クリスマスリース、2021

クリスマスも、26日のボクシングデイもあっという間に過ぎていった。我が家では3年連続で夫不在のクリスマス。それでも25日は朝早くからオーストラリアにいる夫、義父、義妹達とフェイスタイムでクイズをしたりしながら我が家のクリスマスを楽しんだ。

と言いつつ夫不在が3年目にもなると、さすがにかつて家族4人揃ってクリスマスをお祝いしていたのが遠い昔のように感じてしまう。

お肉を食べない夫の為、我が家の伝統的なクリスマスランチはいつも生牡蠣、マグロのカルパッチョ、舌びらめ、クラムチャウダーなどの魚介のオンパレードで、娘と私は時々「あ~うちもロースト料理を食べた~い」なんて思ったりしたけれども、イギリス風のロースト料理に切り替えた今になっては、かつての私たちのクリスマス定番料理が恋しくなったり、毎年いつも夫が生牡蠣のからを開てくれていた姿が妙に懐かしくなってきた。

有難いことに長女がメインシェフを務めてくれて、ターキーじゃないけれども大型チキンのロースト、クリスマス料理には欠かせないベーコンで包んだソーセージ、ミンチの詰め物、赤キャベツ、芽キャベツとベーコン、ローストした野菜などの全ての付け合わせ、そして仕上げにはオーストラリアのクリスマスケーキ、パブロバを焼いてくれて、みんなでワイワイ美味しくいただきその後はゲームを楽しんだ。

でも時は変わったと実感する。

コロナのせいで家族全員でクリスマスを過ごす事ができなかった人が今年も実に多い。

自宅でおこなうラテラルフロー検査ではいつも陰性結果が出ていたのに、フライト前のPCR検査で陽性結果が出た為、急遽自国に戻れなかった友達が2人もいた。

特にご主人と娘さんが先にポルトガル入りしていた友人Iと息子のCは、予想もしていなっかったPCR検査結果に大ショック。私の親友Aも2年ぶりの家族でのクリスマスを楽しみにしていたのに、2週間前にコロナにかかっていた彼女の長女のPCRが、まだ陽性と出てしまった為に出発当日に南アフリカ行がキャンセルになった。

娘の友達の中にはお父さんと長女が陽性になり、お母さんと次女はおじいちゃん宅に隔離してクリスマスを別にしていたし、ギリギリ24日まで自宅隔離をしていて25日に家族に合流した友達もいる。その他家族の誰かがコロナにかかり、祖父母や親戚とのクリスマスができなかった人たちも知っている。

今のロンドンでは20人に1人がコロナに感染していると言われているけれども、私の界隈では4人に1人は陽性者のような印象を受けるし、医者の友人は今ではもう陽性者の全てをオミクロン株として扱っていると言っていた。

政府はお正月前にイングランドにはコロナ規制を導入しないと言っているが、1月に入るとまたロックダウンになると思っている人は多いはず。

リスボンからクリスマス休暇で戻ってきている次女は、PCR検査で陽性となるのを恐れるあまりこれから帰国日までは誰とも逢わないつもりでいる。でもそれって一緒に住む私と長女はどうしたらいいの?大晦日には予定も入っているのに!

あーまた2022年もコロナに振り回される日々が来るんかい? それが嫌で昨夜は家族で2022年のホリデープランを立ててみた。

ご近所さん パート4

先週末、うちのフラットの地下のご近所さんがクリスマスパーティーを開いた。

最初は「あーまたパーティーやってんなー、真横と真上に住んでるご近所さんはめちゃくちゃ迷惑やろうなー」などと気楽に構えていたけれども、午後11時になっても鳴り止まな音楽に、いつもと違ってマリファナなんかでハイになっている人だけが好みそうな、儀式的と言うか呪術的なドラムの音と、うちの暖炉のスペースを通って上がってくるきついマリファナのにおいに3階に住む私達家族も心落ち着かず。

午前3時にうるさい音楽の音で目が覚め、午前5時にまた目が覚めた時もまだ異様な音楽が鳴り響き、人が叫ぶ声も聞こえてきた。

そして午前8時を回って、オーストラリアに住む夫からファイスタイムがかかってきた。

第一声が「大丈夫、ちゃんと寝れた?すごい騒音やったらしいね」 

騒音とマリファナの匂いにたまりかねた1階の住民が、香港にいる彼らの大家さんにメッセージと証拠ビデオを送り、時差の関係で夫と1階の所有者はこのフラットの住民より先に深夜から早朝にかけて何が起こっていたか知ることになった。

どうやらパーティー参加者はみんなマリファナよりもきついスカンクをすっていて、夜通しいろんな人が出入りしていたらしい。うちのフラットの地下には2世帯入っていて、外からは入る時はその2世帯は同じドアをとって中に入る。

地下に住む別の世帯は女性の一人住まい。その女性は「怖くて怖くてずーっと泣いていました、ずーっと警察に電話をしようかどうか迷っていて朝を迎えました。この問題をどう解決したらいいかわかりません、皆さん力を貸してください」と私達住民全員にメールを送ってきた。酔っ払ったパーティー客が間違って彼女のドアを叩き続け「早く開けろー」と叫んでいたらしい。

彼女は怖かったに違いない、本当に気の毒だ!

その後住民同士でのメールのやりとりがあり、パーティーを起こしたフラットの所有者が「この度はご迷惑をかけて申し訳ありません。借家人には十分に注意をしました。深く反省しているようです。私からは彼に皆さんのお宅に謝りに行くようにアドバイスしましたから、もし彼が謝りにきたら報告してください」と言うメッセージを送ってきた。

これにはみんなブチギレ。ここに住んでいないその所有者は単なるパーティーだから謝って済まそうとしている。でも9月から続くマリファナの匂いの事や、度重なるパーティーのことはわかっていない。

2歳の子供さんがいる1階の住人はカンカン!

そこに4階に住むご近所さんがパーティーを起こしたフラットの所有者に対し、とても厳しい口調で「こんな反社会的行動はもう許されない、今回が初めてではないのでただちにあなたの借家人との契約をうちきってもらいたい」と最後通告を出した。

普段はニューヨークに住む2階の所有者がクリスマス休暇でロンドンに戻ってきた日がパーティーの行われた日。彼らはほとんど寝る事ができなかったらしい。このご近所さんは行動力があり、今その彼が早速地域の自治体とやりとりし、法的な処置を見てくれている。

有難いことにパーティーを開いた住民は今姿を消してロンドンにはいないよう。マリファナの匂いもあれから漂ってこない。

折しも今週のロンドンはコロナ感染者の数がうなぎ上りに増え、今コロナにかかってしまって自宅隔離をしている友人、知人がいっぱい。そして今宵はクリスマスイブ、聖なる日を目にしてみんな穏やかに時を過ごしたい。

でも普段あまり交流のないご近所さんだけれども、今回の件でなんか助け合いの精神、団結力を感じさせてもらえた。明日のクリスマス、上に住む一人暮らしのご近所さんにケーキのお裾分けでもしてみよう!

お葬式

先月、長女の中、高校時代の同級生のお母さんが、まだ60歳と言う若さながらもがんで亡くなられ、今日は娘と私でその彼女のお葬式に行ってきた。

彼女のお葬式は、敬虔なカトリック教徒であった彼女が一番望んでいたであろう形でおこなわれた。ロンドンの中でもかなり規模が大きくて内装も美しいブロンプトン、オラトリー教会で、カソリックの儀式にのっとって神父さんが祈りを捧げ、賛美歌が歌われ、厳かな空間の中多くの参列者を迎えての葬儀だった。

実際シューベルトのアベマリアを聴いていると、頭上に金色に輝いた亡くなった友人がみんなに「今日は来てくれてありがとう」と言っているような気がしてきた。

教会でのミサが終わると、参列者は全員教会に隣接したホールに移りそこで食事とドリンクが振る舞われ、家族や友人と故人をしのびながらのお別れ会となった。

彼女のお葬式の場合、亡くなられてから1ヶ月以上経ち、感情的に彼女の死を受け入れられる事ができた為か、悲しさが残る中にも、みな故人の生きてきた人生をたたえ「本当にお疲れ様でした」という心温まるお別れだったような気がする。

そしてお葬式に参列すると誰もが人生について考えるはず。

最後の哀悼の辞で娘さんが「母は本当にいい人生を生きました。ただなんとなく存在していたような人生ではなく、いろんな経験をし、ボランティアに熱心で常に困った人を助け、情熱を持って充分に生きた人生でした」と言っていたが、まさにこれは誰もが望むところだろう。

こんな機会を与えられなかったら人は1日1日をフルに生きることの大切さを忘れがちになる。

誰もがいつかはこの世を去る、ならばほんとに気持ちよくフルに生きたい、そして彼女がそれを教えてくれているような気がする。

フィリピン出身で、兄弟姉妹が9人もいる彼女。コロナ禍で容易にロンドンに来れなかったフィリピン、アメリカ、オーストラリアにいる親族80人は今日はLive Streamでお葬式に参加された。

折しも今経営コンサルタント会社で働いている長女のプロジェクトが、とある会社のお葬式サービスなので、私たち家族のお葬式にかかる費用についての知識も豊富になってきてた。

一番安い火葬の場合だとかかる費用は800ポンド(約12万円)でもその価格では火葬の時刻も家族に知らされないとか、一番安い棺はカードボード製で450ポンド(約6万7千円)とか、お葬式も立派なビジネスだとつくづく実感している。

でもその観点から今日のお葬式を見ると、いい棺に立派なお花、お食事にはフィリピン料理も出されてすごく参列者思いで、最後にご家族が心を込めてお葬式の準備をされた事が手に取るように伝わってきた。

きっと彼女はとても喜んでいたに違いない。

ありがとうジーナ、お疲れ様でした。

自宅隔離

気がついたら12月もすでに5日が過ぎている。自分の誕生日月とクリスマス休暇がある12月が大好きな私にとって、この時期をひたすら自宅で隔離しているには、外はあまりにも美しく眩しすぎる。

コロナに感染したと言っても、有難い事にごく普通の風邪をひいた時と同じ症状がでているだけで、むしろ第一回目のワクチン接種後の副反応の方がきつかったぐらい。とてもマイルドな感染にワクチン接種と免疫力に大感謝。

ここまでマイルドだと心配してメッセージを送ってきてくれる友人に「大丈夫よー」と切り返してもなんか信じてもらえてないような!!それと家族や友人には「本当に大丈夫」と言ってみんな「よかったねー」と返してくれるけれど、こと同僚に報告する場合はなんかちっと気兼ねをしてしまう。

以前日本にいる友達が「職場でのコロナ感染第一号者には絶対なりたくない」と言っていたが確かにいろんな意味で職場には気を使ってしまうのが本音。

もちろんコロナに感染したからには自宅隔離は当たり前の事だけれども、ここまで症状がマイルドだと、今人手不足で忙しい思いをしている現場の事を理解しているだけに、なんか自分が家でゆったりと時を過ごしているのが申し訳ないと言う思いが湧いてくるから仕方ない。

気のいい同僚はみんな「心配せんとここはゆっくり休養して、仕事の事は一切考えといてね、健康第一やからね」と優しい言葉をかけてくれるが、そう言ってくれるだけにこちらとしては余計に「ごめーん、私はほんまに元気すぎて、この姿は見せられない」なんて思うし、ちょっと大げさに「うーんまだちょっとしんどいからすーっと寝てるねん」なんて言った方が気配りができていいかなと思ったりもする。

同時に感染した同僚はまだ熱が少しあると言っているし、ここは何も言わずに静かに療養してるのが一番やね。

PCR検査結果が陽性となった時にNHS(国民医療サービス)にオンラインで報告をしなければならない。私の場合はPCR検査セットが1日半遅れでやってきて、検査結果が出た頃の私はすこぶる元気だった。だから「あなたには現在これらの症状がありますか?」という質問項目の中でただ一つ、味覚がないという項目だけにはいと記述をし、味覚がなくなった日を記した。

あーそれがそもそもの間違い!本来ならばコロナの症状が出た最初の日を書くべきだった。

いつまで自宅隔離するべきかを計算するCovid Timerは、私が味覚を失った日を症状が出た最初の日と捉え「はいあなたの自宅隔離は12月11日が最終日です」と言ってきた。

違う!初めに熱が出たのが11月28日やから私の自宅隔離は12月8日までで、私は9日から職場に戻れるはず。NHSに電話をしてもTest and Traceと言う感染者がちゃんと家で隔離しているかを確認してくるチームの人しか、私の自宅隔離の期日を変える権利がないと言う。

でもそこからは一向に電話がかかってこない。

仮に今でも咳き込んでいたりしたら、迷う事なく大事をとって11日までの自宅隔離を受け入れるだろうけれど、こんなに元気ならなんかずる休みをしているようで、気が引ける。

でも冬休みに外国に帰省する同僚達は、症状がなくてもコロナ感染したばかりの人との接触はできれば避けたいと思うんかな?

なんか本来の病気とは違うところで、あーやこーやと気を揉んでしまう私。でもほんとに今回のコロナ感染が軽い症状だけでほんとに有難い。あー早く事が落ち着いて、本来の12月を純粋に楽しみたいと心から願う。

まさかの陽性

まさかの検査結果。

土曜日には二度もラテラルフローのコロナ検査をして二回とも陰性だった。その夜はちょっと疲れを感じ早めに就寝、翌朝あれっと思いまたラテラルフローの検査をしたら、なんと陽性結果が!陽性を示す線がくっきりと浮かび上がってきている、と同時に体が熱くなってきてしんどさが増してきた。

心あたりはあった。先週同僚の一人に陽性者が出て、その同僚と同じ空間で仕事をしたばかりだった私。それ以来ほとんどのスタッフが日々コロナ検査をやってきたものの、週末になるとその同僚のクラスで働いていた他三人のスタッフにもコロナ検査後陽性結果がでた。

そして月曜日の早朝、さらにスタッフと児童の中に陽性者が出たので、月、火は学校は閉まって授業はオンラインに切り替わり、学校側は児童、スタッフ全員とにPCR検査を要請。

水曜日である今日学校は再開したもののスタッフが6人も休みで、学校にいる同僚には本当に仕事のしわ寄せが来て申し訳ない気持ちでいっぱい。

PCR検査セットが1日遅れてやってきたので私は今の時点でまだ正式な検査結果を待っている状態。でも咳もあり、さっきピーナッツバタートーストを食べたら味がしなかった今自分は陽性だと確信している。

でももし陰性結果が出て、この咳と鼻詰まりの私が職場に戻ったところで大好きな同僚達に申し訳ないし、はっきり言って行ったら迷惑状態になる。陽性とちゃんと判明した方が気が楽なものの、それを望むのもなんとなく気がひけてくる。複雑な心境!

でも今のところは普通の軽い風邪と同じ症状だから、ここはワクチン接種と自分の免疫力に感謝するしかない。

折しも今は世界中で変異種であるOmicronが恐れられているから日本やオーストラリアにいる家族はびっくりして心配してくれている。私の場合は同じコロナといえども世間が言っているOmicronとは全くの別の病気のようだ。

ちょうど土曜日の日中は仲良しの南アフリカ人の友人A宅で一緒にペレトンをして大汗をかいた後二人で超密世界であるサウナに入ってベラベラおしゃべりを楽しんでいた。彼女は至る元気で、私たちはあんなに近くにいたけれども彼女の検査結果は陰性。

この友人はまだワクチン接種がすすんでいない時にコロナにかかってしまったけれども、その時もほぼ無症状だった。免疫力がかなり高いんやろーね。2年ぶりに南アフリカにクリスマスに帰れると喜んでいた彼女、残念な事に今年もその願いは断念する事に!

ほんまにこの冬はどうなっていくんだろう。これからクリスマスに向けてパーティーシーズンが始まろうとしているのに。多分イギリスの首相はパーティーOKでその後12月の末に問題が山積みされて1月にロックダウンと言うシナリオを用意している気がする。

今自分のコロナ感染よりも、次女がクリスマス前にちゃんとロンドンに戻ってこられて、またちゃんとリスボンに戻っていけるか、家族全員再会を目指す2月に夫がうまくロンドンに戻ってこられるかの方が心配。「あーもういつになったら脱コロナの世界が待っているんやろー」

と思いながら、急にできたこの時間、幸い症状が軽いのでゆっくり休んで読書でも楽しも。

韓国文化に惹かれて

時間がある時はついついNetflixで韓国ドラマを見てしまう韓国ドラマフアンの私。最近ではいろんな友人との間で韓国ドラマ、映画、Kポップの話題が上がり、世の韓国ドラマ人気をますます実感している。

韓国は国揚げて映画産業に力を入れてきたが、その努力が実りアジア圏での韓流ブームに始まり今や中近東、中南米、ヨーロッパでも韓国映画、ドラマ、音楽を知る人が多く、ここロンドンでも韓国文化は着実に存在感を高めている。

ついこの間もイラン人とベネズエラ人のママ友とお茶をしていた時、ベネズエラ人のRが「あーもう家に帰らないと、今夜はサッと夕食を作ってからゆっくり韓国ドラマを見る予定」と言い出すかと思えば、イラン人の友人Sは「娘が勧めるのでこれからSquid Gameを見る予定やよ~」

と言う。好きな韓国俳優のインスタを見ていると、likeをおしている友人の名前をよく目にしたりとこの現象がとても面白く感じる。

最近のロンドンでは日本人よりも韓国人の若者を目にするし、今年行ったグラスゴーやリスボン、週末行ったオックフォードでも韓国の食材屋さんや韓国バーベキューレストランを何軒か見つけた。ここ数年間は韓国人の留学生の方が日本人の留学生よりも断然多いはず!

私は学校でジャストダンスクラブを担当しているけれども最近では子供達からBlack pinkの曲をリクエストされたり、子供達がおやつに持ってくるのりは、日本の味付けのりと言うよりも塩控えめな韓国のり。

そお言えばキムチを食べる人、知っている人も増えてきている。最近行ったカフェでもサツマイモで作られたラップの中にひよこまめで作られたフラッフル、サラダにキムチが入っていていろんな人が食べていた。私はこの組み合わせでキムチとご対面してびっくり。

私がヨーロッパにきた80年代の終わり頃には東洋人と言えば日本人か、香港または台湾人しかいなかった。どこに行ってもみんなから「日本人?中国人?」ときかれ「あなたは韓国人ですか?」とは言われた事などなかった。でも最近では日本人かと聞かれる以前に「韓国人か中国人ですか?」と聞かれる方が多い。

とにかく最近私が見て感動した韓国ドラマはHometown Cha Cha Cha。ほのぼのとした恋愛ドラマといえるけれど、ドラマの中で交わされる会話に心動かされたり、メイン男優の人間像が好きで、大泣きするはとてもはまってしまった。

思えば私は14歳の時両親の別居に伴い韓国の人が多く住んでいるエリアに引越しし、10代後半まで韓国文化にどっぷり触れ合ってきた。私が接した韓国社会はとても暖かく、人々はとても情に厚く、そこでは隣近所が助け合い、友人の家に遊びにいくといつもご飯を食べさせてもらっりしていた。友人との間でも人情の厚い人がかっこいいとされていて、自分もそんな人間になりたいといつも思っていた。

Hometown Cha Cha Chaでは落ち込んだ主人公が「人は社会の中で生きていくもんだから外に出ていかないと生きていけない、だから出ていきなさい」とアドバイスを受けるシーンがあるが、私にとって韓国は人と人との距離が近い社会で、困っている人がいると近くで見守ると言うよりも、グングン近寄って助けるタイプの社会だったのを覚えている。

ソウルに一人旅をした長女も「すごく食べたい料理があったけれども、1人で食べるんじゃなくてお鍋のように他の人と分け合って食べる物だったので1人では注文できなかった」と言っていたが、まさにこれが韓国スタイル、ともに分け合う文化じゃないだろうか?

まああれやこれやいろいろ考察しながら、今宵も好きな韓国ドラマのワンシーンをちょっと見て寝るつもり。

異国生活

今回初めて海外生活を始めた次女を見ていて私は何度も自分が初めてスペインに住みはじめた頃の事を思い出した。

それは南スペインのマラガで、私はマラガ大学の外国人の為のスペイン語1年コースを受講し始めた。スペイン語はもちろん英語ですらあまり上手に話せていなかった当時の私は、2、3各語を上手に操る北ヨーロッパ人のクラスメイト達を目の前にして立ち往生。また1人になることを恐れていた私は必死に留学生の中に入り込もうと日々奮闘していた。

そんな中私は軽率にも「スペイン語よりもまずは英語を学ばなあかん」とマラガに住んで3ヶ月もたたないうちに英語学校に通うためにマラガを後にして英国のスコットランド、エジンバラに引越しをした。

言語の異なる世界に身をおくことがとてもしんどいことを私も身をもって知っている。

次女は2年間イギリスの大学でポルトガル語を学んできたので基本的な会話のやりとりは問題ないが、ポルトガル人の学生と肩を並べて学ぶ文学や美術史の授業では発言、聞き取りと授業についていくのが大変らしい。

イギリスの大学、特に彼女が在籍している大学には世界中から留学生がやってきて大学側の受け入れ体制が整っており、留学生へのサポートが多い。反対に娘が通うリスボンの大学には留学生はあまりいず、特別に留学生へのサポートシステムがない上に、これまたイギリスと違ってポルトガルの大学生のほとんどが地元の大学に親元から通うのが通常なので、高校時代からの友達同士で同じ大学に進学している同級生も多いらしい。

留学生の中にもポルトガル語は話せず、学ばず、英語で行われている授業だけを受講して単位を取り1学期間のみ留学するというほぼ文化体験コースだけを目的に来ている人も多いらしく、娘のように9ヶ月の在籍組は少ないらしい。

現在娘は大学が紹介してくれた学生向き1軒家の1室を借りて住んでいる。部屋数は全部で17もあるらしく台所と居間はみんなで共用、各階にあるトイレとバスルームは同じフロワーの人と共用使い。住み出した頃はドイツ人、フランス人、ベルギー人、スペイン人の男性8人と女性は娘ともう1人スペイン人女性だけで、家全体が男性色でいっぱいで、なかなか居間でゆったりする気にはなれなかったらしい。今週になってポルトガル人の女性が1人入居しだし、片付けをあまりしない男性群にはっきりと文句を言える頼もしい見方ができたと喜んでいた。

まあこんな中彼女なりに日々友達を作ろうと努力して暮らしているけれど、私と長女がいている間はせんがゆるんで何度か涙を流し、弱音をはいていた娘。

こちらは「絶対大丈夫やから!」と元気付けるしかない。

外国に住むって、行く前は夢でいっぱいだけれども1人で行く場合いろんなチャレンジを自分自身で乗り越えていかなければならないし、最初の1、2ヶ月は慣れるまで精神的にきつい事も多い。でもそれを超えた先には大きな物を必ず得られる。

あの街には必ず娘と心を通わせるようになるポルトガル人のお友達がいるはず。

先日もオーストラリアにいる夫が田舎街のパブで日本人と知り合いその後その日本人男性と息子さんを家に食事に招待した。

「あんな小さな村で日本人と、しかも大阪人と出会ってびっくりした」と夫は言ってたが出会いってそんなもん。

美しいリスボンの空を見て心から祈った。「リスボンよどうぞ娘に優しくしてください」と!!

リスボンの街並み

9月新学期の始まり

先週イギリスの多くの学校の新学期が始まった。今学年の私は一年生担当でこの1週間は新しい環境での仕事で緊張の連続だった。でも初めて学校に来る子供達や転校してきた子供達、その親の気持ちを考えたら私の緊張なんて問題にならないかな?

想像通り今年は香港からイギリスに移住してきた家族が多く、私が働く学校にも数人の香港人の子供達や今まで香港に住んでいたイギリス人の子供達が転校してきた。

なじんだ環境を出て、新しい世界に入っていく時には期待と不安が入り混じるのが当然。その子達が新しい学校生活に慣れるように私もできるだけ声をかけるように心がけている。

私のクラスにもつい最近ロンドンにやってきた中国人の子供が転入してきた。学校生活が初めてなうえ、英語がまだ話せないその子は初日、二日目はよかったけれども三日目の朝はとうとう泣き出してしまった。その泣き方がとても物悲しく「お母ーさん」と呼びながらしくしく泣き続けるので、そばで慰めている私や担任の先生もとてもつらい気持ちになってくる。

このクラスの他の子供達はみんな去年から友達、英語が話せないその転校生はなかなか他の子供達の間に混じって遊べていない。この子が新しい生活に慣れるまでどれぐらいかかるんだろう?

これを見ていて次女が一年生の時、クラスに英語が全く話せないスペイン人の子供が転入してきた事を思い出した。その子は初めの3カ月間は全く英語が話せなかったけれども、その後急に英語を話すようになり出した。でも言葉のコミニュケーションはできなかった時もその子は他の子供とは一緒に遊べていたのを思い出す。

でもこの時期を乗り越えた時に得れるものが大きいのは確か。1日も早くその中国人の子供が学校生活に慣れて、英語を学んでいく事を切に願う。

私の次女も来週の日曜日にポルトガルのリスボンにむけて旅立つ、9カ月間の留学だ。今残り1週間をきり娘の感情は期待と不安の間を行き来して、私の気持ちもまた喜びと淋しさの間を行ったりきたりしている。

あー新しい生活を迎える時は誰もが通る道か~

私も、この9月に大学生活で家元を離れる子を持つ親も空の巣症候群に陥らないように、変化を気持ちよくポジティブに受け入れるように生きていかないと。

新たな始まりの月、9月みんな頑張って!

ハーフの子を持つ 1

先日BBCニュースで自分とは外見がかなり異なる、ハーフの子を持つ親の悲しい体験談を読んだ。

ロンドン在住のある黒人の英国人女性と白人の英国人男性のカップルにとても可愛い赤ちゃんが生まれた。ここまではよくある事だけれども、その赤ちゃんはハーフだけれども肌の色がとても白くて一見してハーフには見えなかった。その女性が自分の赤ちゃんを抱いていたらいろんな人から「この赤ちゃんは誰の赤ちゃんなの」から始まって「肌の色が全然あなたと違うやん、親子って全然わからんねー」と心ない言葉を投げかけられた。

時には我が子のナニーと間違えられたり、見知らぬ黒人男性が「なんで白人の子供を産むねん」と言いがかりをつけてきたりする事もあったという。

「心ない言葉を投げかけられて気が滅入ってきた」というその女性の言葉に私も悲しくなってくる。

また別に三人の子供を持つスペイン人女性とナイジェリア男性のカップルの体験談があった。

彼らの三人の子供はそれぞれ肌の色が全然違うらしく、末っ子の娘さんが一番お父さんの肌の色に近い。ある日お母さんが末っ子をプレイグループに迎えに行って娘を抱きしめていると、見知らぬ子がやってきて「あなたはこの子のお母さん?」と聞いてくる。「そうよ」と彼女が答えると

「この子ってすごく黒いけどこんなに黒くてもこの子の事愛してるの?」と言ってきたらしい。「何が辛いって可愛い我が子がこの会話を聞かなければならなかった事です」とその母は言っていた。

これらは人種差別、偏見が根底にあり、本当に胸の痛む話だ。

どの人の祖先でもいつかどこかでは異人種のDNAが入っているはず、誰だったか覚えていないが日本人のコメディアンが遺伝子検査を受けたところ、御先祖様の中にアフリカ人やインド人がいる事が判明した話を聞いた事がある。世界中の人間がこれを再認識できたら異人種に対しての偏見は減るんだろうか?

ハーフであるうちの娘も親と外見が違う為に一度嫌な経験をした事がある。まだ12歳で中学生になったばかりの頃の事、いつものように時間のある日は夫が長女をバス停まで見送りにいった。その日は寒かったのでバスを待っている間長女は夫に抱きつき、夫は長女の背中をさすりながら暖をとっていた。我が家ではいつも手をつないだり、抱っこしたりするのが日常的であたり前の事だからこれになんの疑問も湧く事もなかったし、そんな親子の光景は世間に山とある。

でもそれを見ていた誰かが「中年の白人男性が若い子供と戯れあっている」と警察に通報した。外見が少し異なる二人はその通報者には親子には見えなかったんだろう。夫は小児性愛者として疑われたのだ。

警察がやって来て長女を夫から引き離して横に連れて行き「この男性は誰か」と質問した時は夫と長女は怒りよりも恐怖でいっぱいだった。誤解はすぐに解けて警察は謝って来たが、「誰かが通報したら警察は必ず動かないといけないので仕方ない事、娘さんが動揺しているのならカウンセラーを紹介しますよ」と言って去っていった。

その後夫はオフィスに着いてこの事を同僚に話すと、ジャマイカ人の夫との間にテーンエイジャーの息子がいるイギリス人の女性が「私も息子と一緒にいる時、親子と思われない事はしょっちゅうあるし、息子は時々警察に呼び止められるわよ。自分の自転車にのっている時、少々高価な自転車なのでこれは誰の自転車かと警察が聞いてくるらしいよ。はじめはやるせなかったけれども今はもうまたかと慣れてきたわ」と自身の体験談を話してくれたという。

人種の坩堝であるロンドンはハーフの子や親にとってはすごく住みやすみ街だ。私が出会った若者の半分以上はハーフだし、どの子も自分の生い立ちをすごく誇りに思っている。

それでも同じハーフの子を持つ親としてこんなニュースを読むと本当に心が痛む。でもわかっている、大切なことはなんであれ常に愛を持って世の中と向き合っていかなければならないことを。

東京オリンピックを見ながら思う事

東京オリンピックが始まって1週間がたった。ここにきて日々日本人アスリートの大活躍に目を見張っている毎日で、メダルの一覧表を見ていて日本が第一位になった時は大喜び!

その中でもスケートボードの堀米雄斗と西矢椛、体操体操男子総合の橋本大輝のパフォーマンスには大感激。みんなが自分の子供の世代だからか、その辿ってきた道のりが想像できるだけに感激もひとしおだった。特に西矢椛ちゃんはまだ13歳という若さ、この10年間私がボーッと生きていた間に彼女は大好きな事をして夢を見つけて、夢実現にむけてひたすらに頑張ってきていた。試合後彼女は「ご褒美には焼肉が食べたい」と言っているところもとても自然体でいい感じ。

当たり前だけれどもアスリート達はオリンピック選手になるまでに長く厳しい練習人生を通ってきている。私は子を持つ親としてそこにアスリートを支えた周りの人間、特に親のサポートは軒並みならぬものだったことを、同じようにスポーツや音楽をしている子を全力でサポートしている友人達を近くに見てきて痛感している。

昨日も娘がフェンシングをしている友達とお茶をしていてその話になった。友人Sの次女はある時はアメリカのジュニアフェンシン界でランクング第17位まで上りつめたけれども、その後右肩を骨折してしまって練習ができなくなりその年はオリンピックの夢が遠のいてしまった。

今やっと練習が再開できるようになってひたすら練習を重ねているけれども、ランクを上げていくには試合をし続けていかなければならず、その為国外であろうと友人が彼女の娘をいろんなところに連れて行って試合に参加している。

まさに親子、二人三脚で頑張ってきている状態。

だからか今回のオリンピックではアスリートの親の事をよく考える。柔道の阿部一二三と阿部詩の兄妹が同じ日に金メダル獲得した時の彼らのご両親、ご家族の感激と言ったら最高のものだったに違いない!ほんまにすごい!

オリンピックを見ていて長女に「あーなんでもっとスポーツに力入れてくれへんだん」と言われてしまった。運動神経がいい長女はどんなスポーツもそこそこのレベルでプレーでき、学校の代表選手としていろんな試合に出てきたので、もしかしたらと思わせる可能性は少しはあったかも!? 夫も長女に「あーテニスをやらせてたらよかったね」と思ったことは何度かある。

まあ今になってはすべて後の祭りだけれどもね。

そお言えば私の弟も若い頃「自分は結構ラグビーができたから、もし親のサポートがあってあのまま続けていたらプロになれてたかも」って言ってたことがあったけ! 

今オリンピックを見ながらこんな思いを持ってる人は結構いるんやろーね。

とにかく今しばらく続くオリンピック、アスリートの快挙を見るのが楽しみだ。

と言っても今までのオリンピックはロンドン大会を除いてはいつも夏休み中、日本にいてテレビ観戦をしてきたので日本人選手を中心に見てきた。でも今年はロンドンでテレビ観戦しているので見れるのもイギリス選手が参加している競技が中心、と言うかそれしか見れない状態。

その上オリンピックを放送するBBCは今回の東京大会ではいろんな競技の放送権が取れなかったので、イギリスでは見たくても見れない競技がたくさんある。

あっ今イギリス選手の金メダルのニュースが入ってきた! 女子自転車BMX レースでイギリス人のBethany Shrieverが金メダルをとった。

この人はリオオリンピック後にサポート資金が止まり、この5年間はクラウドファウンディングと学校勤務で練習資金を作ってきた。「ここにこれただけでも偉業なのに、メダル獲得、それも金メダルなんて最高」と言っている彼女が眩しく見える。ほんまにそうや!

これだからオリンピックはすごい、見ている側までパワーをもらえる。ここしばらくはアスリートの奮闘に心熱くしながら観る日が続きそうや!