フランスプチ旅行

大好きなフランス人の友人Sがフランスの田舎におうちを買い、この夏ご招待を受けたので、次女と一緒にS宅に遊びに行かせてもらってきた。

Sは子供達の幼稚園で知り合ったママ友。彼女は今オックスフォードに住んでいるのでお互い普段は中々会えず、だから私達は数ヶ月ぶりの、次女とSの次男は9年ぶりの再会を喜んだ。

Sは離婚してからアートセラピーの勉強をして、今はセラピストとして大活躍。油絵の腕前もすごく、なんでも器用に作れるクリエイティブなSは、お料理の腕もすごい!全てにおいて目がとても肥えていて、彼女と過ごす時間は私にいつも刺激を与えてくれる。

Sと彼女のボーイフレンドが買ったこのおうちは広大な敷地の中にあり、Sが住む2階建てのお家の他、お客さん用の別棟、プール、機材などを入れておく小屋がある。古い家だから、これから色々と手をかけていかなければならないけれども、そこは器用でお洒落なSだから、素敵に仕上がていくのが今から想像できる。

いや、今でも十分、映画のシーンに出てきそうな家で、私達親子はそこにいれて感動でいっぱいだった。

ちなみにSの息子Aもとても器用で、彼はタイルの張り替えをしたり、テーブルも作ったりするからすごい!

フランスの地方に行くと、日本の空き家と同じように手はかけないといけないけれども、古いお家がお手頃価格で売られている。EU離脱前はフランス好きなイギリス人が、老後はフランスでゆったりと暮らす為にと、フランスに家を買う人も多かった。実際Sが住んでるボルドーとトゥールーズの間辺りはマーケットなんかでイギリス人をよく見かけたりする。

EU離脱後の今、そんなはかない夢が持てないのが本当に残念!

フランス滞在の1番の楽しみはなんと言ってもマーケットに行って、いろんな食材を見て、地元料理をいただく事。

特に今回は料理上手なSがお料理を作ってくれたので、食事時間は最大の楽しみ!それに他の人が作るお料理からは何かしら新しい学びがあるのが嬉しい。

ある日の夕食は鴨肉とフライドポテト、鴨肉を焼いた油をフライドポテトに回しかけて風味をつける、これがめちゃくちゃ美味しい。

朝はバゲットをオーブンでずっと温めてくれいて、それにバターと手作りのマーマレード、アプリコット、チェリージャムでいただく。

ランチはお肉屋さんにローカル産のソーセージやフォワグラ、パテを買いに行ってサラダとバゲットでいただく、あ~なんともフランス的な食事風景!

同じ時期に滞在していたSの友人Gは、Sのお庭にたわわに実っていたイチジクを黒胡椒とハニーと一緒にローストにしてくれて、それを黒ゴマのアイスクリームと一緒に出してくれた。

この組み合わせは最高だった!

有難いことに毎回新鮮な素材をいただき、レストランで食事をするだけでは得られない喜びを感じさせてもらった。

パリオリンピックの選手村で出された料理は最悪だったなんて記事を読んだ事があるけれども、食の種類が豊富なフランスに来ていてそれは本当に残念で気の毒!

フランスのスーパーマーケットに行くとその食の種類の多さ、特に各土地の名産品が多く売られていて、この国の人々の食へのこだわりを充分に感じる事ができ、フランスはやっぱり食大国と痛感する。

私達の滞在最終日、Sと息子のAもフランス東部にいる彼女のお母さんの別荘宅に向けて出発した。その時Aは知り合いの庭でとれたバケツ一杯のヘーゼルナッツを抱えていて「それどおすんの?」聞くと「おばあちゃんの家でヌテラ(ヘーゼルナッツのペーストをベースにしたチョコレート風味のスプレッド)作るねん」と言う。

あ~いい感じ, S, A Merci beaucoup!

2月の行事、パンケーキデイ

1月中旬から急性気管支炎にかかってしまい、もう4週間目と言うのに今でもまだ咳と痰が止まらない毎日が続いている。

かかりつけのお医者さんに行くと、彼女の患者さんのうち60%は今の私と同じ問題を抱えていて「抗生物質を飲んだ後は、辛抱強く治るのを待たないと、Be patient!」と言われてしまった。患者を表す英語はPatient,これは忍耐強いと言う意味で「まさに患者がpatientと呼ばれているのは忍耐強く病気が治るのを待たないといけないからよ」と医者は言う。

そんなこんなで私が不調の間も、時は2月に入り、節分、チャイニーズニューイヤー、パンケーキデイ、そして昨日はヴァレンタインデイといろんな行事がやってきた。

昨日のヴァレンタインデイ、街には薔薇の花束を抱えてた男性を多く見かけた。特に若者が赤いバラの花束を抱えて家路を急いでいる姿を見ると、なんか私までウルっとさせられる。

長女は地下鉄の中で、高価な花束をかかえている人、一輪のバラを抱えている人といろんな人を見かけ、それぞれの懐事情もありありで、面白い人間観察になったと言っていた。

うちの旦那は昨日がヴァレンタインデイである事も忘れていたぐらいだから、一輪のバラでもお花をもらえるだけでもありがたい、ありがたい!

とにかく色々ある2月の伝統行事の中でも、私は13日、火曜日のパンケーキデイが大好きだ。

パンケーキデイはキリスト教徒の伝統行事。

キリスト教徒は日曜日を除く復活祭前の40日間をレントと呼び、レントの間はイエス・キリストがかつて荒地で断食をし、苦難を引き受けた事を思い起こして断食をする。今では断食はしなくても、レントの間は少なくても自分の好物をやめたり、肉食をたったりする人が多いようだ。

レントの初日はAsh Wednesday灰の水曜日と呼ばれ、その前日の火曜日がShrove Tuesdayと言われてパンケーキデイにあたる。この日は断食を前に家に残っているバター、卵、ミルクを使い切る為にパンケーキを焼く習慣ができたようだ。

イギリスだけではなく、アイルランド、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドでもShrove Tuesdayにはパンケーキを食べる習慣になっているらしい。

でもイギリスでは、この日各地でパンケーキ入りのフライパンを片手に持って走るパンケーキレースが開かれる。走りながら決められた回数、パンケーキをひっくり返しながら走らなければならない。私はまだパンケーキレースを見に行ったことはないけれども、レースの映像を見てるかぎり、とても面白い伝統行事に思う。

パンケーキレースは元々1445年にオルニーという街で、ある主婦がパンケーキを焼いていたら、ミサを告げる教会の鐘がなりだし、その主婦はミサに遅れない為にエプロン姿のまま、パンケーキ入りのフライパンと共に大慌てで教会にやってきて、これがパンケーキレースの始まりになったらしい。

クリームやチョコレートソースとともにいただくクレープやホットケーキのようなパンケーキと違って、イギリス風はレモン汁と砂糖、またはゴールデンシロップをかけてシンプルにパンケーキをいただく。

これにはまりだしたらもう後戻りできない、レモン汁と砂糖が最高になってくる。

まだまだ寒い日々が続いて、体調を崩している人も多いけれど、こうして各国のいろんな行事を楽しみ、私もみんなも春をまっている今日この頃だ。

ブランチ

私はランチとブランチなら断然ランチの方が好きだけれども、次女いわく彼女の友人の間ではもっぱらブランチが人気があるらしく、彼女もよく友達とブランチに行く。

そう若者はブランチが大好き。

うちの近所の人気カフェ、Beamなんかはインスタ映えする食べ物が多いのか、カフェの前にはいつも長蛇の列ができている。

通常ブランチメニューを見ても、パンケーキ、ワッフル、フレンチトースト、オムレツ、キッシュ、ベーコンエッグと朝食とどこが違うの?と思わせるようなメニューばっかり。特に人気のアボカドトーストなんかは、家で作る方が絶対美味しいのに、カフェで食べると15ポンド(約2800円)以上はするので、注文する気にはならない。

1度ブランチにアボアドトーストを頼んだ時「ポーチドエッグつきなら別料金3ポンドが入ります」と言われ、意地でエッグなしにしたら、味があまりにも単調で、それ以来カフェではアボカドトーストを頼むのをやめ、アボカドトーストが食べたい時はもっぱら家で作る事にしている。

ブランチの定番アボカドトーストは、2010年ごろからカフェのメニューに出てくるようになった。

もちろんアボカドの産地である中南米では昔からスライス、または潰してマッシュしたアボカドをトルティーリャやパンにつけて食べていた。でもカフェのメニューとして定着させたのは、オーストラリア人のレストランオーナーシェフで日本にもお店を展開しているBill Grangerが最初だと言う説がある。彼の作るアボカドトーストは1993年にデビューした。

ちなみに私はフランス人の友人Sにアボカドトーストの作り方を教わった。天然酵母のパンをトーストして、そこに少量のオリーブ油を塗る。潰したアボカドにエキストラバージンオリーブ油、上質の塩、黒胡椒を加えて混ぜ、トーストに塗り、チリペッパーフレイクをちりばめていただく。BIll Grangerはここにライム汁を加えているが、友人Sに教わったレシピの方が美味しい気がする。

ブランチはあんまり好きじゃないと言ったものの、ここ最近何度か友人宅にブランチにお呼ばれして、感激したこともある。

招待する方にとっては、気軽に作れる物が多く、お店で買ったパンや出来合いの物を並べても気が引かないブランチは、人をもてなすには最適だ。

この間はデンマーク人の友人Iとコペンハーゲンから遊びに来ている彼女の友人達がブランチに招待してくれた。デンマーク料理ではなかったけれども、生姜入りのレンズ豆とほうれん草のスープ、スイカとフェタチーズのサラダ、ピーマンのオムレツ、バナナ入りオーツパンケーキ、チョコレートケーキ、フルーツサラダとなんでもありで、家庭で作るブランチはいいなーと思わせる楽しい会食だった。

ブランチは元々、1890年ごろイギリスでその概念ができたけれども、1930年のアメリカ、特に中流階級以上の人々の間で人気が高まったとされている。特に週末なんかはゆっくり起きてきて、朝食の代わりにブランチと取るのは現代人の生活にはあっているのかもしれない。

ブランチを取って、そのあとは夕食まで何も食べずいた方が1日2食になり健康にもいいかな?

今まで否定気味だったブランチよ、ここで見直して今度休みになったら友人をブランチに招待してみよう!

ジャージャー麺

以前より一層韓国ドラマにはまってしまっている私。

目下ハーフタームホリデー中とあり、自制心のない自分を再発見するほど、いつもより多く韓国ドラマを見てしまう、見てしまう!

愛の不時着を見て以来韓国ドラマにはまり出したアイルランド人の同僚が、熱心に他の同僚に韓国ドラマの話をするので、1人また1人と韓国ドラマを見出しているのが私の職場。

この人は多分韓国ドラマを見てないやろうなーと思う同僚すら、セントルシア出身のお母さんとお姉さんが熱烈な韓国ドラマフアンと言ってたし、インスタグラムには、ナイジェリア人が作った韓国ドラマを知った後に自分の彼氏に求める動画が載っていたり、Netflixがある限り、韓国ドラマフアンは世界中で増え続けているんやろうね。

アイルランド人の同僚は「家の近くのグランドを歩いてたら、サッカーボールが自分の近くに飛んできたので、拾ってボールを渡したら、めちゃくちゃハンサムな韓国人の男性が有難うって笑顔で手を振ってくれて、もうそれだけで1日めっちゃハッピーな気分やったわ~」って嬉しそうに言っていた。

今はこんな世界になったんやね!

私は韓国ドラマの食事シーンが好きだ。

そして韓国ドラマを見ていると、無性にジャージャー麺が食べたくなる。

インスタントラーメンを食べているシーンも多いけれども、ジャージャー麺を食べているシーンは、いかにジャージャー麺が庶民に愛されているかがよくわかる。みんな美味しそうに麺をすすっていて、これを機ににジャージャー麺を食べだす人も多いはず。

ジャージャー麺は韓国式中華料理。その起源は中国山東省や中国北部の家庭料理で、1883年に山東省から韓国にやってきた中国人労働者の人達が、韓国で手に入る材料で作った麺が韓国でのジャージャー麺の始まり。中国ではやチャーチアンミェンと呼ばれていて、日本も含め、香港、台湾でもそれぞれのバージョンで存在する人気の麺料理だ。

韓国のジャージャー麺はカタカナ表記にするとチャジャンミョン。チャンジャンと呼ばれる黒味噌で炒め、片栗粉でとろみをつけたソースが麺にかかっている。具には豚肉、玉ねぎ、ネギなどが使われているが、韓国ドラマの中ではシーフードのジャージャー麺も出てきたこともある。

ジャージャー麺は庶民の代表的な外食メニューとして、また卒業式など特別な日に食べられる食べものとして定着していったようだ。

中国でも韓国ドラマの影響でジャージャー麺が知られて、中にはジャージャー麺は中国ではなくて、韓国の食べ物と認識する人もいるとか?

とにかく私も触発されて、何回かインスタントのジャージャー麺を買って作ってみた。

うん、ハマる味。そして休みに入った今週は韓国人が作るジャージャー麺が食べたくて、やっと念願のジャージャー麺を食べに行ってきた。

こうしてまた新しい外国の味が世界に広まっていく。

そう言えば先週娘がオックスフォード郊外にある典型的なイギリス人家庭のお宅に、家庭教師として伺った時、お昼にピザとキムチをご馳走になったと言っていた。キムチは韓国食材店で売っているようなものではなく、イギリスのデリで作られてものだったそう。

キムチ、ジャージャー麺、韓国式ホットドック、韓国食はこれからますます人気が出てくるんだろう。日本ではアニメが、韓国では韓国ドラマやK-Popが世界をつなげてくれている。

こうして今夜も、世界中の韓国ドラマフアンと共に心はソウルに飛んでいく私、アンニョン!

和食でおもてなし

只今、次女が手術受けたあと自宅で療養中なので、もっぱら友人をうちに招待して日本食でおもてなしをしている。

最近は誰もがお寿司や、ラーメンを食べるようになったけれども、レストランではお目にかからない家庭の和食はどうなんだろうか? とにかく家庭の日本食を作ってみる事にした。

近所の友達、イギリス人のMとS夫妻、ご主人のMは好き嫌いが多いと聞いていたけれども、お寿司は食べる人だし、私は思いきってサーモンの押し寿司、お味噌汁、揚げ出し豆腐、ピーマン炒め、白菜とツナの醤油煮、ナスの田楽と普段の和食を作った。

残念なことに、彼はサーモンの押し寿司以外はどれもちょっとだけ口にしただけで、そのまま箸を置いた。かわいそうなM「 これ食べれません」とは言えず、さぞかしお腹が空いていたに違いない。さいわいデザートには日本人のパティシエが作る美味しいショートケーキを買ってあったので、それは喜んで食べていて、こちらとしてはホットした。

夕食に呼ばれて、食べれる物がないって悲しい事やね!

以前ベジタリアンの夫と一緒に友達の家に招待されて行ったら、夫がベジタリアリって事を忘れていた友人は、お肉のオンパレードでおもてなしをしてくれて、うちの夫はひたすら唯一お肉じゃなかったくるみのローストを食べ続けるはめになり、家に帰ってお腹を壊したのを今でも覚えてる。

それがあって、次にきた南アフリカ人の友人Aが健康的な和食が食べたいと言った時は、何を作ろうかかなり悩んだ。彼女は生魚と豆腐が苦手なので、純和風は難しそう!とにかく健康食として私たちがよく食べている料理を提供することにした。炊き込みご飯、ひじき煮、具沢山のお味噌汁、ナスの揚げ煮、水晶鶏、大根サラダ、いんげんのゴマ和え、卵焼き。

想像に反して、Aはひじきを食べるなり「美味しい~」と叫び、なす料理や炊き込みご飯は「レシピを教えて」と、とても喜んだ!

これだから誰が何を喜ぶか、予想がつかない事がある。

次に次女の友人、中国人のGが来た時は、鉄板焼き、ゴボウの金平、インゲンのゴマ和え、ひじき、お味噌汁でもてなした。彼は13歳まで中国で育っているので、味覚的には日本の味に馴染みがあるとわかっていたので、こちらも余裕!想像通り、Gは全部喜んで食べてくれた。特にゴボウと人参の金平は食べながら「美味しい、美味しい」と何度もいって喜んでくれた。

和食をあまり知らない、次女の友人イラン人とギリシャ人のハーフMとイタリア人のCにはカツカレーでおもてなし、これは大成功!

今まで食べたことがない物を食べる時は、味覚以上に匂い、舌触り、見た目が好きかどうかが判断材料になる。一度、イギリス人に湯豆腐を作った時は、あまり好評ではなかった。日本人が作る煮物も食べ慣れていない人には、そこまで美味しく感じられないかもしれない。

ちなみに和食大好きな我が夫は、茶碗蒸しとうなぎがあんまり好みじゃないらしい。

確かに私も子供の頃は、おせち料理に出てくるような純和食はとても苦手だった。高野豆腐とか、かんぴょうとかは食べれなかったのを覚えている。素材の味でいただく、薄口な和食はまだまだ外国人一般には馴染みがないんよろうね。

今ロンドンでは日本食が人気で、いろんな人に料理を教えてと言われるけれど、和食と言っても、和食初心者には唐揚げや豚カツ、いわゆる外国発祥の料理を作った方がいい、断然食べやすい。

さあまた明日も娘の友人が来る。今度は何を作ろうか?

こうしていると私にはあまり日本食のレパートリーがない事がわかる、今一つまたYou Tubeでリサーチしないと!

アイスコーヒー

最近、近所にお気に入りのカフェを見つけて、友達と会う時はもっぱらそこに行っている。

ギリシャ人が経営するそのカフェ Ariston Hellenic Eateryは、ロンドンでは珍しく外にテーブルがいくつかあり、店内もガラス張りで、白と黄色が基調の、すがすがしい気持ちにさせる空間だ。

なんと言ってもコーヒーがとても美味しい。

私はそこのアイスディカフ ホワイトアメリカーノが大好きだ!

日本の夏の定番アイスコーヒーは、ここ最近のロンドンでも人気がたかまってきた。

おそらくStarbuksがフラプチーノを売り出した1995年あたりから、アイスコーヒーの人気が高まってきたのでは?

でもスペインなんかでアイスコーヒーCafè con hieloを注文すると,コーヒーと氷が入ったグラスが2つ出てきて、あとは自分でそれらを混ぜてアイスコーヒーを作る。アイスを入れてもなんか生温いコーヒーは、決してアイスコーヒーとは呼び難い・

そんなこともあって、ギリシャのカフェで「アイスコーヒーはできますか?」と聞いたら

「勿論、僕らはみんなギリシャ人ですよ!」と返してきた。

その自信に満ちた返答に、もしかしたらアイスコーヒーはギリシャ起源かなと思い、調べてみる事にした。

ギリシャのアイスコーヒーはフラッペとして誕生した。1957年にネスカフェのギリシャ代表取締役が偶然に作ったことが始まりだそう。インスタントコーヒーのネスカフェ、お水、砂糖、練乳をシェーカーで混ぜて作られたそうだ。

これって私が子供の頃、家で母がよく作ってくれたアイスコーヒーと同じや!

歴史上にはじめてアイスコーヒーが登場するのは、1840年フランスの植民地だったアルジェリア。

Mazagranと呼ばれてるアイスコーヒーは、コーヒーシロップ、冷水と砂糖を混ぜたもので、Mazagranの戦闘中、フランス人の軍人たちが地元の人が飲んでいたコーヒーからアイデアを経て、作られた。その後パリに戻ってきた軍人が、Mazagranをパリのカフェに教えて広まっていったと言われている。

日本では1920年、大正時代からアイスコーヒーが飲まれてた説があり、明治時代には喫茶店のメニューで氷コーヒーが記載されていたらしい。昔は瓶にコーヒーを詰めて、井戸水や氷につけて冷やすという方法で作られていて、その後ダッチコーヒーと言って、水で時間をかけてコーヒーを抽出する方法が普及していったと言う。

昔、大阪ではアイスコーヒーの事を冷コーと呼んでいたのを思い出す。

確かに今では、Starbuksを始め、いろんなコーヒーチェーンが全世界展開しているし、コーヒーはテイクアウトにおいても一番売れるドリンクなので、特に夏場のアイスコーヒーの種類は、アイスモカ、アイスモカフラプチーノ、アイスキャラメルフラプチーノ、アイスディカフオーツラテなど色々と種類が豊富になっている。

コーヒーの種類が豊富と言えば、友人のアメリカ人の知人がイタリアにいった時「ドライカプチーノ1つ」と注文したら、イタリア人のバリスタに「はっ、今なんていったん、何それ」って聞き返されたらしい。

コーヒーの国イタリアでは、カプチーノはお昼過ぎたら飲まない、とかラテと頼んだらミルクだけが出てくるとか、独自のコーヒー文化がある。

アイスコーヒーも国によって、それぞれ作り方、好みの味付けが違う。ギリシャやイタリア以外にもアメリカ、オーストラリア、ドイツ、そしてタイ、ベトナムでも独自のアイスコーヒーが作られている。

でも私は日本のアイスコーヒーが一番好き!イギリスにはないけれど、シロップを入れて、クリームといただくアイスコーヒー。日本に帰れない今年の夏は、あのアイスコーヒーを飲むことができないけれども、それに近い味になるよう家でアイスコーヒー作りに挑戦してみたい。

ポテトは最高

この間、買い物の帰りあまりに寒かったこともあって、思わずフィッシュアンドチップスのお店に入ってチップスを買い、家に帰るまで待つ事なく、そのまま揚げたてのチップスをいただいた。

イギリスの国民食、揚げたてで塩とビネガーがきいたチップス(フライドポテト)の、なんて美味しい事、道ゆく人もなんとなく羨ましそうに、私のチップスを見ていく。

ジャガイモには、チップスの他、ローストポテト、マッシュドポテト、ジャガイモをまるごとローストするジャケットポテト、ハッシュドポテト、ポテトサラダ、茹でポテト、蒸しポテト、オムレツ、コロッケ、フランス料理のグラタン・デ・ドフィノワ、シチュー、ポタージュ、ほか炒めたり、和食ではおでんに入れたりと様々な調理法が存在する。

ジャガイモは南アメリカのアンデス山脈から北はメキシコに至る高原地帯が原産地。

ペルー人の友人が言うには、ペルーには2000種の異なるジャガイモが存在するらしい。

ヨーロッパには、新大陸からのお土産として、船乗りや兵士たちが1570年にジャガイモをスペインに持ち帰った。初めの頃ジャガイモは食用としてはなかなか浸透せず、観葉植物としての栽培が主だったらしいが、食料として生産性の高いジャガイモを、食糧飢饉に悩むプロイセンの国王がその栽培を奨励したのがきっかけで、ジャガイモはしだいにヨーロッパに普及していった。

1621年にはアイルランド人の移民によって、ジャガイモは北アメリカにも渡った。

農林水産省のサイトによると、諸説がある中も、ジャガイモは1598年にオランダ人によって初めて日本に持ち込まれたと言う。

インドネシアのジャワ島のジャガタラ(今のジャカルタ)を経由して長崎に伝来した為、ジャガタライモと呼ばれ、それが短縮されてジャガイモと呼ばれるようになったそうだ。

ジャガイモにまつわる話と言えば、悲しいアイルランドのポテト飢饉も思い起こされる。

イギリスの植民地支配の下のアイルランド、人々は麦は地代として地主に収穫される為、地代にとられることがなく、生産性の高いジャガイモを自分の庭で栽培しだし、それからジャガイモは貧しい人の唯一の食料となっていった。

1845年から1849年の4年間、ヨーロッパではポテトの疫病が大発生した。この時ジャガイモを主食としていた貧しいアイルランドからは、ジャガイモ飢饉で100万人以上の餓死者が出たと言う。

ちなみにこの後に、私の夫のご先祖様は、貧しいアイルランドを後にして11歳と言う若さで1人オーストラリアに旅立った。

江戸時代の天保の大飢饉では、ジャガイモのおかげでたくさんの餓死を免れたと言われてる。

世界中で愛されるポテト料理、つい最近もトルコ人の友人Gにとても美味しいポテト料理を作ってもらった。小さめのポテトを下茹でしてからフォークで押しつぶす。オーブン皿にベーキングシートを敷いてポテトを並べ、塩、クンミンパウダー、チリペッパー、ローズメリー、オリーブオイルをかけてオーブンで30分焼く。チキンや魚の付け合わせとして最高の味だった。

同じ要領で友人のS子ちゃんの娘、Hちゃんが、コチジャンで味つけしたローストポテトを作ってくれた事もある。これもまたとても美味しかった!

ポテトはいろんな料理の付け合わせとしても、メイン料理としても最高の素材、これからの寒い日々には食卓に上がる事が増えるはず。

そお言う我が家の今夜の夕食も野菜のコロッケ、ポテトさん、存在してくれてありがとう。

料理のレッスン

私が担当している1年生のクラスでは、毎週Food Scienceと言って簡単な料理の授業をおこなう。料理といっても、火をいれるところからは調理場に持っていって、給食係の人に仕上げてもらうので料理の下準備授業と言った方が適切だ。

Food Scienceの授業は子供達には大人気。いつの日か私の日本人の友人が巻き寿司を作りにきてくれた時も、中国人のお母さん方が月餅を作りに来てくれた時なんかも子供達は大喜びで、作るは、味見はするはですごく盛り上がった。

今回、来年早々に児童の両親を招待して、世界の料理というテーマで、Food Science授業のプレゼンテーションにおこなう事になった。

世界と言うからには、ヨーロッパやアジアだけでなく、アフリカ、アメリカ大陸からの料理も作らないといけないし、子供達にも世界には様々な料理があることを知ってもらえるチャンスになるので、こちらも今張り切っていろんなレシピを探している。

早速友人にもヘルプのメッセージを送ったら、先週の金曜日はトルコ人の友人Gが、トルコのパイ料理、たばこサイズボーレックを子供達に教えに来てくれた。

料理上手で、子供好きの友人Gは、この授業の要領をわかってくれていて、パイの中に詰めるフェタチーズとパセリのミックスはすでに作ってきてくれたので、子供達はひたすらパイ生地にチーズを詰めて包んでいく。出来上がると「家で家族に見せてから食べてよ」と子供達に言っていたにもかかわらず、ひとつふたつと食べ出していく。私も味見したけれども、めちゃくちゃ美味しいし、子供の味見が止まらないのも納得。

有難い事に今週は児童のブルガリア人のお母さんに来てもらい、再来週はペルー人の友人がそれぞれの国の料理を作りに来てくれる。

でもできる調理法はオーブン焼きと蒸す事のみなので、巻き寿司やピザのように比較的作りやすい料理を見つけるのは難しいし、子供が喜ぶ料理となると話はまた変わってくる。

先日も、調理場に行かずに簡単にできる事からレバノン、シリアなど東地中海で作られるイタリアンパセリとクスクスのサラダ、タブレーを作った。子供達は野菜を切る作業は喜んだものの、タブレーサラダはいまいち人気がなかった。色が緑すぎたかな?

ここ何日かはアフリカ諸国の料理、それもアラビア語圏ではないアフリカ諸国のレシピを探しているけれども、学校では作りにくいレシピしか見当たらない。多分うちのクラスの子供達も私も、アフリカ圏の料理にあまり馴染みがないので、なるべく子供受けするデザートを作ってみたいと思うけれども、簡単に買えない素材が必要だったり、アルコールが必要だったりと難点が多い。

いろいろ探してようやく学校でも作れるレシピがひとつ見つかった。ケニア、タンザニア、ウガンダ、ルワンダ一帯で食べられるトマトと玉ねぎサラダ、カチュンバリと言うサラダだ。

赤玉葱、トマト、きゅうり、アボカド、唐辛子入りのサラダで、ライムジュースとライムオイルを使って作る。なんかメキシコ料理の味付けに似ている感じで、大人が食べるには、お肉やお魚の付け合わせとして、結構美味しそうな味。

あーでもまたサラダや、子供は喜ぶかな?

しばらくは、アフリカ大陸の味を探す日々が続そうだ。

トルコのたばこサイズボーレック

ポートワイン

先月は家族でポルトガル北部を旅行した。

この旅行のハイライトのひとつがポートのワイナリーに行って、いろんなポートの飲み比べをした事。

ポートと言えば今まではクリスマス時期にいただく、芳醇なレッドポートしか知らなかったけれども、ある日夫がスーパーでキャンペーン中のホワイトポートを買ってきて以来、我が家ではホワイトポートとトニックウオーターをよく飲むようになった。

私的にはジンアンドトニック、アペレルとプロセッコで作るアペレルスプラッツよりもホワイトポートとトニックの方が喉あたりがいい気がする。特に夏の夕方にいただくのが最高!

本家ポルトガルでは一般に赤のポートは食後酒として、白は食前酒として飲まれるのが一般的らしい。

まだ糖分が残っている発酵途中に、アルコール度数77度のブランデーを加えて発酵を止め、その後樽の中で最低3年間熟成されるのがポート。これによって独特の甘みとコクが生まれる。

ポートが造られるのはポルトガル北部、ドウロ川上流のポートの法定区域。そこで栽培された葡萄を原料とした、酒精強化ワインのみにポートワインの商標が認められているらしい。

先週ワインを扱っている会社で働いている人と話をする機会があって、その人にいろいろポートの事を教わった。その人が言うところ、ポートのような酒精強化ワインの多くは複数の年のワインを混ぜる事が多く、そんなポートには収穫年表示がされないが、単一の葡萄で造られるポートはヴィンテージとして収穫年が表示されるそう、そしてヴィンテージポートの美味しさは格別だとか!

面白いことにポートワインの歴史にはイングランドが関係する。ポートのメーカーにはTaylor, Graham, Sandeman, Cockburn, Dow, Offleyなどの英語名がとても多い。実際これらのポートはポルトガルに渡ったイギリス人によって造られた。

Taylorの創立者は1692年にポルトガルに渡ったイングランド人、Grahamの創立者もポルトガルで商取引をしていたイングランド人の兄弟で、1820年にGrahamを創立した。

ポルトガルとイングランドの関係は深く、1386年には当時のポルトガル王国とイングランド王国はウインザー条約という同盟関係を結び、両国は軍事的、政治的、商業的に親密な関係にあり、これ以来2カ国間の交流はずっと続いた。

そしてイギリスとフランスが戦争中、フランス産のワインが手に入らなくなったイングランドのワイン商人はこれに代用するワインとしてポートワインを選ぶ。

ポートの飲み比べ

1703年にはポルトガルとイングランドの商人は新たに特別な権利と優遇された関税を認められ、これによって大量のポートがイギリスに輸出されたらしい。

ポルトの街ではポートワインの試飲ができる店が多く、他の旅行者と同様私たち家族もポートの飲み比べを楽しんだ。アルコールに弱い私だけれども、ポートなら飲めるから不思議。

そお言えば昔、日本でも赤玉ポートワインが流行った時があった。当時赤玉ポートワインには全然興味がなかったけれども、サントリーかどこかの人気商品だった記憶はある。

日本でもホワイトポートは知る人は知る飲み物なんだろうか?必ずいつかは人気商品になる気がする、いや期待してる!

ドウロ川を目の前にしていただくポート

チェコ人の同僚

私の同僚、チェコ人のJはバイタリティーに溢れ、とても親切で多才。 ただあまりに喋るのが好きで、壁に向かってでも話し続けるタイプ。私はJほどよく話す人と出会った事はない、本当に稀にいないタイプの人間で、こちらが忙しい時に話しかけられたりしたら、話を中断するタイミングを見つけるのが難しいから、たまらない。

とにかく何事にも一生懸命対応するJは料理にかけてもすごい力を発揮する。

ちなみにうちの学校のスタッフの間では、自分の誕生日には何か食べ物を持ってきて同僚におすそわけをする習慣がある。普通はポテトチップス、カップケーキだけれど、Jは違う。

先週の金曜日は彼女の誕生日だったので、平日にもかかわらずJはいろんなカナッペやケーキを作って学校に持ってきてくれた。そのレベルがすごく高いのってプロ並みの腕前。

Jは学生の時、焼き菓子大会に彼女のおばあちゃんから教わったレシピでクッキーを出品して優勝し、その後市場にだしてみたらどうかとお誘いを受け、彼女はサイドビジネスとしてクッキービジネスを始め、彼女がプロジュースするクッキーはWhole Foodに売られるまで成長した。

そんなJにチェコですごい人気の家庭料理、Bramborákyブランボラークと言うポテトのパンケーキのレシピを教えてもらった。

小麦粉カップ1と暖かい牛乳1カップ、卵1個、すり下ろしたニンニク4かけ、すり下ろしたじゃがいも中サイズ6−8つ、塩、胡椒少々、小さじ2杯のマジョラムを加えてよく混ぜる。

これをサラダ油を引いたフライパンで丸い形になるように、両面がカリッとするまで焼く。

分量は結構アバウトでもいいらしい。

極めて簡単な料理で、ハムやベーコンを中に入れる人も多いとか。でもマジョラムはチェコ料理には欠かせないらしいので、これは必需品。

チェコには「朝食は一人で食べ、昼食は家族や友人と食べ、夕食は敵に与えろ」と言うことわざがあるらしい。南欧のように1日のメイン料理は昼食で、夜は寝る前にあまり消化の悪いものを食べないように、消化の悪い物は敵にまわせと言う意味で、軽くスープやさっきのブランボラーク、サラダなどですます食習慣があると聞く。

ヨーロッパの中央に位置するチェコ共和国、Jの話によるとチョコ人気質には日本人気質に似通ったところが多く、典型的なチェコ人は謙虚で、控えめ、礼儀正しいらしい。そお言えば私が出会ったチェコの人たちからもこのような印象を受けた事がある。

昔チェコに行った時、ロンドンで知り合いずっと文通を続けていたチェコ人の友人を訪ねた。

その彼女は私達の為に自分は実家に戻って、彼女のマンションを私の夫の為に気持ちよく使わしてくれたのを今思いだした。

チェコ人は暖かいとはよく聞いていたが、本当によくしてもらったのを覚えている。

今日Jと話していたら早速ブランボラークを作りたくなってきた。マジョラムとニンニクをふんだんに入れて、チェコビール、Pilsner Urquellピルスナーウルケルでも飲みながら作ってみようと思う。

Jが誕生日に持ってきてくれたカナッペとケーキ