グラスゴー

今回のスコットランド旅行はまずはグラスゴーから始まった。

グラスゴーには今まで行った事がなかった上に、ロンドンーエジンバラ往復の電車賃よりもロンドンーグラスゴー往復の電車賃の方が断然に安いし、エジンバラとグラスゴー間は電車やバスでも1時間の距離で、それもバス代は1人あたり約3ポンド(500円)という激安価格なのでグラスゴー行きを即決した。

ロンドンのユーストン駅午前6時3分発の電車に乗り、グラスゴー着は午後11時15分。長旅だったけれども湖水地方やイングランドとの国境あたりの綺麗な車窓や、途中で乗ってくるイギリス北部のいろんな人達の英語の訛りを聞きながら電車の旅を楽しんでた。

グラスゴーは英国国内ではロンドンやエジンバラに次いで観光客が多い都市という。かつて産業革命の時代に工業都市として栄えていたグラスゴーは、1990年にEUからヨーロッパ文化都市に選ばれたり、今や音楽や建造物、ポップアートの街というイメージが定着してきている。そお言えば楽器を扱っているお店をよく見かけたような!?

それと週末だったから、陽気に飲んでいる人をたくさん見かけた気がする。これは先入観からきているのかな?

たまたま私達が泊まったホテルはお洒落なカフェやレストランが多いフィニエストンというエリア。このフィニエストンとさらに北に行ったところにあるウエストエンドというエリアはグラスゴーでもヒップスターと言って、お洒落好きの若者やアーティストが多く住んでいるエリアのようだ。見るカフェ、パブ、バーなんかみんな個性的なインテリアで、どこもいい感じで入りたくなる。

グラスゴー大学

そしてウエストエンドにはグラスゴー大学がある。中国人や韓国人の留学生も多いんだろう、留学生の為にか本格的な四川料理を出すレストランや韓国の焼肉をメインにしているレストランもある。私達もそれにあやかり初日に美味しい韓国料理を食べて心も胃も大満足。

ロンドンの若者の間では、エジンバラ大学、セント・アンドリュー大学、グラスゴー大学と言ったスコットランドの名門大学への進学がすごく人気だ。ロンドンだけじゃなくヨーロッパからも多くの学生がスコットランドに留学しにくる。

1451年に設立されたグラスゴー大学の建物は壮麗で、とても歴史を感じさせられ,まるでハリーポッターのホグワーツのようだ。博物館も大学の敷地内にありここは観光名所にもなっている。

ちなみにスコットランドの大学はスコットランド人とEUからの学生には学費が無料なので、ヨーロッパからの学生が多いのにはうなずける。でもそれ以上の留学生が中国からきているんだろう。グラスゴー大学の近くにはロンドンにもない中国や台湾の甘党のお店もあって、かき氷が売られていたりする。

ここにきてコソボ出身の同僚の事を思い出した。同僚の娘さんがグラスゴー大学に在籍しているが、同僚は遠いところで勉強することを決めた娘さんの選択を2年たった今も受け入れられずにいる。今度同僚に会ったら、グラスゴー大学がすごく素敵なところだと言う事を報告しないと。

それと大学を決める前にやっぱりいろんな大学を見にくるものやなーとつくづく思う!ロンドンからは遠いけれど、グラスゴーやエジンバラで学生生活を送るっていい感じ。

グラスゴーといえばグラスウィジャンと言ってスコットランド人の話す英語の中でもグラスゴーの訛り、アクセントはとてもきついとされているが、おかしなことにグラスゴーの人達は私の話す日本人訛りの英語は理解できたけれども、私の娘達の話すRP英語がわからない事が2、3度あった。娘達はネイティブスピカーだけにそのやりとりを聞いていて結構笑わせてもらった。多分娘達の英語はポッシュすぎるから、娘達もアクセントを緩めて話していたはずなのにね~!

過去にBBCニュースで日本人はグラスゴーアクセントの英語を好むと言う記事があった。あるイギリスの大学が6つの英語のアクセントを日本人に聞かせてどのアクセントが一番聞きやすいかと言う試みで、グラスウィジャンが話す英語が一番好まれたらしい。なんか笑える結果だ。

とにかく一日平均28キロは歩き、新しいものを見ながらグラスゴーでの滞在は快適に過ぎていった。

エジンバラ、フリンジフェスティバル 

今年の夏は娘達と三人でスコットランドに電車で行ってきた。計画当初は北のハイランド行きを計画していたものの、スコットランド行きを決めたのが急だったので、行きたかったフォートウイリアムズやオベインでは手頃な価格の宿が全然見つけられずじまい。宿はあっても私達とは値段的に縁のないホテルやAir BandBかまたは「えーっこんなレベルでこの価格?」と思わせるような物件ばかり。

英国ではコロナ禍のこの夏、海外旅行から国内旅行に切り替える人が多く人気のスコットランドやイギリス南西部のコーンウォール、ドーセットでは、ホテル探しは難しいとは聞いていたものの宿探しを始めてこれを実感。

それじゃあグラスゴー、エジンバラ、スターリンをベースにしていろいろ回る事に決めたもののこれが予想以上に良かった。

私は英国に来た当時、スコットランドのエジンバラに約2ヶ月間住んでいた事があるけれども、それは冬で、その後エジンバラを訪ねた時はやっぱりいつも秋か冬。今回夏の、それもお天気に恵まれたエジンバラが見れてその美しさにとても感動した。

フリンジフェスティバルのプログラム

8月のエジンバラはフリンジフェスティバルの真っ最中。フリンジフェスティバルはプロ、アマチュア、有名無名関係なく自分で登録料と参加費を払って会場を見つけたら誰でも公演できる芸術祭で、演劇、ミュージカル、コメディー、ダンス、音楽といろんなジャンルのパフォーマンスを見る事ができる。

屋外にも舞台やカフェ、屋台があったり、劇関係者、時には俳優、女優が直接聴衆を呼び込もうとチラシを配ったりとなんか雰囲気がとてもいい。今年は例年よりも規模縮小で上演されているらしいけれども面白そうな作品はチケットがすぐに売り切れ状態。長女の大学時代の演劇仲間も公演中だったけれども、つてを使ってもチケットは取れなかった。プログラムを見ていると日本人女性のコメディアンも出ている。外国語でお笑いをとるのってすごい!見たかったものの日にちが合わない。まだ見ぬ彼女のショーが成功しますように!

結局娘がピアノの弾き語りで、シンガーJeremy SassoonのMusic of Jewish Origin名付けてMOJOのチケットを取ってくれて私は人生初のエジンバラ、フリンジフェスティバルを楽しむ事ができた。

エジンバラ城が綺麗

フリンジフェスティバルの良さはチケットがお手頃なのと、気に行った作品があれば売り切れじゃないかぎり1日にいくつもショーを気軽に見れる事。

中世の街並みが素敵なエジンバラには15分も歩くと見晴らしのいい丘に登って、向かいにある有名な丘アーサーズシートや遠くの海を眺める事ができるし、市内から30分歩くと川と大木に挟まれた村にも行く事ができる。

青空の下を歩きながら、まだ英語が上手に話せず時々バスを乗り間違えて真冬の寒い夜をさまよった、34年前にエジンバラにいた自分自身に「よう頑張ったね」と声をかけ「やっぱりこの美しい街が好きやわ」と一人納得した。

アーサーズシート

イタリアの移民

イタリアと言えば、古代ローマ、ルネッサンス時の都市国家、バチカン、絵画、建築物、オペラ、ファションなどの芸術、デザイン大国、料理、ワインの産地、サッカーとその魅力は尽きない。

秩序がなく、はちゃめちゃ、マフィアの存在などの否定的な面もあるけれども、やっぱりきれいな建築物、町の光景を見ると、どの人も「あーきれい」と思わず言ってしまう魅力を持っている。

ちょと歩いたら写真を撮りたくなるイメージがあちらこちらにあるし、買いたくなる工芸品、服、靴、カバンもたくさんあるし。

グーグルしてみると世界で5番目に旅行者が多く訪れる国になっている。

そんなイタリアだけれども、13年ぶりに来て、以前とは違ってる光景を見た。

ここ最近4、5年ぐらい前からか、ニュースでアフリカ大陸、リビアからゴムボートに乗ってたくさんの移民が地中海を渡ってくる映像を見てきたけれども、イタリアはギリシャと並んでヨーロッパを目指す移民が最初に到着する場所になっている。

アフリカ大陸出身者がとても増えた。ロンドンのような多民族都市なら当たり前のこの光景が、ピサ、ルッカやフィレンチェの町でみると、他人種の存在は目立って見える。

彼らはイタリアでどんな暮らしをしてるんだろうか?

見かけた人のほとんどが、20代から40代の男性。時々赤ちゃんを後ろに背負った若い母親が、お手製なのか、布でできたブレスレットやネックレスをカフェやレストランに座っている客に売ろうとしているのを見かけた。

一度、レストランで食事をしているときに、そんな女性の一人が私達のテーブルにブレスレットを2つ置いた。ブレスレットは全然ほしくなかったけれども、彼女の赤ちゃんを見たらたまらなくなり、小銭を探し始めた私。だからその女性も私がちゃんと買うと期待したんだと思う。

あいにく、小銭は1ユーロしかなく、あとは20ユーロと50ユーロの紙幣だけしか財布に入ってなかったので、私はブレスレットはいらないから1ユーロを渡そうとした。

1ユーロを見た彼女は、怒った顔をして、ブレスレットを一つ残して去っていった。

後味が悪く、悲しい気持ちになった。

ビーチに行けば、安物のサングラス、扇子、子供の遊具を売りに回ったりする人もいるし、農場で働く人も多いと聞く。物乞いをしている若者も見た。

色々検索していくと、地元民との間のトラブル、差別問題といろんな悲劇も出てくる。

ナポリの近郊のもとリゾートの、カステル ヴォルトウルノという町は今や廃墟と化してしまい、そこはナイジェリアのマフィアの縄張りとなり、人口の半分がアフリカ人になっている言う。

移民問題は本当に難しい。もちろんイタリア社会に自分の生活の基盤をちゃんと築いていった移民もいるし、政治家になった人もいる。でもお金や高度な技術を持ってくる移民は受け入れられやすいが、お金のない移民には世の中は冷たい。

私もオーストラリア人の夫もある意味、たまたま移民になってしまった。だから移民問題はいつも私の心にある。

美しいイタリアの光景の中で、アフリカ人の移民を見ていると、彼らが1日も早くイタリア社会で心地よい自分の居場所を築いて生活していってることを願う。

イタリア、トスカーナの旅

イタリア、トスカーナのピサに行ってきた。

フランス、ニースの友人宅にご招待を受けて行かせてもらうはずが、どうやらフランスも帰国後14日間の自己隔離をしなければならない国のリストにあがると言う憶測がとびかい、出発2日前に思い切って、そのフライトをキャンセルして、イタリア、ピサ行きの飛行機に変更。

(予想どおり、8月15日からフランスからイギリスに入国したら14日間の自己隔離が義務付けになった。)

こじんまりしたピサの空港からモノレールでピサ駅まで5分のみ、これもまたこじんまりした家族経営のホテルまで駅から徒歩で8分で、全てスムーズに始まった。フィレンチェ、ルッカも電車で1時間以内で行けるので、ピサを拠点にしていろいろ回るのはいいかも!

この夏はいつもは多いアメリカ人や中国人のツーリストがいなくて、見かけるのはフランス人やイギリス人、イタリア人の旅行者だけ。フィレンチェでうちの長女はフランス人に間違われて、フランス語で問いかけられ、彼女はニヤニヤと嬉しそうにフランス語で返答していた。

イタリアのロックダウンは規制が厳しかったからか、ここではロンドンよりもマスクを着用している人が多く、お店や公共の乗り物の出入り口にはどこでも手用の消毒剤が置いてあったので、ロンドンにいるよりコロナ対策が行き届いていて、安全な気がした。

私達の旅の目的は、もっぱら海で泳ぐ事。

バスで20分の近くのビーチ、マリーナに行って、地中海を堪能した。

地中海に来て泳ぐといつも思うことは、ここではどんなに太っていようと、女性はみんなビキニを着用。まあ太めの女性の大半は中年以上だけれども、50代、60代、70代のおばちゃん=シニョーレのおおかたはトップレスで日焼けを楽しんでいるし、みんな本当に綺麗なチョコレート色に焼けている。日本とは正反対の現象!

私は決めた、ロンドンに戻ったら早速ビキニを買うことを。日本以外ではこれからビキニを着ることにした。こちらがどんなに贅肉をつけていようが誰も気にしてない!

多分地元の人たちと思うけれども、私達が選んだスポットには一人で来て、泳いで、日光浴をして、また泳いで帰る人が多く、みんなそれぞれ静かに、童心に戻って海を楽しんでいる。シミのことが気になりながらも、「まーいいか!」と開き直り、私も娘と海の中で思いっきり遊んだ。

イタリアと言えばやっぱり食べ物。今回の旅では90%、美味しいものに恵まれたかな?

長く続いたロックダウンで、いつも仕事帰りに寄っていた魚屋さんにも3月以来行けてない。だから新鮮な魚介に飢えていた私達の身にFritto Misto(魚貝の揚げ物)は最高の味だった。

パスタもやっぱりイタリアで食べる味、と言うよりイタリア人が作るパスタはアルデンテで、ソースが程よくパスタに混ざり本当に美味しく思う。

今回とくに気がついたのは、Aperol Spritz(Aperol, プロセッコ、ソーダ水で作ったカクテル。)を飲んでいる人が多かった事。これは北イタリアで見かける光景らしいけれども、とにかく食事

の間にAperol SpritzとトマトのBruschettaをセットで提供しているお店が多かったし、夏の午後の昼下がりに、真っ青な空の下で飲むオレンジ色のAperol Spritzがとても清々しく見え,とても美味しかった。

そして、今までの人生でいろんな美しい建築物を見ることができたけれども、ここフィレンチェのシンボル、サンタ マリア デル フィオーレ大聖堂を見た時は、娘も私も一瞬本当に息を飲んだ。白、緑、ピンクの大理石によって装飾され、細部に至るまで施された彫刻の精巧さ、優美さに圧倒されたからだ。

今でもこんなに綺麗で、存在感があるのに、15世紀ルネッサンスの文化的中心だったフィレンチェに来てみた旅行者は、さぞかしその美しさに驚嘆した事と思う。

最近はヨーロッパといえばポルトガルとフランスが多かったけれども13年ぶりのイタリアをちょっと垣間見れて、やっぱりイタリアは綺麗だと再認識した旅だった。

サンタ マリア デル フィオーレ大聖堂