ご近所さんS

昨日は仲良しのルーマニア人姉妹MとDと、近所の友人S宅に遊びに行ってきた。

雲一つない空の下、そよ風が気持ちよく通り抜けていくSのお庭でいただいお茶は格別に美味しい。

Sは若い頃はモデルをしていただけあって今でもとても綺麗で、10歳以上は若く見える現在82歳のドイツ人女性。

最愛のご主人を亡くし、ドイツにももう親族が残らず、子供もいないSは「家に引きこもる人生は絶対に送りたくない」と言い、毎日いろんな所に出ていき、若者とも交流しいつ見てもイキイキしている。

MとDとは週に二回Sと一緒にジムに通い、Sは行きつけのヘアサロンからは誕生日には大きな花束をもらって祝ってもらい、行きつけのカフェでは毎回割引してもらい、そこのギリシャ人のマネジャーとは友達になり二人は毎週火曜日にロンドンのいろんなエリアを散策に行く。

ある時は彼女と一緒にパブにいると、まだ30代ぐらいの男性がSに寄ってきて、Sの手をとり彼女を口説き始めた事もある。

Sを見ていると、自分も80代になったらSのようになっていたいなと希望を与えてもらえるし、年齢的に亡くなった自分の母を思い出させるのか、彼女の力になりたいなとこちらを思わせる人としての魅力をSは持っている。

Sには彼女の人生を本に書いて出版したいと言う夢がある。

彼女のご主人は生前映画関係の仕事をされていて、Sは多くの著名人と交流する機会があり華やかな世界を見てきた。若い頃はまだ反ドイツ感情の残るパリに住んでいたSはドイツ人としてのアイデンティティーを隠してモデルをしていたり、信じていた人に詐欺にあったりと彼女の人生には話のネタが尽きない。

どうしたらSが出版にこぎつくかとみんなで色々提案しながら、今回はとにかくインスタグラムを始めて、彼女のロンドン散策をストーリーにあげて、フォロワーを集めてみてはどうかと言う事になった。

毎週火曜日にSがロンドンのいろんな場所を散歩に行く時にストリーを公開する。

人生大好きな82歳の女性がロンドンの素敵で面白い所を見せる事だけで、誰かにインスピレーションを与える事になるかもしれない!

おかしいことにすでにインスタグラムのアカウントを持っていたSは、自分がインスタグラムのアカウントを持っている事を知らなかった、友人の誰かがSのアカウントを作成したようだ。

MがSにインスタグラムの投稿の仕方を教え、早速Sは彼女のお庭に咲いている花々をインスタグラムに投稿、こんな小さい事から世界とつながれるとSは喜んでいた。

新しいことに挑戦し、友達がたくさんいるSはまだまだ元気でいてくれる事と思うし、周りの私達もそうであって欲しいと願う。

お茶をいただきながら、いろんな世代の友人がいる事がいかに有難い事かとしみじみと感じた。

母亡き後、この夏また日本に戻れなかった私にとっても、人に恵まれ、近所にもお互いをいたわりあう素晴らしい友人との出会いがあり、ロンドンが本当の意味のホームになってきた。

ちょっと前には反移民の暴動も起きた英国だけれど、その何倍もの反右翼、移民擁護の人達が通りに出てきて本当に心強い事や!

爽やかな夏の午後、私はなんとも心暖かく帰路についた。

Goodbye Summer of 2024!

 

娘の独立

2週間前の日曜日に、長女が実家を離れて新居に引っ越して行った。

もう25歳の大人であるから、英国社会の中ではかなり遅めの独立になる。

長女は高校卒業後、1年間はギャップイヤーを取って半年旅に出て、その後大学に入って親元を離れたものの、3年生の春にロックダウンになり実家に戻ってきた。コロナ禍の3年間は夫がオーストラリア、次女が9ヶ月間ポルトガルにいた事もあり、私と長女は一緒に暮らしていた。

大学も卒業して、仕事も順調にいき、また素敵なボーイフレンドがいる今は「大人の生活を充分楽しみたいからそろそろ家を出るで」と本人も新しい生活を楽しみにし、私たちも心の準備をして彼女の独立を応援していた。

けれども、いざ出て行ったらやっぱり淋しい。彼女の独立は、私の人生にとっても人生の節目になった。

今でこそフルタイムで仕事をしているけれども、長い間専業主婦であった私は、子供たちと一緒にいろんなことがするのが大好きで、有難い事にそれをする事ができる境遇にいた。子供と大人の時間、空間を区別している人もいる中、私は常に子供と一緒に何かをしている方が好きだった。

幸いにも近所にも同じ価値観を共有している人達が多く、コミュニティーができ、子供達が精神的に健康に育って行ける環境が整い、近所の友人と楽しく子育てすることができた。自分のアイデンティティーが、100%絶対的母親であり、主婦であった。でも今娘が家をでた事によって、自分の人生の役割が替わろうとしている気がする。

とにかく巣立って行った娘、と言っても翌週は地下鉄のストがあったので職場に近い我が家に泊まりに来たし、日曜日は英国の母の日であったから、これまたほぼ半日以上は一緒に過ごした。

その時の別れ際に娘は「やっぱり実家が好きや~、まだまだ実家に居たかった~」とちょっと涙した。誰にも何も言われないけど、いつ実家出るの?と社会からのプレッシャーも感じていたらしい。

思えば私は22歳、夫は18歳で実家を出た。私の母は一度も淋しいとか言った事はないけれども、どんな気持ちで私を送り出してくれたんだろうか?

いつかは親元を離れるのは当然とわかっていながらも、いつも見ていた笑顔が毎日見れないのは、とても淋しい。

日本では、仕事をするようになってからも実家暮らしの若者は多いと聞く。南ヨーロッパの国々でも経済的理由から、大学を卒業して働き出しても親元で生活している若者はかなりいる。

でもイギリスでは大学を卒業して1年以内に実家を出る若者が多い気がする。

私の友人の中で、25歳の子供が親と同居しているのは3人だけだ。その中の2人はお給料が安定してきたので、もうすぐ実家を出る。残りの1人は最近お父さんをなくしたので、母を精神的に支えるので、もうちょっと実家暮らしを続けるらしい。

長女の友人では、実家暮らしは残るところあと1人。ほぼ全員がもう独立している。

我が家の次女もこの夏大学を卒業するので、また夫と2人だけの生活にもどるのもそんな遠くない未来になるのかな?

子供はすぐに成長する。手がかかるのはわずかな時間だ。今子育てに疲れている親御さんがいればお伝えしたい。その時期はいつか終わりが来るので、どうか子供さんと共々、今しかできない事を楽しんでやってください、素敵な思い出を作ってくださいと!

できる事なら、もう一度子育てをやってみたいわ~!

ある夜の娘の夕食

ベルギーに来て思う事

ハーフタームホリデーになって、長女と隣国ベルギーに行ってきた。

パリと同様、ブラッセルまではユーロスターに乗って2時間弱で着くので、大阪から東京に行くようなもんだ。

ブラッセル、私が小学校の3、4年生の頃ぐらいだったと思う、父親にブラッセル転勤社命がでた。母は私の小学校に転校手続きを出し、後もう一歩でブラッセルに行く所でこの話は破断になった。

あの時ブラッセルに引越ししていたら、私のその後の人生はかなり今と違っていたに違いない。

そんな事を思い出しながら、何年かぶりのブルージュ、ゲントそしてブラッセルを4日間歩き回った。

ベルギーと言えば、数多くのビール、チョコレート、ワッフルそして英語ではチップス、日本語ではフライドポテトであるフリッツが有名だ。

ビールは、それぞれの銘柄専用のグラスに注がれて出てくるのが楽しみ。アルコール度数が高いものから、チェリー、ピーチ、ラズベリー、中にはチョコレート風味のビールなど、アルコール度数2.5%とあまり飲めない人でも楽しめるビールも多いのが有難い。

チョコレートとワッフルに関しては、町中が甘さに満ちていると言うか、誘惑が多すぎて大変!

フリッツには、何度も誘惑に負けそうになった。第一次世界大戦中、フランス語圏であるベルギー南部に駐屯していたアメリカ兵が、フリッツをフレンチフライと呼んだのが始まりで、それ以後アメリカではフリッツはフレンチフライと呼ばれるようになり、フランス発祥の料理と思われるようになった。

でもベルギーではフリッツはベルギー生まれとされていて、まさに国民食、町中至る所にフリッツ専門店がある。

フリッツは、普通のマヨネーズの他、カレー味のマヨネーズ、トラッフル味のマヨネーズ、ホーランデーソーズ、ベアルネーズソース、キムチとチーズソースと自分の好みのソースをつけていただく。私が好きなのはトラッフル味のマヨネーズ!

物価の高いベルギーでは、若者が外食する場合、フリッツやバーガー店ぐらいしか行けないのでは?どこのフリッツ専門店も現地の学生、旅行者で賑わっていた。

そう、今回久しぶりにベルギーにやってきて一番驚いたのは、高い物価。感覚的に言って同じレベルのお店を比べた場合、パリやロンドン、フィレンチェの方がブラッセルのお店の方より安いぐらい、ベルギーでは何もかもが高く感じた。

郷土料理を食べるに至っては、普通のカフェやビストロでも一皿平均20ユーロ(約2900円)以上はする。私たちが食べた国民食、ムール貝とフリッツは一人25ユーロ(約3580円)もした。ヨーロッパではムール貝はかなり安価に手に入るし、けっこう簡単に作れる料理なので、この値段にはびっくり!

まあ値は張るけれども、外国旅行の醍醐味である行った先の郷土料理は楽しみたい。

今回の旅では、ベルギー料理で、日本でも知られているチコリとハムのグラタン、Chicons au gratinがとても美味しかった。チコリをハムで巻いて、ベシャメルソースとチーズをかけて、マッシュドポテトと一緒にオーブンで焼くシンプルな料理。チコリの苦味とベシャメルソースの甘さが程よくあい、食べてホットする一品だった。

他に印象に残ったのは、行った先々のカフェ、レストラン、ホテルで、とても素晴らしいサービスを受けた事。どの店員さんも感じがよく、めちゃくちゃフレンドリー。特にブラッセルはフランス語圏なので、パリと比較してしまいがちだけれども、どのウエイター、ウエイトレスも時間に余裕があるのか、一言、二言会話をしてきて、説明も丁寧にしてくれて娘と二人感動の連続。

でも今回の旅ですごく感じた事は、いろんな人にぼろかすに言われてきたイギリス料理はそんなに悪くないって事。ごめんベルギー!ベルギーに来てイギリスの良さを再認識しているわけではないけれども、イギリスのパブで伝統イギリス料理を注文すると、必ず付け合わせの野菜が出てくるけれども、ベルギーでは野菜がついてきたことがない。たまたま私たちがそんな経験をした可能性もあるけれども、他の人のお皿にも野菜がついてくるのを見れなかった。

いつかフランス人よりもイギリス人の方が野菜を食べていると言う記事を読んだ事があるが、読んだ当時はこれを信じなかったけれども、何十年かヨーロッパに住んで、これは案外当たっているかもと思う、イギリス料理には必ず付け合わせの野菜がついてくる。

とにかく、娘といろいろおしゃべりをしながらベルギーをほんのちょっとだけ観察した私は、子供の時にブラッセルに引越ししてくる事はなかったけれども、こうして今ここに来れたことに感謝し、もしその人生を歩んでいたなら、自分の娘たちには会えていなかったから、やっぱりあの時ベルギーに引越ししなくて良かったと自分で結論付けてロンドンに戻って来た。旅行っていいもんやな〜。

ワールドカップよありがとう!

先日のサッカーワールドカップ、スペインー日本戦にはとても熱い思いをさせてもらった。

私のように普段サッカーの試合を見ない者でも、ワールドカップの、それも自国の試合となると、自分の国を応援せざろうにはいられない。

今大会の日本人プレーヤーの力は凄かった。また嬉しい事に私の周りにも日本を応援してくれている人が多く、報道もコメンテーターも日本に好意的な報道が多かった印象を受けた。

ワールドカップまでは、長友以外の代表選手の名前さえろくに知らなかった私だけれど、日本がドイツに勝ってからは、いろんな選手の名前を覚えだした。そしてヨーロッパで活躍する選手が多いと知った時も、外国語を上手に話せる選手が多いと知った時もとても感動した。

特に、久保建英が話すスペイン語のインタビューはいくつも見てしまった。さすが10歳の時にスペインに渡っただけあって、とても流暢なスペイン語を話す久保選手。チームメイトともすごく打ち解けているようだし、何よりもスペインー日本戦の後、スペイン人フアンが「スペインが負けてしまったのは悔しいけれども、自分の愛する建が活躍したのはすごく誇りに思う」と言っているのを聞いて私まで嬉しくなってきた。

キャプテンの吉田麻也は、若いプレーヤーに英語を学ぶ事を奨励しているらしい。そうすることで外国リーグでの活躍の場を広げる事ができるから最もだ。

クロアチア戦の後、前田大然選手が号泣している中、同じクラブ、セルティクの同僚であるクロアチア人選手ユラノビッチが前田選手を慰めている場面も、試合後まだ呆然と立ち尽くしていた日本代表の元に真っ先に駆け寄って、健闘を称え、抱擁を交わしたクロアチアのペリシッチ選手の姿も、見ている側にたくさんの感動を与えた。

外国で活躍している選手が多い事という事は、国外でも日本人選手を知ってる人が多い事、いろんな選手が三苫薫を褒めていたし、日本サッカーはこれからますます盛り上がっていく気がする。

サッカーに興味のない夫は「日本のラグビー試合はあまり見ないのになんでサッカーは見るの?」と言ってきた。本音で言えば、昔からなんかサッカー選手はかっこいい男児が多いという印象があったからかな!

それに関西人の堂安律や前田大然には親しみが湧くしね!

でも今回久保選手のスペイン語を聞いているうちに、またちゃんとスペイン語を学び直したい気持ちが高まってきた。私が2年間住んだスペイン、気さくで親切な人が多いスペイン。先日もスペイン人の友人と話している時実感した。私はフレンドリーなスペイン人が大好きやと!

今回のワールドカップは、多くの日本人に喜びを与えた。私も心臓がドキドキするぐらい気を張って試合を見て、感動をもらい、さらにワールドカップのおかげで、またスペイン語を勉強したくなる気持ちも芽生えてきた。

これを書いていると、次女が「ママ、Edgeware Roadはめっちゃ盛り上がって、道で踊ってる人が多いらしいで」と言ってきた。アラブ人が多いそのエリアはモロッコがフランスを破って優勝し、めちゃくちゃ盛り上がっているらしい。モロッコはアフリカ勢初の4強入り。ここでもモロッコは多くのアラブ人、アフリカ人に喜びを与えているんだろう。

残るはアルゼンチンークロアチア、フランスーモロッコ。

私個人はクロアチアに勝ってもらいたい、そしてユラノビッチ選手とペリシッチ選手を応援したい。ありがとうワールドカップ。

料理のレッスン

私が担当している1年生のクラスでは、毎週Food Scienceと言って簡単な料理の授業をおこなう。料理といっても、火をいれるところからは調理場に持っていって、給食係の人に仕上げてもらうので料理の下準備授業と言った方が適切だ。

Food Scienceの授業は子供達には大人気。いつの日か私の日本人の友人が巻き寿司を作りにきてくれた時も、中国人のお母さん方が月餅を作りに来てくれた時なんかも子供達は大喜びで、作るは、味見はするはですごく盛り上がった。

今回、来年早々に児童の両親を招待して、世界の料理というテーマで、Food Science授業のプレゼンテーションにおこなう事になった。

世界と言うからには、ヨーロッパやアジアだけでなく、アフリカ、アメリカ大陸からの料理も作らないといけないし、子供達にも世界には様々な料理があることを知ってもらえるチャンスになるので、こちらも今張り切っていろんなレシピを探している。

早速友人にもヘルプのメッセージを送ったら、先週の金曜日はトルコ人の友人Gが、トルコのパイ料理、たばこサイズボーレックを子供達に教えに来てくれた。

料理上手で、子供好きの友人Gは、この授業の要領をわかってくれていて、パイの中に詰めるフェタチーズとパセリのミックスはすでに作ってきてくれたので、子供達はひたすらパイ生地にチーズを詰めて包んでいく。出来上がると「家で家族に見せてから食べてよ」と子供達に言っていたにもかかわらず、ひとつふたつと食べ出していく。私も味見したけれども、めちゃくちゃ美味しいし、子供の味見が止まらないのも納得。

有難い事に今週は児童のブルガリア人のお母さんに来てもらい、再来週はペルー人の友人がそれぞれの国の料理を作りに来てくれる。

でもできる調理法はオーブン焼きと蒸す事のみなので、巻き寿司やピザのように比較的作りやすい料理を見つけるのは難しいし、子供が喜ぶ料理となると話はまた変わってくる。

先日も、調理場に行かずに簡単にできる事からレバノン、シリアなど東地中海で作られるイタリアンパセリとクスクスのサラダ、タブレーを作った。子供達は野菜を切る作業は喜んだものの、タブレーサラダはいまいち人気がなかった。色が緑すぎたかな?

ここ何日かはアフリカ諸国の料理、それもアラビア語圏ではないアフリカ諸国のレシピを探しているけれども、学校では作りにくいレシピしか見当たらない。多分うちのクラスの子供達も私も、アフリカ圏の料理にあまり馴染みがないので、なるべく子供受けするデザートを作ってみたいと思うけれども、簡単に買えない素材が必要だったり、アルコールが必要だったりと難点が多い。

いろいろ探してようやく学校でも作れるレシピがひとつ見つかった。ケニア、タンザニア、ウガンダ、ルワンダ一帯で食べられるトマトと玉ねぎサラダ、カチュンバリと言うサラダだ。

赤玉葱、トマト、きゅうり、アボカド、唐辛子入りのサラダで、ライムジュースとライムオイルを使って作る。なんかメキシコ料理の味付けに似ている感じで、大人が食べるには、お肉やお魚の付け合わせとして、結構美味しそうな味。

あーでもまたサラダや、子供は喜ぶかな?

しばらくは、アフリカ大陸の味を探す日々が続そうだ。

トルコのたばこサイズボーレック

英国新首相誕生

昨夜は至るところで、花火や爆竹の音が鳴り響いていた。

そうや、ヒンズー教徒の新年を祝うお祭り、Diwali(ディワリ)や。

でも今年はいつもよりも多くの爆竹音が聞こえてくる。

今週はハーフターム中で学校が中休みだから、子供達も遅くまで起きているからか、インド人がたくさん近くに引越ししてきたからかなと考えながらハッと思い立った。

昨日、イギリス保守党の党首に英国初、42歳と言う若さでインド系のRishi Sunakが選ばれ、今日10月25日、彼は正式に英国の首相に就任された。昨夜のディワリは、インド人コミュニティーにとっては二重の喜びがあったんじゃないかな?

Rishiの祖父母はインドのパンジャーブ生まれ、Rishiのお父さんはケニアで生まれたインド人、お母さんもタンザニアで生まれたインド人、祖父母は1960年代にイギリスに移民してきたので、Rishiはイギリスで生まれ育った、ヒンズー教徒だ。

インドがイギリスの植民地であった史実を考えれば、今Rishiがかつての宗主国であるイギリスの首相に就任した事は、特に高齢のインド人移民の方々にとっては感慨深いものがあるに違いない。

確かに移民と言っても、Rishiのお父さんは医師で、お母さんは薬剤師。彼はオックフフォード大学、スタンフォード大学を出て、エリート街道を歩き、インドの大富豪の娘さんと結婚したので、とても恵まれた環境で生きてきた。

それでも、努力して勉強をしてきたら、移民の子供でも首相になれる事実、いろんな信仰、民族的背景を持つ人々が、国家の最高役職につけるという事実は、今いる移民の子供達に希望を与えることになるんじゃないだろうか。

おりしも今日はUCL大学に通う、次女のドラマのショーケースの日。今回のキャスティングはBAMEと言って、Black,Asian,Minority,Ethnicに限定されていた。ロンドンの多人種、多国籍社会で生まれ育った娘には、自分はBAMEという意識はあまりない。でもこうして出演者がBAMEだけと限定されれば、選ばれるチャンスがあるという事になるので有難いのも事実。

昔はイギリスの演劇やミュージカルの世界は、白人が主体の世界だった。東洋人がイギリスで女優になりたければ、東洋人の役しか回ってこなかった。

けれども今ではカラーブラインド、ジェンダーブラインドキャスティングと言って、人種や肌の色、性別を問わずに出演者を選ぶ作品も増えてきて、時代劇など、脚本はイギリス人の白人であっても、アジアやアフリカ系の俳優、女優が出演している作品もある。

こおやって社会はますます多様性を重じ、いろんなところで人種構成の多様化が進んできている。

Rishiがどんな政策を生み出すのか、まだわからないけれども、私は少し彼に期待していたい。

日本が遠い

今年の夏は、3年ぶりに次女と一緒に大阪に帰るつもりでいたけれども、ここにきて航空券があまりに高いので泣く泣く日本行きを断念することにした。

6月の初めから日本行きの航空券を探していたけれども、今思えばあの時点で一番安い航空券を買っておくべきだった。その時点では1人あたり1200ポンド(約20万)ぐらいのチケットはまだあったような気がする。それでも経由便であってもいつもは600ポンドから800ポンドの料金で航空券を買っていた私は、その時点では「まだ絶対もう少し安いチケットが買えるはずや」と楽観していた。

それが日を追うごとに、いや分刻みで航空運賃は上昇していく。成田行きの1500ポンドのチケットを見つけた時は買うつもりでいたけれども、よく見ると経由地が2つ以上で、各待ち時間が12時間とホテルを取らないといけない、また政情不安なスリランカのコロンボで乗り換えに13時間待ちとなると、これらのチケットを買うのをためらってしまった。

それでもこんな条件のチケットでも翌日は売れているからびっくり。

そんなある日、マレーシア航空のクアラランプール経由関空行きのチケットが1人あたり1020ポンドという価格を見つけたので、経由地での待ち時間が17時間と長かったけれども、同じ日に日本に出発できるとあって、これやーと舞い上がる気持ちでチケット購入のボタンをおした。

そしたらその先の画面が出てこない。何回かトライすると「このチケットの料金は現在変更されて、新しい価格は約5000ポンド(約80万)です」とう画面が出てきた。

確かにマレーシ航空のウエブサイトを見たら、マレーシア行きでさえ、2000ポンドはしていたので、日本行き便がこれより安くなるわけはない。あ~唯一の希望が消えていく!

そうこうしてい間にスカイスキャーナーのサイトに戻ると、関空行きの一番安いチケットは2回どこかを経由しても1人あたり最低1600ポンドが相場になっている。ちなみに今日見てみると、関空行きで一番安いエアインドと全日空のコーシェア便が、インドのゴアとムンバイでそれぞれ約10時間待って、1人あたり2611ポンド(約43万)、娘と2人だから86万の航空運賃になる。

今年はウクライナ問題、燃料高騰にくわえ、まだコロナに対しての規制が残っているアジアには乗り入れしていないヨーロッパの航空会社も多い為、航空運賃はかつて例がないほどの価格になってしまっている。その上チケットを買ったあとに、航空会社からキャンセルされた人が多いと言う話もよく聞く。

日本は外国人の入国を認めていると言うものの、旅行ができるのは団体ツアー旅行者のみらしい。どうりで日本に乗り入れしている航空会社が少ないわけや!コロナ感染者が増えてきている今しばらくはこの体制が続くんやろうね!

やっぱりこれもコロナ後の現実なんかな? ロンドンのヒースロー空港はコロナ禍で空港で働く多くの人を解雇してから、まだコロナ以前のレベルの空港勤務者、すなわち労働力を確保していない。だから空港での荷物の振り分けが大幅に遅れている。

この夏はヒースロー空港で働いている人, British Airwaysもストを計画しているし、イギリス政府は各航空会社に9月の半ばまでこれ以上の航空券を売らないように勧告している。

だから私の周りでも夏休みの計画を考え直している人が多い。

暑い日本で、マスクをつけながらの日々はしんどそうやなーなんて思っていたけれども、帰れないとなるとマスクをつけたままでもいい、暑くてもいい、日本に帰りた~い気持ちがさらに高まってくる。

あ~2022年、まだまだ日本が遠く感じる。

ポートワイン

先月は家族でポルトガル北部を旅行した。

この旅行のハイライトのひとつがポートのワイナリーに行って、いろんなポートの飲み比べをした事。

ポートと言えば今まではクリスマス時期にいただく、芳醇なレッドポートしか知らなかったけれども、ある日夫がスーパーでキャンペーン中のホワイトポートを買ってきて以来、我が家ではホワイトポートとトニックウオーターをよく飲むようになった。

私的にはジンアンドトニック、アペレルとプロセッコで作るアペレルスプラッツよりもホワイトポートとトニックの方が喉あたりがいい気がする。特に夏の夕方にいただくのが最高!

本家ポルトガルでは一般に赤のポートは食後酒として、白は食前酒として飲まれるのが一般的らしい。

まだ糖分が残っている発酵途中に、アルコール度数77度のブランデーを加えて発酵を止め、その後樽の中で最低3年間熟成されるのがポート。これによって独特の甘みとコクが生まれる。

ポートが造られるのはポルトガル北部、ドウロ川上流のポートの法定区域。そこで栽培された葡萄を原料とした、酒精強化ワインのみにポートワインの商標が認められているらしい。

先週ワインを扱っている会社で働いている人と話をする機会があって、その人にいろいろポートの事を教わった。その人が言うところ、ポートのような酒精強化ワインの多くは複数の年のワインを混ぜる事が多く、そんなポートには収穫年表示がされないが、単一の葡萄で造られるポートはヴィンテージとして収穫年が表示されるそう、そしてヴィンテージポートの美味しさは格別だとか!

面白いことにポートワインの歴史にはイングランドが関係する。ポートのメーカーにはTaylor, Graham, Sandeman, Cockburn, Dow, Offleyなどの英語名がとても多い。実際これらのポートはポルトガルに渡ったイギリス人によって造られた。

Taylorの創立者は1692年にポルトガルに渡ったイングランド人、Grahamの創立者もポルトガルで商取引をしていたイングランド人の兄弟で、1820年にGrahamを創立した。

ポルトガルとイングランドの関係は深く、1386年には当時のポルトガル王国とイングランド王国はウインザー条約という同盟関係を結び、両国は軍事的、政治的、商業的に親密な関係にあり、これ以来2カ国間の交流はずっと続いた。

そしてイギリスとフランスが戦争中、フランス産のワインが手に入らなくなったイングランドのワイン商人はこれに代用するワインとしてポートワインを選ぶ。

ポートの飲み比べ

1703年にはポルトガルとイングランドの商人は新たに特別な権利と優遇された関税を認められ、これによって大量のポートがイギリスに輸出されたらしい。

ポルトの街ではポートワインの試飲ができる店が多く、他の旅行者と同様私たち家族もポートの飲み比べを楽しんだ。アルコールに弱い私だけれども、ポートなら飲めるから不思議。

そお言えば昔、日本でも赤玉ポートワインが流行った時があった。当時赤玉ポートワインには全然興味がなかったけれども、サントリーかどこかの人気商品だった記憶はある。

日本でもホワイトポートは知る人は知る飲み物なんだろうか?必ずいつかは人気商品になる気がする、いや期待してる!

ドウロ川を目の前にしていただくポート

ウクライナ

ロシアのウクライナ侵攻が始まってもう3週間以上たってしまい、毎日胸が締め付けられる思いで戦争関連のニュースを見ている。

在英ロシア大使館の前を通るたびに、大使館前で反戦を訴えている人々、抗議活動をしている人々を見て、それらに連帯を示す為に慣らされる車のクラクションを聞くたびに涙がこみ上げてくる。

ロシア大使館前での抗議

私が働く学校にも、親がウクライナ人、ロシア人、そしてウクライナ人とロシア人のハーフの子供達がいて、どの子もすごく今の情勢を心配している。特に大好きなおばあちゃんがキエフに住んでいる子は、とても悲しそうな表情を見せるから、その子を見てるだけで彼女の心の痛みが伝わってくる。

先日8歳のロシア人の子供が「この戦争でみんなロシア人は悪いと思っていると思うと悲しくなる。ロシア人も戦争を反対しているのに」と私に言ってきた。

どの国も政府と国民の意思、意図は時に異なる事、一般国民はウクライナ人もロシア人犠牲者であることを、私なりにその子に説明した。

うちのクラスの6歳のロシア人の子は「なんでロシアは戦争しているの」と私に聞いてきた。

私はその子にそれを説明できる立場ではない。ポーランド人のある親は「ロシアのウクライナ侵攻について先生からクラスの子供達に説明してほしい」と言ってきたが「政治問題であるが故にそれはできない」と担任の先生は断った。

昨日まではごく普通の生活をおくっていたウクライナの一般市民。ニュースのインタビューを見ていると「まさか本当にロシアが侵攻してくるとは思ってなかった。21世紀のヨーロッパでこんな事が起こるとは夢にも思わなかった」と言っている人があまりに多かった。

毎朝ニュースを読むたびに停戦合意の記事をあることを願っている私。「あと1週間ぐらいで合意にありつく可能性があります」と言う記事を読んだが、なんで1週間もかかるんだろうか。

でも今回隣国であるポーランド、ハンガリー、モルドバの多くの一般市民がウクライナから避難してきた人々に宿を提供したり、炊き出しをしたりと全面的に助けているをしているのを目のあたりにして人の優しさに、人々の連帯感にすごく熱いものを感じている。

昨日もスコットランドやイングランドの小さな村で、村人たちが協力してウクライナからの避難民を受け入れようとしているニュースを見た。時に思う、本当に政治家はいらんと!

本当に1日も早く戦いが終わり、ウクライナの人々が安全に生活でき、街が復旧し、ロシアの人の言論の自由が認められる生活がやってくることを切実に願う。

そんな思いが続く中、今朝デンマーク人の友人から連絡がきた。BBC World Newsでロンドン在住のウクライナ人とロシア人の友人が2人の祖国について語った番組だったらしいが、それを聞いていたデンマーク人の友人が「今度みんなでウクライナ料理を作ろー」と呼びかけのメッセージだった。

どんなに悲しい状況の中にもそこに希望を見出そうとする彼女の、今後ロンドンにやってくるウクライナ人の避難民の人たちに彼らの祖国の料理でもてなそうと言う彼女の心いきを感じた瞬間だった。

1日も早くウクライナとロシアが停戦しますように!

EUを離脱した英国を実感する

最近少しずつ英国がEUを離脱した現実を実感している。

大学で比較文学とポルトガル語を専攻している私の次女は、本年度は9ヶ月間リスボン新大学に在籍するので9月からリスボン生活を始める。その為に次女は先日学生ビザの申請をしにいった。

次女も私も学生ビザ申請についてはあまり難しく考えていなかったけれども、でもそれは間違いだった。英国がEUを離脱した今、英国人留学生のビザ申請はEU圏外からくる留学生と同じ扱いになるので揃えなければならない書類がとても多くなり、何よりもリスボンに住所がなければ学生ビザは申請できない。

そしてこの住居探しが難しい。コロナ禍の中いつもは使える大学の留学生寮は閉まったままなので、大学が紹介してくれる学生向きの不動産サイトを見ての住居探し。お部屋の写真一つを見て判断しなければならないので後は自分の直感で決断するのみ。

ほとんどの留学生はシェアハウスに住む事になるのでお部屋探しは自分の希望のエリアとお部屋の雰囲気が決めてになる。でもどんなに感じのいいお部屋でも部屋数20のところにトイレが3つとなると住みごこちが悪いのはわかっているので没。また入居期間が限定されている物件が多く、例えば8月中のみ引っ越し可能とかいろいろと条件があってなかなか部屋を決める事ができない。

次女はホームステイには興味がないけれども、もしホームステイをする場合はホストファミリーに後見人的な手紙を一筆書いてもらわないといけないので、まだ会った事もない人にそれをお願いするのは結構気がひける気がする。

もし英国がまだEUに残留していたら学生ビザをとる必要はなかったので、まずは現地入りして直接お部屋を見てから自分の住居を決める事ができたはず。EU離脱後の現実やね。

そお言えばここ最近いつも買っていたフランス産のバターPrésidentをスーパーの陳列台に見かけないし、私が使っていたスペイン産のリンスが買えない状態が続いている。

友人の娘がオンラインでZaraのスカートを買った時も何も考えずに購入ボタンを押してしまったが為、そのスカートはスペインから届き商品よりも高い関税を払うことになった。今までは気にせずにいた事だからこの問題に直面した人は多いとよく聞く。

知り合いのミュージシャンは「今までは時々ヨーロッパに演奏しに行っていたけれども、今ではワークビザがいるのでヨーロッパ側から演奏の依頼が来てもすぐにいけなくなった」と嘆いていた。

私が働く学校でもEU離脱が決まってからイタリア人やフランス人の生徒が少なくなってきた。

それまでは各クラスに必ず両親共フランス人とイタリア人の子供がいたし、ある年はクラスにイタリア人が五人もいた事があったけれど最近ではそれがぴったりとなくなった。英国EU離脱に伴いロンドンにやってくる若い家族が減った為だ。

とにかく娘は無事ハウスシェアでのお部屋も見つかり、無犯罪証明書も取れてポルトガルの学生ビザの申請手続きを終えた。幸いにもEU各国内に留学する学生がもらえるエラスムス奨学金はEU政府が今年が最後で英国からの留学生にも出してくれる。

それだけでも本当にありがたいけど、でもやっぱり英国はEUから離脱して欲しくはなかったな〜と感じる今日この頃だ。