これから就活

今月の初め、次女は卒論を提出し、最終試験も無事終わらせ、まだ結果は出ていないものの4年間の大学生活を終わらせた。

人生初の猛勉強だったので「しばらく休業するよ」と娘は宣言し、彼女はゆっくり休むつもりでいる。

今年の初めに大怪我をして、その手術が先にまっていることもあり、就職活動にも本腰をいれる気になれないようだ。

でも今までのようなルーティンがなくなり、「仕事はどおするん?」といろんな人に聞かれるので、卒論のストレスが消えたと思えば、今度はこれからの仕事や人生の選択の事を考え容易にリラックスはできないらしい。

そう彼女には就活が待っている。

イギリスでは大学、高校卒の新規採用者の入社日が4月1日、なんていうのは別世界の話。日本のように大学、高校在学中に就活をおこなって、卒業後すぐに就労なんていう体制がある国の方が珍しいのでは。

イギリスで私が見てきた限り、大手企業で働きたい人は、大学2年生の夏休みなんかにインターンシップを取って働けるようにして、うまく企業に気に入られれば卒業後に仕事のオファーがくるみたいだけれども、このパターンで仕事にありつける人はあまりいないはず。

次女はSNS、特にLinkedinを使って仕事の情報召集をしている。大学生の間から皆自分の学歴、ボランティア活動、アルバイトなどの経歴を登録し、それらを見た企業から直接スカウトを受けたり、求人情報を見つけ出す。

勿論イギリスにも大学卒業者対象に、実際的で面白いプログラムが存在する。

Graduate schemeと言って、各産業界が現場での実体験を通して将来の人材を育てるトレーニングシステム。銀行、農業、ヘルスケア、法律関係、交通機関、行政機関、教育といろんな分野が参入していて、大体1年から2年のコースで、これを終了すると即戦力として、自分がトレーニングを受けた業界で本雇になるだけでなく、いろんな企業にも評価されて、自分の可能性を伸ばす機会に恵まれる。

ただこれは競争率がとても高く、希望したから採用されるというものではない。

イギリスにおいて面白いなと思ったのは、将来弁護士になりたい人は、通常大学では法律以外の学問、歴史、文学、語学などを専攻し、大学卒業後にLaw conversionというコースを受講して、実際的な事を学んで弁護士の道を進む。

学生は就活で自分のコースのスポンサーになってくれる法律事務所を探し、うまくいけば、その会社が学費を払って、コース終了後にその企業で2、3年働くという選択をする。もちろん自分で学費を払ってコースを受けることもできるけれども、学費はかなり高額であるし、優秀な教授は企業がスポンサーにしている生徒を担当する傾向にあるので、できるのなら就活でスポンサー企業を見つける方が得策らしい。

それでも25歳の長女の友人を見ていると、大学を卒業してからほぼ2年後にはみんな希望の職についている気がする。

みんないろんな業界で活躍しているけれども、中には美術史を学び、大学院を卒業後、著名なアーティストのPRとして働き、その後転職して今は有名なアートギャラリーで働き出し、実力を認められて展示会の企画チームの一員として生き生きと働いている人もいるし、某新聞社の文化部の記者として、自分の好きな本、劇の批評を書いている友人、または警察官として、テロ対策本部で働いてる友人、高級取りだけれども、夜は毎晩22時ごろまで働いている銀行員の友人、夢だった医者になった友人と職種は様々だ。

私の次女は、早くから芸術関係の世界で生きる決心をしている。脚本家、演劇家、音楽プロジューサー、全てやってみたいそう。入っていくには難しい業界だ。でも1回きりの人生、好きな世界で生きていかないと後悔する。

しばらくは答えが見つからないかもしれないけれども、なるべくプレッシャーをかけずに近くで見守っていきたい、と母は思っている。

でも将来をちゃんと考えてる若者の姿はとても眩しくて、羨ましい。

着実に勉強をしてきて、夢に向かっている姿はとても頼もしく感じる。

どうかこの夏学業を終える若者達が、好きな道を切り開いて好きな仕事につけますように!

物価高はまだ続く

最近は誰と逢っても物価高の話になる。

特に基本的な食料品の値上がりがうなぎ上りで、毎回買い物に行って、あれっと感じる事が多くなった。

おとといも、近所にあるギリシャレストランのスブラキの(ギリシャのパンにチキンやポークのグリル、フライドポテト、サラダが入ったサンドウイッチ)値段が5ポンド99ペンス(約970円)から6ポンド99ペンス(約1100円)に急に値上がりした。ちなみに2年前は、確かまだ3ポンド99ペンス(約650円)だった事を考えればこの価格差にはびっくり。でも素材自体が値上がりしているから、こればかりは仕方がない。

先日もコーヒーとココアを注文しただけで、7ポンドは払ったし、ミルク、オリーブ油、卵など今まで価格の変動があまりなかったものが、着実に値上がりしている。友人は皆買い物をする時に以前よりちょっと気をつけていると言っている。

その上3月のイギリスは、スーパーの陳列棚からトマト、きゅうり、ピーマン、なす、ズッキーニが消えるという野菜不足に直面した。それらの供給先であるスペインや北アフリカが悪天候にみまわれた為、収穫に悪影響出たのが主な原因とされている。EU離脱後の英国では、今までポーランド人などのEUからの労働者に収穫の手伝いを頼っていた農家に、人手不足という新たな問題を作りだした。これに加えて光熱費の上昇、インフレが供給綱の不安定化を招き、野菜不足も物価高の一因になっている。

この状況の中、ニュースサイト、新聞といろんなところで経済的な献立て作りや、節約法を紹介した特集をしている。

節約メニューではソーセージとブロコッリーのパスタ、マッシュルームのパイ、ひよこ豆のカレーや缶詰を使ったレシピと色々あるけれども、いまいち食べたくなるようなレシピは見かけない。

事前に1週間の献立を決めて、セール品を利用して効率的で無駄のない買い物を奨励している人が多い中、ときにはご近所さんと協力しあって光熱費を節約しているケースもあった。

仲良しのご近所さんが、各世帯いつオーブンを使うかを順番に決めておいて、オーブンを使う世帯でご近所さんの分の調理を担当して、光熱費を節約しているという記事もあった。

我が家では、ペスカトリアンの、お肉を食べない夫がいるので、基本的には魚料理が中心になる上、和食を作ることが多いので、日本米をはじめ割高な和食の素材を買う事もあり、食生活の節約は難しい。せめて素材の無駄使いだけはしないようにしないとね!

そんな中先週、夫が美味しいベジタリアン料理を作ってくれた。

イラン料理の焼きなす、卵、ターメリックのトマト煮込みMirza  GhasemiとヨーグルトとディルのあえものBoraniに、トルコ料理のインゲンのトマト煮込みFasulye、ギリシャサラダ、チリペッパーのロースト、ハルミチーズのグリルに市販のフムス、タラマサラタ、パンを付けた夕食。

 

日本ではキプロスのチーズ、ハルミチーズが手に入るんだろうか? ハルミチーズは生でも食べられるらしいが、オリーブ油で焼いたり、グリルすると、とても美味しく変身する。ギリシャサラダは一口大に切ったきゅうり、トマト、赤玉ねぎ、黒オリーブ、オレガノ
にフェタチーズが入って地中海料理ならなんにでもあう。

とにかく全てとても美味しく、お皿の上の彩りもよくて栄養満点、しかも4人分作って20ポンド(約3300円)もかからなかったと夫が言っていた。

確かにベジタリアンの献立にするとコストは大幅に下がるし、野菜をふんだんにとれるので、週に1日ぐらいはベジタリアンデーでもいい感じ。

インドのベジタリアンの人たちの食生活が一番栄養があって、経済的だという記事を読んだことがあるが、これは案外事実に近いんじゃないかな?

とにかくしばらくは続きそうな物価高、だからこそちっとした工夫で日々の食生活が豊かで、美味しいものになるよう、まだまだいろんなレシピを探さないと!

こうして今日もまたYou Tubeにお世話になる私です。

救急外来

先日、次女が転んで右足を怪我した。すぐに夫が病院の救急外来(Accident and Emergency)に娘を連れていき、その日は骨折はなしとの診断を受けた。

後日、レントゲン結果で不明な点と血栓の疑いもあるとの事で、また戻ってくるように病院から指示を受け、夫がまた救急病院に娘を連れていった。

初回に病院に行ったのは火曜日の真夜中12時で、2人が家に戻ってきたのは午前3時半。待ち時間は2時間でこれは予想通りの結果。

翌日夫と娘は「真夜中の救急外来には、なんか不思議でもの悲しい光景が広がるわー」なんて言いながら、アル中になり全てを失ったと言う男性が、夫の横に座り自分の人生を夫に語り出した事、「もう3日間何も食べてないから、倒れそうや」とい言いながらレセプションに入ってきた女性、その女性にサンドイッチをあげていた看護師の話、大量のボリュームでTik Tokを見てた若者がご機嫌悪そうな看護婦に、ものすごい勢いで注意されてた事など感慨を込めて語ってくれた。

でも2度目の救急外来の経験は初回と違い、医療現場の大変さをしみじみ感じたよう。体力が消耗していた娘は思わず2度泣いたと言っていた。

夫と娘が2度目に救急外来に着いたのは金曜日の午後6時、とても混んでそうな時間帯だったけれども、病院からすぐに来てくださいとの電話が入ったので、長い夜を予感した2人は軽く食べてから救急外来に向かった。

午後6時にレセプションに着き、家に戻ってきたのは翌朝の午前3時。外来に着いてから担当の医者に緊急手術が入ったのと、順番後2人と言うところで、また緊急の患者がきたので、娘と夫は9時間も待つはめになった。ちなみに9時間あれば、ロンドンからドバイに飛行機で到着する。

その夜、夫と娘が目にした光景はドラマの脚本になるような強烈なものだった。

待合室はとても混んでいて、どの人も疲れきった表情をしている。

まずは、息ができなくて苦しいとうめきだす女性が娘の隣に座り、その女性はまる2時間ずーっと泣き続けていた。

前方には、怒りに満ちて、横柄な感じの中年男性が電話をしながら歩きまわり「俺はいつも人によくしてるのに、なんでこの俺がこの待遇を受けなあかんねん」とかなんとかと静かな待合室にいた人全員が聞こえるぐらいの大声をはりあげて話ていたらしい。その後その男性はどこかに消え、その間に看護婦が出てきて「ミスターなんとか」と消えた男性らしき人物の名前を呼んでいる。

しばらくすると男性は戻ってきて、レセプションに自分の番はまだかと聞いた。

「あなたの名前が呼ばれた時にあなたはいませんでしたので、あなたのリクエストはキャンセルされましたよ」とレセプショニストに言われた瞬間、その男性は、怒り狂い出し「俺は医者や、医者やから自分は今にも倒れそうなんがわかるんや~、どおしてくれるんや、早く医者にあわせろ」とすごい剣幕で怒鳴り始めた。その男性のとった態度はあまりにも偉そうだったらしい。

ずーっと大声でうめき声をあげている男性が入ってきたと思えば、肩を脱臼した女性がキャー、キャーと始終叫び声をあげ、またもや娘の隣に座る。

疲れきって、頭がボーッとしている時に、娘の前方に身長が2mはありそうな、背が高くて、いかつい姿をした男性が登場、とその瞬間その男性の後ろに鉄のチェーンでつながれ、手錠をされ囚人服姿の男性が現れた。その囚人は異様なまで不気味な笑顔を周りの人間に投げかけ続け、娘は囚人と一瞬目があい、その瞬間震え上がったらしい。

夫も「やっぱり囚人にはあれぐらい厳つい、いかにも訓練されてるボデーガードがついているんやな~」と感心していたほど、その光景は映画のワンシーンのようで、囚人はともかく、セキュリティーガードはファションといい、マフィアのような感じだったらしい。

次に怒りとイライラをセキュリティーガードに向け、ブツブツ言いながら中年の女性が待合室に入ってきた。その瞬間その女性は「やめて、こんな所に私を残さんといて、見て~やみんな外人ばっかりやん、こんなところでまつん嫌や~」と叫んだらしい。確かにそこにいたのはみんな外国人っぽい人ばっかりで、差別的発言と捉えられるものの、その女性もご先祖様は外国人とわかる容姿をしていたらしい。

何よりもハイライトは、具合の悪そうな娘を連れて入ってきた中年女性。レセプションで「娘は息ができにくく今にも倒れそうやから、今すぐ医者にみてもらって」と大声で叫んで入ってきた。

娘が診察してもらっている間、一度外に出ていった母は、戻ってくるなり看護室のドアをノックし、娘がどこにいるか聞き出した。「今他の患者さんを診ていますから、ちょっと待ってください」と返答されたその母は、それを聞いたとたんにブツ切れ状態になり、ジャマイカ訛りの、しかも聞き取りにくい方言で約10分以上、大声で全てを罵り出し始めた・

待合室はシーんとしていたので、本当にその女性の1人芝居だったそう。

しばらくして、セキュリティーガードやってきて、女性をなだめ始め、女性も徐々に落ち着きを取り戻したらしい。

後になって、娘と一緒に帰路につく際、さっきはあんなに怒っていたのに、何事もなかったようにレセプショニストに笑顔でバイバーイと手を振って帰って行った女性の姿に、みんな呆気に取られていたと言う。

体力消耗して戻ってきた娘と夫。でも今回の経験でさらに医療関係者への感謝の気持ちが高まったとと2人は言う。

医療関係者の皆さん、日々言葉の暴力にも耐え、本当にお疲れ様です、そしてありがとうございます。

外国語、それとも雑音?

先日パリのレストランで食事をしている時の事、私達の後ろの席には中国人と韓国人の留学生らしき4人組が座っていた。

人気料理店であるそのレストランには、地元のフランス人のほか、私達のような外国人観光客も多く、店内で聞こえてくる言語も様々で、その日も私達家族やその留学生グループも英語で会話していて、その音は他の音に混じって店内のざわめきとなっていた。

でもその後45分ぐらいたってから、異常に甲高い声が店内に響きはじめた。

その高い声の元は、留学生グループの1人の韓国人女性の声。酔っぱらってきたのか、その女性の声は以前よりも1、2オクターブも高くなっており、その音は鼻から出てきたような音をしていて、失礼ながらも聴いているだけで、人をイライラさせるような音になってきていた。

その音、声が一層ひどくなり、いいかげんうんざりしてきた時、私は職業上の癖がでて、その彼女に向かってシーッと注意をした。するとその瞬間、同時にその女性の近くに座っていた別のフランス人のお客さん2組もその女性に向かってシーッと、もっと怒りをあらわに注意した。

ちなみに私の長女は他のお客さんと視線があい「その声には呆れますね」とお互い目で語りあったとか。

とにかく注意された女性は恥ずかしそうにしながらも、謝る事はなく、ちょっと声をやわらげてまた話を続けていた。

こういう事って時に遭遇する。

ある日のラッシュアワー時、私の夫が、仕事帰りの、疲れた客でいっぱいのバスに乗っていた時の事、1人の男性がそのバスに乗ってきた。乗るとすぐに男性は携帯を出して、アラビア語で、しかも大声で話し始めた。その男性は段々と興奮状態になって話しだし、夫曰く回りにいた乗客もイライラを顔に表しはじめたそう。夫を含めて、その男性に向かってうるさいとジェスチャーを送る人もいたけれども、当の本人は全く気がついていなかったらしい。

またある時は、仕事帰りのバスの中、日本人の親子が同じバスに乗ってきた。その2人はロンドンに着いたばっかりで、バスの外を見て、あれやこれやといろんなコメントをしていく。

ちなみにこの時、バスはかなり混んでいて、さらに渋滞の中、どの人も疲れた顔をしていて、その親子以外は誰も話しをしていなかった。

その親子の会話は段々とうるさくなってきた。もちろんバス内で私だけがその親子の会話を理解しているはず。「もうちょっと静かにしてください」と言おうかなっと思いかけた時彼らは降りていった。その時、私の隣に座っていたおばちゃんもホットしたような顔を私にむけた。

これらは全て、話されてる言語がわからない方が雑音で、うっとしく感じさせるのか、話している内容がわかるからもっとイライラしてくるんだろうか。

どの言語であっても、大声でどなるように話たり、キーキー声で話たなら、回りにいるものは不快感を感じるのは確かな事。その反面、自分にとって耳に心地よい言語、情熱的に聞こえてくる言語、ガサツな印象を与える言語もあるのも事実。

昔、台湾人の彼女をもつイラン人男性が「彼女が中国語で彼女の家族と話している時、けんかでもしているのかなって思ってしまう」と言ってたのを思い出す。

またサッカー試合の中継中、感情が高まったイタリア人やブラジル人のコメンテイターが話す様は見ているだけでも面白くて、他の言語よりも情熱的に聞こえてしまう。

私の話す日本語は外国人にはどう聞こえているのか?

これだけは客観的にわかることができないから残念。でも友達に「日本語でこれはどお言うの?」なんてきかれたら、ちょっとおすましして答えている自分がいるのも事実。

ルーマニア料理のサルマーレ、今週のハイライト!

ワールドカップよありがとう!

先日のサッカーワールドカップ、スペインー日本戦にはとても熱い思いをさせてもらった。

私のように普段サッカーの試合を見ない者でも、ワールドカップの、それも自国の試合となると、自分の国を応援せざろうにはいられない。

今大会の日本人プレーヤーの力は凄かった。また嬉しい事に私の周りにも日本を応援してくれている人が多く、報道もコメンテーターも日本に好意的な報道が多かった印象を受けた。

ワールドカップまでは、長友以外の代表選手の名前さえろくに知らなかった私だけれど、日本がドイツに勝ってからは、いろんな選手の名前を覚えだした。そしてヨーロッパで活躍する選手が多いと知った時も、外国語を上手に話せる選手が多いと知った時もとても感動した。

特に、久保建英が話すスペイン語のインタビューはいくつも見てしまった。さすが10歳の時にスペインに渡っただけあって、とても流暢なスペイン語を話す久保選手。チームメイトともすごく打ち解けているようだし、何よりもスペインー日本戦の後、スペイン人フアンが「スペインが負けてしまったのは悔しいけれども、自分の愛する建が活躍したのはすごく誇りに思う」と言っているのを聞いて私まで嬉しくなってきた。

キャプテンの吉田麻也は、若いプレーヤーに英語を学ぶ事を奨励しているらしい。そうすることで外国リーグでの活躍の場を広げる事ができるから最もだ。

クロアチア戦の後、前田大然選手が号泣している中、同じクラブ、セルティクの同僚であるクロアチア人選手ユラノビッチが前田選手を慰めている場面も、試合後まだ呆然と立ち尽くしていた日本代表の元に真っ先に駆け寄って、健闘を称え、抱擁を交わしたクロアチアのペリシッチ選手の姿も、見ている側にたくさんの感動を与えた。

外国で活躍している選手が多い事という事は、国外でも日本人選手を知ってる人が多い事、いろんな選手が三苫薫を褒めていたし、日本サッカーはこれからますます盛り上がっていく気がする。

サッカーに興味のない夫は「日本のラグビー試合はあまり見ないのになんでサッカーは見るの?」と言ってきた。本音で言えば、昔からなんかサッカー選手はかっこいい男児が多いという印象があったからかな!

それに関西人の堂安律や前田大然には親しみが湧くしね!

でも今回久保選手のスペイン語を聞いているうちに、またちゃんとスペイン語を学び直したい気持ちが高まってきた。私が2年間住んだスペイン、気さくで親切な人が多いスペイン。先日もスペイン人の友人と話している時実感した。私はフレンドリーなスペイン人が大好きやと!

今回のワールドカップは、多くの日本人に喜びを与えた。私も心臓がドキドキするぐらい気を張って試合を見て、感動をもらい、さらにワールドカップのおかげで、またスペイン語を勉強したくなる気持ちも芽生えてきた。

これを書いていると、次女が「ママ、Edgeware Roadはめっちゃ盛り上がって、道で踊ってる人が多いらしいで」と言ってきた。アラブ人が多いそのエリアはモロッコがフランスを破って優勝し、めちゃくちゃ盛り上がっているらしい。モロッコはアフリカ勢初の4強入り。ここでもモロッコは多くのアラブ人、アフリカ人に喜びを与えているんだろう。

残るはアルゼンチンークロアチア、フランスーモロッコ。

私個人はクロアチアに勝ってもらいたい、そしてユラノビッチ選手とペリシッチ選手を応援したい。ありがとうワールドカップ。

円安と物価高

最近、連日のように、日本に来ている旅行者が爆買いしているニュースを目にする。

ビザなしでの個人旅行が解禁された上、今破格の円安で日本旅行は大人気。

大阪、心斎橋筋にある大型ドラック店、高級ブランド物を扱うお店がニュース番組で扱われて「今日の売り上げは、外国人観光客が爆買いされここまで伸びました」と満面の笑顔で語っていた。

私が先月そこの前を歩いた時は、とても静かだったのが今や嘘のよう。

円安の今、ブランド製のバックなんかは日本円で買った方が、かなりお得になる。

日本旅行がみんなに解禁される事はとても喜ばしい事だけれども、これらの連日のニュースをロンドンで見ていると、この状態はとてももどかしく、一抹の不安すら感じるのも否定できない。

例えば、今から35年以上前は、オーストラリアやシンガポールは、私達日本人にはとても物価の安い国で、特にシンガポールはストップオーバーをもじってショップオーバーと言い、買い物天国だった。

今その立場が逆転して、日本が安い国になってきている。

この間もTBSニュースで、各国の最低賃金の比較を報道していたけれども、日本の全国平均最低賃金が1時間あたり961円であったのに対し、オーストラリアでは2009円、アメリカのカリフォルニア州では2220円、イギリスは1610円だった。驚いたのはアメリカでは来年の1月からファースト法と言って、ファーストフード従業員の給与が大幅引き上げられ、最低賃金の時給が22ドル、日本円で3256円になるらしい。

もちろんそれらの国は生活費も高いだろう。シンガポールの生活費は日本の倍になると言われている。でも日本の961円は時給が低すぎる。「こんなに手が混んでるのに、なんでここまで安いの?」と大阪でお弁当を買ったり、ランチを食べに行く時にいつも感じてしまう。

日本人の給料は上がらなければならない。

そしてこれからは日本人も職種によっては外国に出稼ぎに行く時代になってくるんだろうか?

出稼ぎといえば、ほんの少し前までは、イギリスにワーキングホリデーに来るオーストラリアやニュージーランド人の若者は、イギリスで働いてお金を貯めて、ヨーロッパを旅していた。でも今は自国で充分稼げるので、物価が高くて、給料の安いイギリスに来てわざわざ働かなくてもいい。

ロンドンの小、中学校の体育の先生には必ずやオーストラリアやニュージーランド人の先生がいたけれども、その数が減ってきているのは、私が働く学校でも見られる現象だ。

そのイギリスは今、ポンドの価値が下落して、物価が急高騰しているので「あれ、これこんなにしたっけ?」と思わせる事ばかり!

最近では、アボカドトーストを注文した時、目玉焼きをつけるかどうかの選択があった。目玉焼きをつけたら11ポンドのアボカドトーストが15ポンドに、小さな目玉焼きは4ポンド、日本円で660円増し!そこまで美味しくないのを知っていたから、目玉焼きはなしにした。

またいつも行く日本食レストランで、今までは9ポンド半で買っていたちらし丼が急に15ポンドに値上がりしていてびっくり。15ポンドは今、2500円。日本で2500円あれば、ちらし丼が二つは買える。

とにかく、1日も早くロシアとウクライナの戦争が終わり、円安も止まらなければならない。

イギリスの物価高も嫌だけれども、母国が安い国になっていくのを見ているのも嫌や!

日本人はこの事態をどのように受け止めているんだろうか?

イギリスはまた首相が辞任し、しばらくは物価高が続いていく気がする。

ロンドンの猛暑日

先週の月曜日と火曜日のイギリスは、観測史上初の暑さに見舞われ、ヒースロー空港では41度まで気温が上昇した。

その前の週から気温上昇の対策や警告予報が出されていたので、どの人もある程度の覚悟をしていたと思うけれども、はい、やっぱり暑かった。

ロンドンはちょっと雪が降っただけで、交通機能が麻痺してしまうけれども、猛暑日も同じ。

暑さで鉄の線路が曲がってしまったり、不要な外出は控えるように政府が要請したと思えば、それを受けて今日は仕事に行きませ~んと言う人が出てきて、電車や地下鉄の駅員が人手不足になり、駅が閉まる、それで人が通勤できなくなる。

夫も最寄りの駅に朝着いたら駅が閉まっていたらしく、仕事場でも多くの人が在宅で、オフィスに出てきたのは二、三人とか。ブティックを経営しているご近所さんは「うちの店にはエアコンがないから月曜日と火曜日は店は閉めるねん」と言ってたし、当日は「月、火は休業します」と言う貼り紙をはっているお店をちらほら見かけた。

私は月曜日の早朝、公園に散歩に行った。この日は外でのジョギングは控えるように政府が要請していたのもあってか、ほとんど走っている人は見かけなかった。

まあ暑かったって、月曜日は風さえ吹いていなかった。私は家の中の一番涼しい場所で、ほぼ裸に近い格好で読書をしていて、日がくれてからはバルコニーで座っていた。

火曜日の午後はエアコンがギンギンかかっているカフェで過ごす予定だったけれども、行きたかったカフェはどこも満席、コンピューターと共に半日は座る覚悟で来ている客でいっぱい。

レストランを通るたびに「エアコンきいてます」のサインを見かける。エアコンがきいてる店でランチをした後、これまたエアコンがきいているスーパーで買い物をして、後は影を求めて家路に!

7月の平均気温は21度前後で、湿気がないロンドンではエアコンの普及率はとても低い。実際熱帯夜を経験するのは年に2日ほど。我が家の場合は風の通りが良くて、夜はいつも気持ちのいい風が吹いてくれるので、エアコンがいると思った事は今までなかった。

でもここ数年、地球温暖化が進み、確実にイギリスの気温は毎年上昇している。

毎年夏になると、暑い中東の産油国からアラブ人が避暑の為にロンドンにやってくるが、彼らのロンドンホームにはエアコンが設置されてるのかな?避暑にくる意味がなくなる。これからはエアコンを買う人は増えてくるんだろうか?

でもエアコンなしで、こんなに暑かったら食欲も落ちるし、料理をやる気も失せてくる。

月曜日は長女がベトナム料理のライスヌードルの上にエビや野菜をのせたブンを作ってくれた。

火曜日は朝いちでさばそぼろを作っておいて、卵とインゲンとで3色丼をいただいた。暑いからお味噌汁はなし、ただ中華風の叩ききゅうりを作ったら、暑さにあうのか食が進んだ。

きゅうりを棒で叩き潰し、そこに砂糖、米酢、ラー油、チリペッパー、豆板醤、お醤油で絡めるだけの即席料理。ビールでもあれば最高のコンビネーションだったはず。

有り難いこと火曜日の夜、少し雨が降り気温が下がり、そのまま水曜日はいつもの過ごしやすい26度ぐらいに戻った。

あー2日間といえど、ロンドンにいる限り35度以上の気温はやめてほしい。

伝統行事

昨日は突然近所に住む日中ご夫妻から「チャイニーズ ニューイヤーイブのお祝いで水餃子を作るからこない?」とお誘いの電話が入った。

同時にご両親がオーストラリアに住んでいる長女の中国人の友人からも「仕事が予定よりも早く終わったし、それに今夜は旧正月の大晦日だから一緒に中華食ベに行くの付き合って」とメッセージがきた。

気のいいご近所さんは娘の友人をも誘ってくれて、私達は急遽チャイニーズ ニューイヤーイブを美味しい餃子とローストダックでお祝いする事になった。

多国籍都市ロンドンに住んでいると、自分の国の伝統行事だけでなくいろんな国の伝統行事もお祝いする機会に恵まれ、楽しい時間を過ごせることになる。

旧正月の今日、私が働く学校の給食は一応中華風だったし、児童もスタッフも赤色の服を着て、中国人の子供たちはみな素敵なチャイナドレスを着てきた。食後にはみんなでフォーチュンクッキーを食べたけれども、いつもおしゃべりでやんちゃな子のフォーチュンには「人の話をいくと人生が良くなる!」と書かれていてみんなで大笑い。

先週の25日は、亡きスコットランドの詩人ロバートバーンズの誕生日を祝って給食はスコットランド料理のビーフパイ、ローストポテト,ローストパースニップが賄われ、朝の朝礼ではバーンズ作詞の、日本ではホタルの光と呼ばれるAuld Lang Syneを皆で手を繋いでみんなで歌った。

次なるお祝いは3月のアイルランドの聖人、セントパトリックデイ?

そうやその前に明後日の節分がある。

節分と言えば去年、恵方巻もどきを作って南南東かどうかもう覚えてないけれども、その方角をむいて黙々と一気に恵方巻を食べ、終わった瞬間みんなで爆笑した事があったけ、やっぱりいろんな行事を楽しむべきだと実感した瞬間だった。

私を含め外国に住んでる日本人なら、海外で迎えるお正月に一抹の寂しさを感じたことがあるはず。私も毎年家族に「お正月ってこんなもん違うで」とブツブツ愚痴をこぼしてしまい「それやったら何でもっと努せえへんの?」と返されてきた。

何でも揃っているロンドンでもおせちの材料は手に入りにくいので、お節を作る気力は湧いてこない。今年も頑張ってお雑煮、紅白なます、茶碗蒸しは作ったけれど、あとは手巻きで、お正月らしさ度は低かった。

そんな事もあって、今年は日本の伝統行事をおこなって日々の生活に色を添える決心した。

と言いながら2日後に恵方巻を作るには、もう日本の食材店に買い物に行く時間の余裕がないかも、せめて豆まきだけでもしてみよう。子供の時自分の年と同じ数の豆を食べたのをよく覚えている、楽しかった思い出だ。

そしてお雛さん。必ず実行する為に3月3日には巻き寿司を作る約束を学校にした。これでうちのクラスの子供達も異文化の伝統行事を経験することになるし、そこでまたたくさんの笑いがあると思う。

伝統行事、大切にしていこう。

具揃いなのは私が作った餃子

ナイジェリア小説

一月もそろそろ終盤を迎え、早朝も真冬独特の暗さから少しずつ脱却し明るさが増してきて、時には午後の気温が二桁代になる事もあり、春もそんなに遠くないと感じられ、そんな時私は不思議と幼少時の春を思い出してしまう。

それはお雛さんの頃だったり、子供の日に食べた大好きな柏餅だったり、なぜかわからないけれども春の気配が郷愁を誘い、そのまま思いは子供の頃に舞い戻る。

今月は読書に没頭した。

夢中になって読み終えた本は、邦題「半月登った黄色い太陽」というナイジェリア人作家、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの作品で、著者はこれで英国女性小説ベイリーズ賞を受賞している。

この小説の舞台は1960年代のナイジェリアと1967年から3年間だけアフリカに存在して、ナイジェリアに滅ぼされたビアフラ共和国で、ストリーはそこに生きる3人の人物を中心に繰り広げられる。

アフリカ人は国への帰属意識よりも各部族への帰属意識が強いらしい。考えてみるとあるヨーロッパの国々に植民地にされる以前には、現在引かれた不自然にも直線的な国境線は存在していなかったわけだし、国境線後にアフリカ各国様々な部族が共存しながらも、時には衝突があっても仕方のない状況があった。

日本人にとってナイジェリアはヨーロッパ諸国同様文化的に遠く離れた世界なのに、この小説が描くナイジェリアにはまたもや私が幼少の頃にかいだ匂い、特に夏の午後の気怠い匂いを連想させる場面が何度かあり、時にノスタルジックな思いに浸りながらの読書タイムだった。

それはまだ古さが残る昭和時代に似通った空気感があるからかな?

そんな事でナイジェリアに興味を持ちだした私は、一番興味のある食文化についていろいろ検索してみた。ナイジェリアの北部はイスラム教徒の遊牧民ハウサ族、西部はイスラム教徒の農耕民ヨルバ族、そして私が読んだ小説の舞台である南部にはキリスト教徒イボ族が住んでいて、それぞれ異なった食文化を持つ。

ストリーの中にもペッパースープ、パームワイン、ヤムやキャッサバが何度か出てきたし、シチュー料理がとても多い。You tubeでナイジェリア料理を見ているとトマトソースをベースにしたシチューの場合、オレガノ、カレー粉、ガーリックパウダー、オニオンパウダーなどを大量に入れてどれも味付けがかなり大胆なのが特徴。

私が働く学校のヘッドシェフもナイジェリア人で、彼女のナイジェリアの実家は中華レストランを経営している。確かに彼女が作る野菜炒めは、名前は野菜の照り焼き炒めで、味は中華風というかオイスターソースに甘味を足したこれも大胆な味付けだ。

数あるナイジェリア料理の中でも全国的に食べられているJollif Riceはトマトと赤ピーマンのソースで作られるピラフで、どこにいても簡単に作られる料理。

まずはトマト、赤ピーマン、玉ねぎをミキサーにかけてペースト状にしておく。

次にフライパンにベジタブル油でみじん切りにした赤玉ねぎを炒め、トマトピューレを加えて20分ぐらい煮詰める。

そこにチキンストックキューブ、ドライタイム、カレー粉、ガーリックパウダー、ベイリーフ、塩、水を加えてよく混ぜ、お米を加えてアルミホイルでカバーし、さらに蓋をしてライスが炊けるまで中火で煮込む。

このとき使うのは日本米ではなくバスマティなどのインディカ米。これはお肉にもお魚に付け合わせにぴったり!

小説の中で出会う料理にはこちらの想像力がフルに働き、読者の頭の中には実物とはかけ離れた料理が出来上がってしまうが、Jollif Riceは陽気なナイジェリア人を連想させる魅力があるように思う。

休み明け少し気が重くなりそうだった1月は、ナイジェリア小説に楽しませてもらった。

今はロンドン生まれのナイジェリア人作家の本を読んでいる。しばらくはこの文化から刺激を受けそうだ。

ペルシャンテーとスイーツ

オックスフォード、ケンブリッジ大学の受験

寒い冬が訪れ、今年もまた受験シーズンがやってきた。

今週はオックスフォードとケンブリッジ大学、合わせてオックスブリッジの面接の結果が出た週。知り合いの娘さんと小学生の時から知っているうちの学校の高校部門の生徒も2人無事にオックスフォード大学からオファーが来て、私までホット嬉しい気持ちになってきた。

イギリスの大学受験のプロセスは日本のそれとは違っている。そんな中でもオックスフォードとケンブリッジ大学の場合は合格まで三つの難関を突破しなければならないし、まずはオックスフォードかケンブリッジのどちらかひとつをえらばなければならず、両方は志願できない制度になっている。

まずは9月に入ると、自分がいかにその学問を極めたいかを学術的にアピールするpersonal statementを書いて希望のカレッジに送る。これがまたきれいに上部だけを飾るような書き方ではなくて、自分の学びたい分野がどんなに興味深いかと言う事を述べていくんだれれども、今まで読ませてもらったpersonal statementのレベルの高さにはびっくり!

海外ではオックスフォード大学、ケンブリッジ大学と知られているけれども、各大学ともいろんなカレッジから成り立っているので、あらかじめよく調べてから、自分にあったカレッジを選択をしなければならない。各カレッジともいろんな特徴があって、例えば公立高校出身の方が有利で、思想が左寄りと言われているカレッジ、私立校出身者が比較的多いと言われているカレッジ、経済的に余裕があって奨学金が整っているカレッジ、いろんなイベントが多いカレッジとその選択も簡単ではない。

とにかく自分の希望している研究への情熱を知的にアピールした文書と、学校からのレポートをもとに大学が志願者を面接するかどうかを決めて、うまく面接までこぎつけたら12月の頭に面接が行われる。

この時点で志願者の半分が振り落とされると言われている。面接の内容は自分が研究したい専門分野について重点を置かれると言われているが、何をどの方向から聞かれるか全くわからないので、いろんな関連書籍や、研究者の論文を読んでいるのを前提に準備していかないといけない。

うまく面接でオファーを受けてもこれが最後ではなく、春に全国一斉におこなわれるA levelという試験があり、自分の選択した3科目を受験する。8月の中旬に結果がでるが、その試験の結果がA star(85%)A(80%)A以上なら入学可能です、とうような流れになる。

面接でオファーを受けても、8月の試験結果で点数が足らずに入学不可になるケースもある。うちのご近所さんの息子も最終試験の結果がでわずか一点差で、ケンブリッジ行きを見逃してしまった。

そして時には、オックフフォードとケンブリッジはもっと公立高校出身者を受け入れるべきだと政治的圧力がかかって、学力があっても私立校出身者が不利になる場合もあったりする。実際にずーっと私立の学校に行っていたのに最後の2年だけ公立高校に転校して受験をした人達も知っている。とにかく一筋縄ではいかないのがオックスブリッジ。

それでも学力がある生徒にとっては憧れの大学であることは間違いなく、教授と一対一のデスカッションや、マントを被って、ラテン語でお祈りを捧げるフォーマルな夕食会、カレッジ内での生活など、両大学ならでの学生生活が魅力で、内外かかわらず毎年かなりの数の学生が志願してくる。

有難い事に、私は娘と彼女の友人を通してケンブリッジ大学生活を垣間見させてもらった。

「あーもし次生まれ変わったら、今度こそんはちゃんと勉強して私もケンブリッジ大学で学びたい」と思わせるような輝いた学生生活だった。

今年オファーをもらった学生には本当に最終試験で頑張ってもらいたいとつくづく願う。