日本のカステラの原型であるパン・デ・ローを食べた時はやっぱり感動。このパン・デ・ローには生焼けのものとしっくり焼かれたものとあるらしいが、私が今回いただいたリスボンにあるCasa Brasileitraのものは完全に火が通っていた。でも確かにカステラを思い起こさせるしっとり感がある。

卵と砂糖、そして小麦粉といったとてもシンプルな焼き菓子、これを最初に口にした日本人はこの味をどう思ったんだろう。戦国時代の日本に行ったポルトガル人はこれを持っていたんだろうか?

そして以前も書いたけれどもポルトガル菓子で一番有名なのはパステイシェ・デ・ナタ。

最近のロンドンではいろんなお店で売られていて、専門店もできている。日本でもエッグタルトとして売られていたのをみた事がある。

智子ドゥアルデさんがおっしゃるように、ポルトガルには甘いけれども和菓子をほうふつさせるお菓子がある。ここにきてもっとポルトガルのお菓子を知りたくなってきた。焼き菓子王国ポルトガルのいろんなお菓子が今後もっと世界デビューをしていくのもそんな遠い先ではないような気がする。

トラヴセイロ
パン・デロー、カステラの原型
トラヴセイロが売られているお店
1756年から続くお店

日本料理

先週の週末にルーマニア人の友人姉妹MとDを夕食に招待して和食を作った。

その日の献立はサーモン寿司丼、椎茸、にんじん、こんにゃくの白あえ、ほうれん草のおひたし、カブとツナの和物、ムール貝のお味噌汁。かなり純粋家庭料理で、彼女たちにとっては初めての味だったので友人の口に合うかどうかわからなかったけれども、二人共食べるわ、食べるわすごく喜んで食べてくれた。

やっぱりいろんな国の料理を食べてきているMとDだし、最近では日本食の基本の味を知っている人が多くなってきているので、お寿司や天ぷら以外の和食の味も受けいられてきているんだろう。

日本人の私が和食が一番美味しいと思うのは当然だけれども、外国人の中にも日本食が一番大好きというようなコメントを耳にする事もよくある。友人の中でもそんな人が何人もいるし、子供たちの中にもお寿司フアンがとても多い。

この間も私が働く学校の五年生達と好きな食べ物の話をしていたら「お寿司のサーモン、きゅうり、アボカド巻きが一番好き」という子が何人かいたし、私のクラスの中国人の児童は「一番好きな食べ物は照り焼きサーモン」と言っていた。

ロンドンにいる友人達に一番よく聞かれる和食のレシピはナスの田楽。田楽味噌はじわじわと人気が出てきている気がする。そお言えば最近かき揚げや揚げ出し豆腐の作り方もきかれたかな?

和食好きの家庭ではサーモンの照り焼きなんかは、日本人家庭がイタリア料理を作るようにどんどん作られているし、ラーメン作りに挑戦している人が多いのは、いつも行くファーマーズマーケットでなめこを売っている人が言っていた。

オーストラリアに住む夫は近くの図書館から和食のレシピ本を2冊借りてきて、新しい事を発見すると子供のようにはしゃぎながら報告してくる。

これって嬉しい事やね! 

他の国の食生活を批判するつもりはないが、学生時代に夕食ではなくおやつとして唐揚げ、コロッケ、たこ焼きやお好み焼き、ビビンバなんかを口にできていた食環境にいてた身にとって、北ヨーロッパの間食文化はあありにも質素で気の毒と思ってしまうことがあるのも本音。

ロンドンにはいろんな国のストリートフードがあるのは確かだけれども、あまりに値がはるので学生が毎日買うようなおやつにはなれない。

ここでも大阪にあるような、おばちゃんが店頭であげているような美味しくて安いコロッケが買えたら大繁盛するはずやのに!

とにかく今週は家に食材が揃っていたので、簡単すき焼き、サーモンの押し寿司、お好み焼き、長芋のトロトロやき、ゴボウの金平、豚汁と和食のオンパレードが続き、娘と二人、大満足な食生活をおくれた。

ロックダウン中に「お弁当やさんを始めようかな」と思った事があるけれども、最近その思いが徐々に強くなっていているのも確か。今年の課題はこの思いがどこまで伸びるか、いろいろと勉強していく事。和食の人気があるからこそできなくはない、可能性はある。

和食人気、ほんまに有難い事や!

友人が撮った私が作った和食の写真