フランスプチ旅行

大好きなフランス人の友人Sがフランスの田舎におうちを買い、この夏ご招待を受けたので、次女と一緒にS宅に遊びに行かせてもらってきた。

Sは子供達の幼稚園で知り合ったママ友。彼女は今オックスフォードに住んでいるのでお互い普段は中々会えず、だから私達は数ヶ月ぶりの、次女とSの次男は9年ぶりの再会を喜んだ。

Sは離婚してからアートセラピーの勉強をして、今はセラピストとして大活躍。油絵の腕前もすごく、なんでも器用に作れるクリエイティブなSは、お料理の腕もすごい!全てにおいて目がとても肥えていて、彼女と過ごす時間は私にいつも刺激を与えてくれる。

Sと彼女のボーイフレンドが買ったこのおうちは広大な敷地の中にあり、Sが住む2階建てのお家の他、お客さん用の別棟、プール、機材などを入れておく小屋がある。古い家だから、これから色々と手をかけていかなければならないけれども、そこは器用でお洒落なSだから、素敵に仕上がていくのが今から想像できる。

いや、今でも十分、映画のシーンに出てきそうな家で、私達親子はそこにいれて感動でいっぱいだった。

ちなみにSの息子Aもとても器用で、彼はタイルの張り替えをしたり、テーブルも作ったりするからすごい!

フランスの地方に行くと、日本の空き家と同じように手はかけないといけないけれども、古いお家がお手頃価格で売られている。EU離脱前はフランス好きなイギリス人が、老後はフランスでゆったりと暮らす為にと、フランスに家を買う人も多かった。実際Sが住んでるボルドーとトゥールーズの間辺りはマーケットなんかでイギリス人をよく見かけたりする。

EU離脱後の今、そんなはかない夢が持てないのが本当に残念!

フランス滞在の1番の楽しみはなんと言ってもマーケットに行って、いろんな食材を見て、地元料理をいただく事。

特に今回は料理上手なSがお料理を作ってくれたので、食事時間は最大の楽しみ!それに他の人が作るお料理からは何かしら新しい学びがあるのが嬉しい。

ある日の夕食は鴨肉とフライドポテト、鴨肉を焼いた油をフライドポテトに回しかけて風味をつける、これがめちゃくちゃ美味しい。

朝はバゲットをオーブンでずっと温めてくれいて、それにバターと手作りのマーマレード、アプリコット、チェリージャムでいただく。

ランチはお肉屋さんにローカル産のソーセージやフォワグラ、パテを買いに行ってサラダとバゲットでいただく、あ~なんともフランス的な食事風景!

同じ時期に滞在していたSの友人Gは、Sのお庭にたわわに実っていたイチジクを黒胡椒とハニーと一緒にローストにしてくれて、それを黒ゴマのアイスクリームと一緒に出してくれた。

この組み合わせは最高だった!

有難いことに毎回新鮮な素材をいただき、レストランで食事をするだけでは得られない喜びを感じさせてもらった。

パリオリンピックの選手村で出された料理は最悪だったなんて記事を読んだ事があるけれども、食の種類が豊富なフランスに来ていてそれは本当に残念で気の毒!

フランスのスーパーマーケットに行くとその食の種類の多さ、特に各土地の名産品が多く売られていて、この国の人々の食へのこだわりを充分に感じる事ができ、フランスはやっぱり食大国と痛感する。

私達の滞在最終日、Sと息子のAもフランス東部にいる彼女のお母さんの別荘宅に向けて出発した。その時Aは知り合いの庭でとれたバケツ一杯のヘーゼルナッツを抱えていて「それどおすんの?」聞くと「おばあちゃんの家でヌテラ(ヘーゼルナッツのペーストをベースにしたチョコレート風味のスプレッド)作るねん」と言う。

あ~いい感じ, S, A Merci beaucoup!

初めてのキャンプ

59歳にして、初めてキャンプに行ってきた。

まあキャンプといっても、長女がテントと2人分の寝袋を担いでくれた上、キャンプ場で料理を作ってもらうキャンプなので、本格的なキャンプではなかったけれども、虫が嫌いとか言って、今までキャンプには興味がなかった私にとっては全て新しくて、ワクワク楽しい経験だった。

今回行ったキャンプはWood fireと言うGastro Campingで、イギリス南部にあるSouth Downs国立公園にあるキャンプ場。美味しい料理を提供してくれる事が有名で、ここにきた事がある友人に紹介してもらった。

ロンドン、ヴィクトリア駅10時発の電車に乗り、約1時間でルイス駅に着く。野花が咲き乱れる緑の丘を歩き続け、途中とても可愛い村を通って、Cream Tea(スコーンと紅茶)の休憩をして17時ごろキャンプ場に着いた。

ちなみにこのルイスと言う街の近くでは、毎年グラインドボーン音楽祭というオペラ音楽祭が開かれる。かなり富裕層の人々が住んでいる街だけあって、ハイストリートにもアンティクを扱うお店やお洒落なレストランやカフェが目に付き、豊さが感じられる。

キャンプ場に着いて、長女がさっそくテントをたててくれた。夕食までの間2人とも読書をしながらゆったり過ごし、19時過ぎに夕食。日中すごく暑かったにもかかわらず、日がくれると急に長袖が必要になるところが山の中にいることを実感する。

このガストロキャンピングでは自炊している人達もいたけれども、料理の評判がいいので、ほとんどの人がそこで作られた物を食べていた。料理を待っている間におつまみとして出されたポップコーン、いつも食べているバター味ではなくて、オリーブ油とローズメリーで味付けされていて、これも私にとっては初体験だった。

この日のメニューはモロッコ料理のラムのミートボールとハリッサ、赤キャベツのコールスローとヨーグルト、ハンドメードのフォカチャブレッドにデザートはチョコレートブラウニーとクリーム。料理に使われる材料は唐辛子以外は全て地元の農家が作ったもので、野外でいただく為か、目の前にある遠くの山を見ながらいただく料理は最高に美味しかった。

日が暮れると焚火をする人がちらほら。でも私達は日中はとても暑かったこの日、焚火をする事は頭に浮かばなかった!

焚火どころか、車でなく歩いてきた私達は重い荷物を持つのが嫌で、水以外の飲み物を持っていく事すら頭に浮かばなかった。

ちなみにここのキャンプ場ではテント、寝袋を貸してくれるサービスもあり、キャンプ用具を持っていなくても気軽に来れるので、キャンプ初心者には最適だ!

疲れていた私達は23時前には寝袋の中に入っていたけれど、夜中に目が覚めてテントの外に出ると、それはそれは美しい満点の星が輝いていた。そんな光景を見る事ができるのが都会を離れて自然の中に入れる醍醐味やね!

翌朝も快晴で、当たりはすがすがしい空気に満ち溢れていた。

朝食には炭火で焼かれたベーコンとフライドエッグをいただき、私達は気力満々でャンプ場を出発。

この日はキャンブ場からシーフォードという海沿いの街まで歩いた。前日もそうだったけれども、山を歩いている間はほとんど人を見かけない、見るのは羊と牛ばかり!

たまに人とすれ違うとお互いに挨拶をしたり、ちょっと質問をしたりする。

これも山歩きの良いところやね!

そして前方はるか彼方に海が見えた時は、大感動、心身ともに気分が高揚した!

この日は夏日和で、合計18キロのウオーキングはきつい時もあったけれど、湿気がなく、日陰があると気持ちよく休める英国の気候なのでウオーキングも気分良くできた。

英国全土にウオーキング用のPublic Pathが設けられてるこの国に住んでいるからこそ、キャンプがより楽しくなりそうだ!

59歳にしてキャンプデビューをした私だけれども、これはやみつきになるかも!

 

 

ブカレストを見て

仲良しのルーマニア人姉妹から招待を受けて、娘達と3人でルーマニアの首都ブカレストに5日ほど行ってきた。

友人に出会う前までは、ルーマニアと言えば、私がロンドンに住みだした1989年に独裁者ニコライ・チャウシェスクが殺され、共産独裁政権が倒れていくルーマニア革命をテレビに釘付けになって見ていた事と、幼い頃に見たオリンピック金メダリスト、体操のナディア・コマネチ選手の事しか知らなかった私。

少し高級住宅で見られる光景

ブカレストは東欧の小パリと呼ばれていた事もあるだけあって、パリをどことなく思い出させる景観もあり、ちょっと街の中心地を離れると緑が多い。

実際ブカレスト中心部には19世紀後半から20世期初頭に、パリを模倣するような優美で素晴らしい建築物が建てられ今でも所々にそれらを見る事ができる。

それに反してチャウシェスクが行った、歴史的建造物を破壊して作った高層住宅も街には多く、ブカレストが通ってきた道のりを思い起こさせる。

ルーマニアがあるこの土地は昔からいろんな民族が通り過ぎていき、ルーマニアは他民族の支配下にあって長い間独自の国家が樹立できなかった。

ローマ時代のギリシャ人、スラブ人、トルコ人がやってきて、パプスブルク帝国の影響下にも置かれ、ロシア人もやってきた。

こんなにいろんな民族がやってきたルーマニアだけあって、ルーマニア料理もトルコ、ハンガリー、オーストリア料理の影響を受けている。

とにかく今回は短い滞在期間だったので、毎日郷土料理を食べることにした。

伝統料理と言えばサルマーレ。私達が友人Dのおうちに着いたらすぐにサレマーレで出迎えてくれた。発酵されたキャベツまたは葡萄の葉に豚肉と牛肉の合い挽き、お米をを詰めたロールキャベツ。トマトピューレで薄めたスープで煮込まれ、食べる時にはサワークリームをかけ、チリをかじりながらいただくサルマーレは本当に美味しい。

次にルーマニアならではと言われるのがママリガ、これはとうもろこし、牛乳とバターを混ぜたポーレンタのような料理で、付け合わせ以外にも卵焼きとチーズをかけていただく立派な一品にもなっている。

ルーマニアの挽肉料理ミティテイ(豚肉と羊肉が多い)は、大型市場オボー(Obor)で、ブカレスト1と言われている屋台のお店に食べに連れて行ってもらっていただいた。平日の午後にもかかわらず長蛇の列ができていて、40分近く待った後、ミティテイ4本がパン、マスタード付きでやってきた。炭火で焼かれたミティテイの香ばしさ、脂ののり具合といい最高、その上お値段が日本円で150円ほどで、満足度は100%だった。

ルーマニアのスープはトルコ語と同様、チョルバと呼ばれ、小麦粒の外皮や胚芽の表面の部分である小麦のふすまを発酵させて作るボルシュと言う調味料を入れて、酸味をつけるのが特徴的!

私が食べたのはチョルバ・デ・ブルタは 牛肉の内臓入りスープで、サワークリームが入ってなんとなく豚骨スープを連想させる味だった。

 

ブカレストを歩いていると、時々歩道の真ん中がまだ舗装されずに土がもられただけだったり、道がデコボコしていたり、まだインフラストラクチャーがしっかりされてないと思わせる場面に出くわす事もある。そうかと思えば、お洒落なカフェにこれまたお洒落な若者がいてヨーロッパのどこにでもある光景が広がる。

ブルガリアと並んで、EU内で一番貧しい国と言われていれ、厳しい時代を乗り越えてきたルーマニア。でも今20代の若者はもう共産主義時代の生活を知らないし、EU圏のイタリアやスペインに移住した若者も多いと聞く。今回空港まで迎えにきてくれた友人の知り合いのドライバーは、日中郵便局のデリバリーをして、小銭稼ぎであいた時間に空港までの送迎ドライバーもやっているという。

まだまだ経済的に余裕のない人が多いのも事実。

ほんのちょっと垣間見たブカレストだけれども、これからの益々の発展にエールを贈りたい気持ちでいっぱいになった。Multumescムルツメスク、ブカレスト!

ドゥブロブニック

クロアチアのドゥブロブニックに小旅行に行ってきた。

海とビーチを目的にした今回の旅、町の至るところから、コバルトブルーのアドリア海が顔を出し、ビーチが点在しているドゥブロブニックは、それを楽しむにはぴったりの町だった。

世界遺産に登録されている、中世の城壁都市である旧市街は、アドリア海の真珠とも言われているだけあって、美しい街並みを誇り、ドゥブロブニックは今や地中海でも有数の人気の観光地になっている。

ドゥブロブニックにはビーチがたくさんあり、私たちもいろんなビーチに行って海を楽しんだ。

穏やかな地中海では、子供からお年寄りまで、いろんな人が海水浴を楽しんでいる。

午後に1人でビーチに来て泳いでる人、おばあちゃん達がまるでお風呂にでもつかっているように、海の中でお友達とおしゃべりしていたり、子供がはしゃいで遊んでたり、カップルが仲良く泳いでいたりと、どの人も海を満喫している。

この街の印象は、さすがに観光都市だけあって、サービス業界で働く人々は、みんな上手に英語を話す事。特にウエイター、ウエイトレスはどこに行っても気持ちがいいぐらいフレンドリー。おそらくクロアチア語を話せる外国人が少ないこともあって、外国語習得は必須なんだろうけれども、いつもいつもこちらは英語で話しかけてばかりで、なんか申し訳なかった。

ビーチにいれば、英語、スペイン語、イタリア語、フランス語、ポルトガル語、ドイツ語と様々な言語が飛び交う。もちろんスラブ系の言葉を話している人もいたけれども、誰がクロアチア人かモンテネグロ人かは私達には全くわからない。

どこを歩いてもアメリカ人、オーストラリア人がいるし、韓国人ツーリストも多かった。まあ英語が世界をつないでくれるので、英語でのコミニュケーションは必須やね!でもせめて挨拶の言葉はもっとクロアチア語を使うべきやったなーと少し悔やんだりする。

ただ事前に聞いてたものの、あまりの物価の高さに驚いた。ベルギーに行った時も物価の高さに驚いたけれども、ドゥブロブニックはそれ以上だ。

ビーチで小さなペットボトルの水を買ったら5ユーロ(約780円)払うはめになったし、アイスコーヒーは、ほぼどこに行っても1杯7から8ユーロ(約1100円から1250円)した。

海の横の見晴らしのいいカフェで、スプライト3つを注文したら、17ユーロ(約2650円)も払った。まあすべては場所代と思って、納得しないとね!

でもこれだけ物価高なら、一体クロアチア人の平均給料はいくらなんやろ? イギリス人の平均給料より高いんだろうか? よくよく観察していたら、ちょっと評判のいいレストランではクロアチア人らしき人はいなかった。カフェ以外はいつも外国人ばかりだったような気がする。

聞くところによると、首都のザグレブの物価はドゥブロブニックほど高くはないらしい、だからドゥブロブニックは観光地の料金やねんね!

もう一つ、事前に聞いていたのは、食べ物がいまいちパッとしないとう事。レストランのメニューは、どこでもあるような平均的なイタリア料理とバーガーのお店が多かった。海辺の街だから、シーフードが美味しいと言われているものの、大きなスーパーに行っても魚介類は売っていないし、地元民はどこで魚を買うんだろうか? 朝市に行ったものの、10時半を回っていたので、魚屋さんは見当たらなかった。

クロアチアの歴史は、古代ローマ、ギリシャ時代からほんの最近まで、ヴェネチア共和国、オスマン帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、フランスといつも他国の影響、支配下にあったので、食文化も他国の影響を受けている。特にドゥブロブニックはイタリアとトルコ、ギリシャ料理の影響はを受けているかな? 街にはピッザテリアが多いし、パン屋さんに行くと、トルコやギリシャで人気のパイ生地で包まれたポテトやほうれん草、チーズのボーレッキが売られている。

それでも、なんやかんや言いながらドゥブロブニックの名物料理とされているイカ墨リゾットと、チェヴァブチッチと呼ばれるソーセージも食べる事ができたので、私は大満足。

イカ墨リゾット
チェヴァブチッチ

何よりも、美しい旧市街、フレンドリーな人々、碧海の海、潮風に包まれ、幸せな時間を過ごす事ができて、本当に有難い。Hvala (フヴァラ)Croatia!

 

パリ、プチ旅行

新年明けましておめでとうございます。

あっという間に新年がやってきたと思う人は多いはず。今日もさっき起きたと思うと、もう夕方が近く感じ、また明日から仕事。これが人生のリズムなんやろね。

とにかくあっという間にクリスマスも終えて、その後我が家は久しぶりにパリに行った。

ロンドンから電車で2時間16分で行けるパリなのに、行くのは9年ぶり。3ヶ月以上先のチケットなら片道40ポンド(約6300円)のチケットもあるから、事前にちゃんと予定を組めばかなり気軽に行けるはず。

久しぶりのパリは相変わらず美しかった。ディスプレイがお洒落なお店、見せ方が上手だなと思わせるお店がとても多いのもパリ。

また以前よりアジア諸国のレストランが増えている気がした。ラーメン屋さんも何軒かあり、博多豚骨ラーメンなんて書いてあるのを見ると、とても美味しそうに見える。

でもここでも物価の高騰を実感!私達家族がパリに来た時必ず行ってたレストランLa Coupole、以前なら1人あたり25ユーロ(約3500円)払えば、フルコースをいただけたはずだけれども、今はメイン料理だけで30ユーロ前後はしたし、全てはかつての倍の値段のよう。同じレベルのお店なら、ロンドンのレストランやカフェの方が安い気がする。

パリで食事をするにはRestaurant、Bistro、Brasserie、Cafeなど色々あるが、今回はここ最近のパリで再ブームと言われているBuillionに2度足を運んだ。

Bouillonとは19世紀後半あたりにできた、労働者が食事をする為の大衆食堂で、お値段が定価格設定で内装が素敵と言う有難いお店。

Bouillonでは予約は取れないので、食事時はどのBouillonの前にも行列ができ、私達が行ったLe Petit Bouillon Pharamondでも座れるまで45分は外で待つ事になった。

でも待つかいあり、1832年創業、作家のヘミングウェイ、オスカーワイルドも通っていた、当時のままの、古き良き時代ベルエポックの雰囲気が漂う店内で、リーズナブルな価格で伝統フランス料理を食べられるので、待ち時間があっても納得。

後からわかったことはBouillionは2017年あたりからまた人気に火がつき始めたらしい。

私が食べた蟹のスープ、ビーフのタルタルステーキも美味しかったけれども、夫のたのんだブルゴーニュ風エスカルゴー、鯛とかぼちゃのローストと白ワインバターソースは本当に美味しかった。

ここのメニューにはフランス料理の定番のファグラ、牛肉の赤ワイン煮込みから、2ユーロで食べれる前菜、茹で卵のマヨネーズサラダや1879年から続く看板メニューの牛肉の胃腸のシードル煮込みなんてのもあり、フランス料理を楽しむにはぴったりの料理が多い。

歩いていたら、今度は日本人がやっているパン屋さんCarré Pai De Mieを見つけた。北海道産の小麦を使った、もちもちでしっとりとした高級パン9ユーロ(1斤1300円)が売っている。見ていたら次々とフランス人が列をなして買っていく。パリに来て日本の食パンっていうのもおかしいけれども、やっぱり食べたくなりお土産に買って帰った。

食べて、飲んで、綺麗な物を見てのパリプチ旅行。だたこれを続けると健康にはよくないのも確か、また元旦から健康的な食生活に戻ったらいいか、と考えながら新年が明け我が家がすぐに向かったのは日本食レストラン、久しぶりのフランス料理も良かったけれども、私の心も胃も欲しているのも白ご飯とお刺身だった。

2023年も世界中の人が、美味しいものに恵まれて、笑える日々が多いことを願って!

パリで見つけた高級食パン

ポートワイン

先月は家族でポルトガル北部を旅行した。

この旅行のハイライトのひとつがポートのワイナリーに行って、いろんなポートの飲み比べをした事。

ポートと言えば今まではクリスマス時期にいただく、芳醇なレッドポートしか知らなかったけれども、ある日夫がスーパーでキャンペーン中のホワイトポートを買ってきて以来、我が家ではホワイトポートとトニックウオーターをよく飲むようになった。

私的にはジンアンドトニック、アペレルとプロセッコで作るアペレルスプラッツよりもホワイトポートとトニックの方が喉あたりがいい気がする。特に夏の夕方にいただくのが最高!

本家ポルトガルでは一般に赤のポートは食後酒として、白は食前酒として飲まれるのが一般的らしい。

まだ糖分が残っている発酵途中に、アルコール度数77度のブランデーを加えて発酵を止め、その後樽の中で最低3年間熟成されるのがポート。これによって独特の甘みとコクが生まれる。

ポートが造られるのはポルトガル北部、ドウロ川上流のポートの法定区域。そこで栽培された葡萄を原料とした、酒精強化ワインのみにポートワインの商標が認められているらしい。

先週ワインを扱っている会社で働いている人と話をする機会があって、その人にいろいろポートの事を教わった。その人が言うところ、ポートのような酒精強化ワインの多くは複数の年のワインを混ぜる事が多く、そんなポートには収穫年表示がされないが、単一の葡萄で造られるポートはヴィンテージとして収穫年が表示されるそう、そしてヴィンテージポートの美味しさは格別だとか!

面白いことにポートワインの歴史にはイングランドが関係する。ポートのメーカーにはTaylor, Graham, Sandeman, Cockburn, Dow, Offleyなどの英語名がとても多い。実際これらのポートはポルトガルに渡ったイギリス人によって造られた。

Taylorの創立者は1692年にポルトガルに渡ったイングランド人、Grahamの創立者もポルトガルで商取引をしていたイングランド人の兄弟で、1820年にGrahamを創立した。

ポルトガルとイングランドの関係は深く、1386年には当時のポルトガル王国とイングランド王国はウインザー条約という同盟関係を結び、両国は軍事的、政治的、商業的に親密な関係にあり、これ以来2カ国間の交流はずっと続いた。

そしてイギリスとフランスが戦争中、フランス産のワインが手に入らなくなったイングランドのワイン商人はこれに代用するワインとしてポートワインを選ぶ。

ポートの飲み比べ

1703年にはポルトガルとイングランドの商人は新たに特別な権利と優遇された関税を認められ、これによって大量のポートがイギリスに輸出されたらしい。

ポルトの街ではポートワインの試飲ができる店が多く、他の旅行者と同様私たち家族もポートの飲み比べを楽しんだ。アルコールに弱い私だけれども、ポートなら飲めるから不思議。

そお言えば昔、日本でも赤玉ポートワインが流行った時があった。当時赤玉ポートワインには全然興味がなかったけれども、サントリーかどこかの人気商品だった記憶はある。

日本でもホワイトポートは知る人は知る飲み物なんだろうか?必ずいつかは人気商品になる気がする、いや期待してる!

ドウロ川を目の前にしていただくポート

ポルトガルのお菓子

先週はイギリスの学校では学期の中間、ハーフタームだったので、私は冬休み中の娘に逢いにまたリスボンに行ってきた。

ちょうどポルトガル政府もイギリス政府もワクチン接種者には渡航前や帰国後のPCR検査義務を取り除いたので、今回の旅はとても気持ちが楽。飛行時間も通常2時間半はかかるところが風向きのおかげで2時間10分ですみ、飛行機が着陸してから20分後にはもう娘に会えていて、改めてヨーロッパ間の飛行機の移動は早くて感激した!

噂によるとリスボンはヨーロッパの街の中でも、晴の日が一番多いらしく、私が行った時も空は真っ青で、白いモザイクの石畳に陽光が反射して街全体が輝いていて、それだけで旅行気分に拍車がかかってくる。

この街に来るといつも食べたくなるものがある。イワシ、スズキ、タラなどのいろんな魚のグリル、スパイスのきいたチキンの炭火焼ピリピリチキン、煮込んだ豚肉のサンドウイッチ。でもそれ以上になんと言って目にするとついつい買って食べてしまう伝統菓子が一番の魅力のような気がする。

リスボンで見かける伝統菓子は、フランスあたりで見かけるような小綺麗なお菓子ではなく、卵をたっぷりと使った、見た目も家庭的で、なんか心がホクホクしてくるような、昔から味も形も変わっていないであろう懐かしさを伴う焼き菓子が多い。

日本人でポルトガル菓子を研究されてきた智子ドゥアルデさんの著書「ポルトガルのお菓子工房」によると、最近のリスボンのお菓子屋では本物の伝統菓子は売られておらず、少し地方に行かないと昔ながらの伝統菓子は食べることができないと書かれていたけれども、何もわかっていない素人の私にはリスボンで見かけるお菓子でも魅力は充分!

でも今回はもう何年も続いている、伝統菓子をいただく機会に恵まれた。

リスボンから電車で1時間ほど北にいくと緑に囲まれ、宮殿や城跡も残りユネスコの世界遺産に登録されているシントラという街につく。そしてこの街は伝統菓子トラヴセイロとケイジャータが生まれた街で、この街にきた旅行者はみんなこれを食べにくると聞く。

私たちは早速Casa Piriquitaというお店でトラヴセイロをいただいた。パイ生地にアーモンド入りの卵黄クリームを巻き込んだお菓子、トラヴセイロはポルトガル語で枕という意味を持ち、このお菓子も枕と同じ形をしている。パイの上にも砂糖がふりかけられていて、かなり甘めの印象を受けるけれども食べてみるとしつこい甘さではない。

次にケイジャータという、外側はパリパリとした薄い皮で、中は甘さ控えめなフレッシュチーズを入れて焼いたお菓子。

今回は1756年から続いているQueijadas Da Sapaというお店でケイジャータをいただいた。味的には控えめな味、シナモンの香りが微かにし、確かに歴史的なものを感じさせてくれる味!

やっぱり老舗のお店でいただく事自体、嬉しい気分になる。味がどうであれ、土地の人々がずーっと食べてきた物を旅行者も経験できる事自体に喜びを感じさせられる。ちょうど伊勢に行って赤福餅をいただくのと同じかな?

日本のカステラの原型であるパン・デ・ローを食べた時はやっぱり感動。このパン・デ・ローには生焼けのものとしっくり焼かれたものとあるらしいが、私が今回いただいたリスボンにあるCasa Brasileitraのものは完全に火が通っていた。でも確かにカステラを思い起こさせるしっとり感がある。

卵と砂糖、そして小麦粉といったとてもシンプルな焼き菓子、これを最初に口にした日本人はこの味をどう思ったんだろう。戦国時代の日本に行ったポルトガル人はこれを持っていたんだろうか?

そして以前も書いたけれどもポルトガル菓子で一番有名なのはパステイシェ・デ・ナタ。

最近のロンドンではいろんなお店で売られていて、専門店もできている。日本でもエッグタルトとして売られていたのをみた事がある。

智子ドゥアルデさんがおっしゃるように、ポルトガルには甘いけれども和菓子をほうふつさせるお菓子がある。ここにきてもっとポルトガルのお菓子を知りたくなってきた。焼き菓子王国ポルトガルのいろんなお菓子が今後もっと世界デビューをしていくのもそんな遠い先ではないような気がする。

トラヴセイロ
パン・デロー、カステラの原型
トラヴセイロが売られているお店
1756年から続くお店

リスボン価格

リスボンからロンドンに戻って何よりも一番先に気がいくのは、なんでこうもロンドンで飲食をするのは高くつくかって事。各国の経済力の差や物価高の違いではあるのは確かだけれどもロンドンにも、もう少し価格低めで美味しいものを提供してくれるお店が増えてくれたらいいのにと強く願う。

ロンドンには個人または家族経営のお店が少ないような気がする。素敵なカフェやレストランは多いけれども、実はカフェAとカフェBの経営者は同じなんて事はよくある事実。

家賃や物価が高いロンドンでは個人経営のお店が成功するのが困難なのか?

昨日も軽くオレンジジュースとコーヒーを飲んで7ポンド88ペンス払った。日本円にして約1200円ぐらい。ついついリスボンのカフェと比較してしまう。うーんリスボンではコーヒーとハムとチーズのホットミックスサンドを食べても1人で5ユーロ(約600円)も払わない。その上どこで食べてもお母さんが作るような温かな味がするし、日本でモーニングサービスを食べているような感じする。ロンドンで同じものを食べたらおそらくその倍以上は払うことになる。

ポルトガルにはほどよく味付けされた煮豚をパンにはさみ、そこにマスタードとチリオイルをかけていただくビッファーナというストリートフードがある。めちゃくちゃ美味しくて2ユーロ50セントぐらい(約330円ぐらい)で食べれる最高のストリートフードだ。どの国にもこのようなストリートフードが存在するけれども、イギリスではストリートフードがあっても値段がすごく高いのが事実。

ビィファーナ

そしてリスボンでは日本にもあるような路地裏でこじんまりとした食堂を見かけることが多い。ポークチョップとフライドポテト、サラダや時にはライスもついて7ユーロ(約920円ぐらい)6ユーロのお店もあった。この値段でこの味はすごいというお客さんを喜ばしてくれるお店が多いんじゃないかな?特にお昼時間にビジネスマンが溢れているお店の光景は大阪のビジネス街本町、船場あたりとすごくよく似ている。

ロンドンにはこの光景があまりない。リスボンで見かけるようなおじいちゃんとおばあちゃんが2人でやっているお店ってロンドンにあるんかな? ロンドンを離れて田舎にでも行かないとそんな風なお店には出会わない気がする。

確かにロンドンでも中心地を離れていくと家賃も低くなっていくからそれとともに値段設定が低めのカバブ店や、庶民エリアに行けば必ずあるフィッシュアンドチップス店を頻繁に目にするが、最近ではほのぼのとした家族経営の個人店ってなかなか目にしない気がする。

まあ値段設定はお店の場所や規模、各お店がターゲットにしている客層といろんな要素を考慮して決められているとわかっているけどね。

そんなこんなと思っていると昨夜イーストロンドンで遊んでた長女が「お腹すいたから深夜に例のベーグルショップに行ってスモークサーモンとクリームチーズのベーグル食べてきてん、4ポンド20やで~、友人のWはヌテラのベーグルで1ポンド20やったわ!」と言っていた。

そう、そうあったあった1件東ロンドンで24時間営業している、イスラエル人の家族経営のお店ブリックレーンベーグルベイク店が、ソルトビーフのベーグルが有名だけれども、ベーグルのみならひとつ30ペンスで買えるお店。なによりもレトロな雰囲気のお店がいい感じ。

ロンドンにもストリートフードは増えてきているが、あーもーちょっと安く提供して欲しい。

これって私が大阪人やから特にそう思うのかな? ここで安くて美味しいものをだすお店やってみようかな~なんて考える事もある。しばらくいろいろと調べてみよう。

このお店ではお肉も魚もお手頃価格

異国生活

今回初めて海外生活を始めた次女を見ていて私は何度も自分が初めてスペインに住みはじめた頃の事を思い出した。

それは南スペインのマラガで、私はマラガ大学の外国人の為のスペイン語1年コースを受講し始めた。スペイン語はもちろん英語ですらあまり上手に話せていなかった当時の私は、2、3各語を上手に操る北ヨーロッパ人のクラスメイト達を目の前にして立ち往生。また1人になることを恐れていた私は必死に留学生の中に入り込もうと日々奮闘していた。

そんな中私は軽率にも「スペイン語よりもまずは英語を学ばなあかん」とマラガに住んで3ヶ月もたたないうちに英語学校に通うためにマラガを後にして英国のスコットランド、エジンバラに引越しをした。

言語の異なる世界に身をおくことがとてもしんどいことを私も身をもって知っている。

次女は2年間イギリスの大学でポルトガル語を学んできたので基本的な会話のやりとりは問題ないが、ポルトガル人の学生と肩を並べて学ぶ文学や美術史の授業では発言、聞き取りと授業についていくのが大変らしい。

イギリスの大学、特に彼女が在籍している大学には世界中から留学生がやってきて大学側の受け入れ体制が整っており、留学生へのサポートが多い。反対に娘が通うリスボンの大学には留学生はあまりいず、特別に留学生へのサポートシステムがない上に、これまたイギリスと違ってポルトガルの大学生のほとんどが地元の大学に親元から通うのが通常なので、高校時代からの友達同士で同じ大学に進学している同級生も多いらしい。

留学生の中にもポルトガル語は話せず、学ばず、英語で行われている授業だけを受講して単位を取り1学期間のみ留学するというほぼ文化体験コースだけを目的に来ている人も多いらしく、娘のように9ヶ月の在籍組は少ないらしい。

現在娘は大学が紹介してくれた学生向き1軒家の1室を借りて住んでいる。部屋数は全部で17もあるらしく台所と居間はみんなで共用、各階にあるトイレとバスルームは同じフロワーの人と共用使い。住み出した頃はドイツ人、フランス人、ベルギー人、スペイン人の男性8人と女性は娘ともう1人スペイン人女性だけで、家全体が男性色でいっぱいで、なかなか居間でゆったりする気にはなれなかったらしい。今週になってポルトガル人の女性が1人入居しだし、片付けをあまりしない男性群にはっきりと文句を言える頼もしい見方ができたと喜んでいた。

まあこんな中彼女なりに日々友達を作ろうと努力して暮らしているけれど、私と長女がいている間はせんがゆるんで何度か涙を流し、弱音をはいていた娘。

こちらは「絶対大丈夫やから!」と元気付けるしかない。

外国に住むって、行く前は夢でいっぱいだけれども1人で行く場合いろんなチャレンジを自分自身で乗り越えていかなければならないし、最初の1、2ヶ月は慣れるまで精神的にきつい事も多い。でもそれを超えた先には大きな物を必ず得られる。

あの街には必ず娘と心を通わせるようになるポルトガル人のお友達がいるはず。

先日もオーストラリアにいる夫が田舎街のパブで日本人と知り合いその後その日本人男性と息子さんを家に食事に招待した。

「あんな小さな村で日本人と、しかも大阪人と出会ってびっくりした」と夫は言ってたが出会いってそんなもん。

美しいリスボンの空を見て心から祈った。「リスボンよどうぞ娘に優しくしてください」と!!

リスボンの街並み

リスボンおいしい

ポルトガルに住みはじめた次女に会いにリスボンにやってきた。EU諸国の中でも決して豊かだとは言えない国ポルトガルだけれども、リスボンは異国人の目にはノスタルジックに映る少しさびれた美しさが至るところにあるきれいな街。

特に白地と青のタイル( Azulejos )で覆われた建物、細長い路地裏にあるカフェやレストラン、そこを通る路面電車、石畳と坂道と見ているとなぜか幼い頃を思い出してしまう懐かしさがある。見ていた世界は別なのにリスボンの生活の匂い、音、色が私の幼少の頃のような気がするくるから不思議。

今の日本、日本人にとってはポルトガルはあまり馴染みのない国だけれども、16世紀の日本にとってポルトガルはとても大切な国で、南蛮人と呼ばれていたポルトガル人達は日本に西洋文化を伝え、少なくとも食文化においては日本に彼らの足跡を残していった。揚げ物をお酢のきいたソースに漬ける南蛮焼きに今や日本食の代表のような天ぷらも、日本のカステラもポルトガルのパオン・デ・ローが原型だと言われている。

ポルトガルは伝統菓子の種類がとても豊富でそれだけを食べ歩きしても面白い旅になるはず。

数々の焼き菓子

特に有名なのがパリパリのパイ生地の中にカスタードが入ったパステイシュ・デ・ナタ。

本場ベレンで食べたパステシュ

今ではロンドンのカフェでも売られているパステイシュだけれども、本家本元であるリスボン西部ベレンにあるジェロニモス修道院生まれの味を引き継ぐパステイシュ・デ・ベレンで作られる物は格別の味。そこに行くといつも行列ができているほどの人気でリスボン観光名所の一つにもなっている。

あさりと豚肉の煮込み

レストランや食堂で食べられるポルトガル料理はいわし、たら、あじ、たい、すずき、サーモンなどの焼魚や豚肉、牛肉、鶏肉のグリルやローストのほかポルトガルの代表料理であるたらのロースト、たら、じゃがいも、卵のミックス焼きとシンプルなものが多いけれども、豊かな素材に恵まれているポルトガルでは魚介、お肉、野菜、ワインと本当に何を食べても美味しいからすごい。時々歩いているとどこかからただよってくるいわしの炭火焼きの匂い、これに出会うともうたまらん!!

代表料理いわしの炭火焼き

通常魚には茹でたじゃがいも、お肉にはポテトフライが付けわせてくるが、それ以外にライスが付いてくる事も多いのでお米好きの日本人にはめちゃくちゃありがたい。

とにかく今回は自炊をしている次女が普段は口にしていないような郷土料理を食べさせたいと思いインターネットで調べてレストランに行ったのでリスボン滞在中に口にした食べた物は全てが美味しかった。

次女が住んでいるエリアParqueはとても治安が良く静かな所。それでも道の角ごとにカフェやレストランがありSushiレストランもいくつか見かけたし、誰が買うのか日本食を扱っている食材店も見かけた。でも日本食全体よりもお寿司だけが先行しているみたいだ。日本食レストランはまだまだ高価なんだろう。

多分もうしばらくしたらここにもラーメン専門店ができてくるんかな?バブルティー店も北欧のデンマーク風カフェもちらほら見かけたからラーメン店ができるのも時間の問題だろう。

でもまだまだホームシックになる日が多い娘が、行こうと思えばこれらの日本料理が食べられる環境にある事が母としてはとてもありがたい。